「……んじゃ、俺先に行ってから」
相手がまだ衣服の乱れすら直せていない状態で、手を振って去って行く。
淀川安吾にとって、それは普段通りの日常でしかなかった。
適当に声をかけてきた相手を適当な空教室で抱き、授業に戻る。
男子校であるという事実以外、それは大して物珍しいものでもなく、ただただ能動的に行われる、言わば習慣でしかない。
安吾が意外にモテるのだと気がついたのは、高校へ入学したての頃だった。
中学時代から、既に男女構わず抱いてきた安吾だったが、ほぼ毎日のように告白を受けては、そのまま返事代わりのセックスをし、身体だけの関係を築いていた。
これだけ聞けば、最低な男と言えるだろう。しかし、安吾にはそもそも恋愛感情というものへの理解がなく、身体だけでも重ねることができるのなら、それに越したことはないと思っていた。
あの出来事があるまでは――。
***
「トゥルルルルル……」
まだ青い空に向かって手を上げ、ピンと人差し指を立てて何かおかしな言葉を吐き出している青年。
周りに人はおらず、たった一人で何かをしている。その怪しさに、好奇心が駆り立てられ安吾は気がつくと、その青年に声をかけていた。
「なにやってんだ? えっと……三橋」
三橋光――彼はクラスの中でも浮いた存在であり、可愛らしい見た目に釣られる者はあれど、すぐにその不思議さに玉砕される者達が多い人物だった。
「光でいいよ」
初めて聞いた声は、思っていたよりも低く、見た目には少しだけ似つかわしいものだと安吾は思った。
「じゃあ、光……何やってんだ?」
「交信」
「交信?」
「うん。お空と交信してたの」
それを聞き、瞬時にああコイツはヤバい奴だ。と脳が理解する。
しかし、外見だけ見れば彼が安吾の気を昂らせたのは事実で、抱きたいと思わせてくる。
どうせ、身体だけの関係なのだ。少し不思議ちゃんなくらいは大目に見える、と安吾は思うと、光に爽やかな笑みを見せて細い腰に触れた。
女ようだとは思わなかったが、男子にしては心配になるくらいの華奢な身体で、触れると簡単に抱き寄せることができた。
「交信、上手くいってる?」
「今日はダメ。誰も答えてくれない」
「それじゃあさ……俺と気持ちいいことしねぇ?」
いつもの決まり文句を言い、口づけようとした瞬間、光が自分の唇の前で指で×を作る。
「ああ、初めて? じゃあ、キスはなしな」
「そうじゃないよ」
「へっ?」
「淀川くんは、ダメなの」
急な否定に、安吾は驚き目を丸くする。
いままで断られたことのない安吾にとって、これは由々しき事態と言えた。
しかも、全員がダメなのではなく、あえて安吾はと付け加えられたのがさらに驚きを10割ほど増した。
「なに? お前ってそういうの気にするタイプなわけ?」
「そういうの?」
「俺がヤリチンだから嫌なんだろ?」
「違うよ」
「はっ? じゃあ、なんでだよ」
僅かな怒りを込めて問うと、光はポカンと口を開けて安吾を見上げた。
眠たそうな目で見つめてくる光は、まるで小動物のようで愛らしいと安吾は思う。
綺麗な銀色の髪に、ルビーのような赤い目をしている光はさながらウサギのようだ。
「まだ、言えないかな」
ふんわりと笑って言う光に、安吾は不思議でたまらないといった顔をする。
自分が誘えば、誰だって喜んで付いてきた。そのままいいように抱かれて、快楽の沼に埋まっていく人間をたくさん見てきた。
今回も同じだと思っていた安吾からすれば、わけの分からない断り方をされ、腑に落ちない気持ちが込み上げてくる。
「なんだよそれ。じゃあ、いつならいいんだよ」
「淀川くんが気づいたら」
「俺が、気づく?」
何をいっているんだコイツはと、頭の中がモヤでいっぱいになる。
気づく、とはなにか。腕を組んで悩むと、ふと、安吾は何か思いついたように手を叩いた。
「分かった! お前、俺のこと好きなんだろ。だからこんな形じゃ嫌って感じか?」
「う~ん、半分正解かな」
「半分って……じゃあ、残りは何なんだよ」
「教えてほしい?」
問われて、一瞬だけ考え込む安吾。
こういった言い方をされると、意地でも自分で知りたいと思うが、光相手にそんなことができるのだろうか。
いや、無理だろう。只でさえ、浮いた存在の彼を知るなど、到底できそうにない。
「……教えてくれ」
「僕ね、淀川くんのことが好き。でも、淀川くんは僕を好きではないでしょう?」
「悪いけど……そう、だな」
「だからダメなの。エッチは好き同士でする行為だから」
「愛がなくたって、身体重ねることくらいできんだろ」
我ながら、最低な言葉だとは思った。
けれど、今までの安吾からすればそういった、欲望に忠実な行為こそ嗜好なんのだ。今さら変えられない。
「エッチに愛は必要だよ。ただのセックスならいらないけど」
「どう違うんだよ」
「全然違うよ。セックスは……相手が勝手に気持ち良くなるだけの行為だもん」
目を伏せて言う光の表情はどこか曇っていて、儚げで、心配になる。
暫く黙って見つめていると、抱き寄せた腕から逃れるように光が身体を動かした。
「僕ね、淀川くんとはエッチがしたいの」
「つまり、それって……」
