伯爵令嬢になった世界では大切な人に囲まれ毎日が輝く1

 アンリはしばらくどこを見るのか迷っていたようだが、しばらくすると「あのお店、見ても良い?」と遠慮がちに聞いてきた。
 そこはご令嬢で賑わっている店舗ではなく、お客さんが誰も居ないレトロな雰囲気が漂う場所。どうやらレジ前に座るお爺さんが一人で切り盛りしているようだ。

 商品を見てみると髪飾りやピアス、指輪などの金属製品が売られている。店舗の外観からは想像できなかったが、全ての商品が複製品が存在しない唯一無二のモノらしく、店主のこだわりを感じる。

 アンリは一つ一つをゆっくり真剣に眺めているものだから、あまり近くに居ても邪魔になるだろうと少し離れた場所で商品を流れるように見て回る。
 しばらくそんな風に過ごしていると、アンリが一カ所で立ち止まっていることに気がついた。

「何か気になるものがありましたか?」

 アンリの視線の先を見ると花やハート、鍵といった小さなモチーフが付けられたブレスレットが飾られている。豪華な指輪やブレスレット、髪飾りで着飾りたがる貴族令嬢が身に付けるデザインにしてはシンプルだが、無理に着飾ろうとしない純粋無垢なアンリが身に付けたら素敵だろうなとも素直に思う。

「とてもお似合いになると思いますよ」
「うん、とっても可愛い。でも…」

 そう言って悩んでいるのは、おそらく値段を見たからだろう。ブレスレット横に置かれた木製の値札には金貨五枚と書かれている。

 アンリがご主人様から受け取ったものを使えば簡単に買える値段だ。それでもきっと金貨五枚の価値を相当なものと考えているのだろう。
 ふと、自分の所持金を思い出してみる。確かお使いを頼まれていたモノを差し引いたとしても、十分余裕があったはずだ。

「良ければ私からプレゼントしましょうか?」
「え?いいよ、そんな…」
「この一週間よく頑張っておられましたし、迷われているようなら」
「ううん、やっぱりちゃんと自分で買うよ」

 アンリは眺めていたブレスレットを手に、真っ直ぐにレジの方まで歩いて行ってしまった。本当は今日、この外出中に何か良いものを見つけて、贈り物を差し上げようと思っていたが仕方ない。後で他のモノを考える事にしよう。

 アンリが店主のお爺さんと会話していることを確認すると、新たに入店してきた老夫婦と入れ替わるように店の外に出た。
 しばらくすると満面の笑みを浮かべたアンリも出てくる。

「気に入られる物が見つかって良かったですね」
「うん!」

 アンリは嬉しそうに返事をすると、次はどこを見ようかとキョロキョロと辺りを見渡す。そしてその後もフレッドとアンリはいくつかの店舗をゆっくりと見て回った。

 百貨店を出ると休憩がてら近くのコーヒー・ハウスに入る。ここのコーヒー・ハウスに入るのは初めてだが、天井が高く各テーブルの感覚はゆったりしていて、どの席の椅子も一人用の肘掛け椅子だ。比較的店舗も新しいのか店内は明るい印象で、特に若い方々で賑わっている。
 空いていた席に向かい合うように腰掛けると正面の椅子に座るアンリは胸を躍らせるようにメニューを開く。

「注文は決まりましたか?」
「私はカフェオレにしようかな」
「分かりました。では注文してきますね」
「私も一緒に行こうか?」
「いえいえ、こちらで休んでいてください」

 腰を上げカウンターに向かうとカフェオレとホットコーヒー、それからプリンも注文した。代金を支払うとすぐにトレーに乗せられた品物が渡される。

 アンリの元へ戻り、カフェオレと共にプリンをアンリの前に置くと彼女はキョトンとした表情を向ける。

「プリンは苦手でしたか?」
「ううん。好きだけど、私にくれるの?」
「丁度甘い物が食べたくなる頃かと思いまして」
「フレッドは食べないの?」
「私はお腹が空いていないので」
「じゃあ遠慮無くもらうね?」
「えぇ、どうぞ」
「いただきます」

 スプーンで掬ったプリンを口に運ぶと、アンリの頬はピンク色に染まり緩む。アンリは甘い物を食べるとき、本当にいい顔をする。見ている側が幸せな気持ちになるほど。
 そんなアンリを見ていたフレッドもコーヒーを一口、口に含んでみる。香りは良く、風味も良い。無駄な苦みも出ていないし美味しい。

 こんな風にのんびりしていて良いのだろうかと不安になってしまうほど、リラックスしている。この時間が驚くほど心地良い。

「そういえばアンリ様はクラブに入られるのですか?」
「クラブ?うーん、正直どうしようか迷ってるんだ」
「せっかくの機会ですし、何か興味があるところに入ってみるのも良いかもしれませんよ」
「確かに面白そうだけど、クラブに入ると今の友達以外と関わらないとダメだよね」
「そうですね、上級生や同級生も今まで関わった事のない方ばかりでしょうね」
「それが嫌なんだよね」

 そう言うとアンリの表情が一瞬、曇ったような気がした。恐らく気のせいでは無いだろう。今までにもアンリからは過去に様々な経験をして、それに耐えてきたと思われる節の話は何となく聞いてきた。それに聞いている限りだと交友関係も少なかったらしい。

「…でもせっかくの機会だし考えてみるよ」

 そう言ってアンリはすぐに笑顔に戻る。だがその笑顔が貼り付けられたモノだと言うことは見ていれば一目瞭然だ。が、それをわざわざここで指摘するのは違うだろう。

「でしたら、ご自分で作ってみるのはどうです?」
「作るって…クラブを?そんな事、出来るの?」
「出来ますよ。ソアラ様や仲の良い方を誘ってクラブとして成立させ、自分達の好きな活動をするんです」
「それなら友達として遊ぶのと一緒じゃない?」
「あ、確かに。ですがクラブを作ると活動部屋として学園内にある専用の部屋を一つ、貰えるそうですよ」
「へぇ、すごい。でも流石に私一人で決める事は出来ないし、明日みんなと話してみるよ」
「それが良いと思います」

 そう言うと今度は作り笑いでは無く、心からの笑顔を浮かべた。

「もし本当にクラブを作ったとして、フレッドも一緒にクラブのメンバーになる事が出来れば良いのに」

 アンリの顔に笑顔が戻ってきた事を安心していると、アンリは呟くようにそう言った。それが冗談で言っている事だと分かっていても、胸の辺りがギュッと締め付けられるような感覚がしてフレッドはアンリに何も言葉を返す事が出来なかった。

 しばらく世間話をした後、コーヒー・ハウスを出たフレッドとアンリは今度はフレッドの買い物の用事でマーケットに向かっていた。本来、マーケットの様な場所にご令嬢であるアンリを連れていくのは場違いだと思われるかもしれないが、アンリ本人が行きたいと仰る以上断る理由もないし、どこかで一人待ってもらうのも忍びない。

 マーケット内は基本的に貴族の方が来る場所ではない。来るのは貴族の屋敷で働く執事やメイド、そして労働者階級の人だ。だから自然と貴族のご令嬢であるアンリは周囲の視線を集めている。二度見する視線や訝しむ視線が向けられている。
 だが、そんな視線に気がついていないのか、それとも気がついていながらも無視しているのか当の本人は特に気にする素振りを見せなかった。

 様々な野菜や果物、ブロックのままで売られた肉や今朝水揚げされたばかりの魚が余程珍しかったのか、アンリは普段以上に周りをキョロキョロと見渡す。マーケット内を見ているだけなのに、どこか楽しそうだ。
 
「フレッドはここで何を買うの?」
「基本的にはシーズさんに頼まれている食材ですね。後は紅茶が無くなりそうだったので紅茶も」
「私も欲しいものがあるんだけど見ても良い?」
「えぇ、もちろんです」

 ポケットに入れていたメモに書かれた野菜や魚を一通り見て回る。このメモは今朝、シーズから預かっていたものだ。一通り目的のモノをカゴに入れると、今度はアンリの欲しいと言うものを見に行く。お砂糖に小麦粉、バターなどを次々にカゴに入れていくが、一体何をする気なんだろうか。

「もし召し上がりたいモノがあるのなら、シーズさん達にお願いしますが…」
「ううん、自分で作りたいの」
「アンリ様がご自分の手でですか?」
「お菓子作りが好きなんだ。って言ってもルエやシーズさんみたいに上手に作れる訳じゃないんだけど…。二人に頼んだらキッチンを使わせてもらう事って出来るのかな」
「それなら大丈夫だと思いますよ。私の方からもお願いしておきますから」
「ありがとう」