「うん、だからね、淀川くんにも僕を好きになってほしい……」
言われた途端に、だろうなと予感していたことが的中したことに安吾は口元を覆って苦笑いを隠した。
今まで、身体だけの関係しか築けていなかった自分に愛情を求めてくる奴が、ここにきて現れたことへの驚きと不安。
そして、そんな条件を出されても、未だ抱きたいと思わせてくる光の魅力。
それら全てが混ざり合って、安吾の心と頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。
「エッチ、ならいいんだよな?」
「うん」
「分かった。じゃあ……これからお前のこと、好きになれるように試してく。それでいいか?」
「いいよ。僕、待ってるから」
嬉しそうに返ってきた言葉に、安吾はドクリと胸が高鳴ったように思った。
今の今まで、感じたことのない感情。他愛ない会話でここまで気分は上昇するものなのかと純粋に驚く。
そうこうしていると、光が空との交信とやらに飽きたのか、手を下ろして安吾から離れていく。
「僕、これから用事があるの」
「用事?」
「うん。科学の先生に呼ばれてるの」
「そっか、分かった。それじゃあ……また明日な」
「うん! またね~」
去って行く光の姿を見送って、今日のところは帰ろうと地面に置いていた鞄を手に取る。
「どうすっかなぁ……」
深い溜息とともに、安吾が吐き出した言葉はまだ冷たい冬の空気の中へと消えていった。
「先生~、お待たせしました~」
安吾と別れてすぐ、光は化学準備室へと足を運んでいた。
普段、あまり使われていないそこは埃っぽく、思わず咳き込みようになる。
「ああ、待っていたよ。三橋……早くここに座りなさい」
「は~い」
返事をして、化学教師の膝上に跨る。
今日で、三人目の相手。脂ぎった手の不快感を覚えながら、光は抜け殻のように身体を揺らして、教師から与えられる刺激に耐えた。
ぼんやりと見つめた窓の先はとても寒そうで、帰りに雪が降らないといいと思いながら、触れてくる手が安吾のものであれば良いのにと妄想するのだった。
***
前の席に座っている生徒から楽し気な鼻歌が聞えてくる。
「どうしたんだよ? やけに上機嫌じゃん」
「おう! なんせ、三か月待ちだったからな~」
「三か月待ち? なんだ? レア物でも予約してたのか?」
「まあ、そんな感じ?」
話しかけると、そのクラスメイトはニコニコと笑いながら話を続けてきた。
どうやら、心待ちにしていたものが強やっと手に入ることが相当嬉しいらしい。
それはどんなものなのかと、安吾が考えていると、クラスメイトは簡単に答えを教えてきた。
「三橋とヤれんの! あいつマジで人気だからさぁ……やっとこの日が来たか~って感じだぜ」
「……はっ?」
予期せぬ言葉に、間の抜けた声が漏れる。
すると、そのクラスメイトは不思議そうな顔で安吾を見てきた。
「なに? もしかして安吾、知らなかった系?」
「なにをだよ」
「ヤリチンのくせに意外だな」
「だから、なにがだよ!」
「三橋っていったら、校内でも超有名なビッチじゃん?」
「……っ」
そう吐き出された言葉に、目をかっぴらいてして驚く。
あの不思議ちゃんである光が、ビッチなど……悪い冗談としてしか受け入れられない。
「あいつ、優しくすりゃあ誰でもヤらせてくれんだぜ?」
「マジ、か……」
「そうそう、だからめちゃくちゃ人気で……」
続く言葉が聞こえてこないほど、安吾は驚きと不安で押しつぶされそうになった。
光が自分以外の男には股を開いているなど、想像もしたくないと思う。
「安吾も声かけてみろよ。時間はかかるけど、ヤらせてくれるぜ?」
「俺はいい」
「なんだよ、ヤリチン卒業か?」
「俺、アイツとはセックスしねーって決めてるから」
「なんだそれ」
飽きれたような、気の抜けた言葉を言ってくるクラスメイトを適当にあしらい、光の座っている席に視線を向ける。
今日はどうやら、トランプでタワーを作ることに凝っているらしく、机の上にはたくさんのトランプが組まれていて、光が真剣な面持ちで最後のトランプを乗せていた。
そこに、クラスメイトの一人がやって来て、故意に机にぶつかりタワーを崩していた。
「テメェ、なにし――」
気分が悪くなる光景に、思わず口出しをしようとすると、光が笑ってそのクラスメイトに話しかけていた。
「気にしないで~。もう飽きちゃったからぁ」
そう言って、トランプをかき集めてしまうと、ニコニコと相手を見つめて本当に何事もなかったかのように振舞う光。
相手はそういった光の態度を分かっていたのか、特に謝罪もなく自分の席へと戻っていった。
「……なんだよ、あれ」
呟いて、離れかけた席に着く。
不思議ちゃんといえど、嫌なことくらいあるだろうに、光にはそういった感情がないのだろうか。煮え切らない思いを抱えながら、安吾は教科書を取り出して授業を受けることにした。
しかし、そんな状態で頭に入ってくるものは何もなく、ただ過ぎていく時間の速さを感じるだけだった。
***
放課後、ほとんどのクラスメイトが部活や帰宅のために準備を始めだしたのを尻目に、光に声をかける。
「なぁに? 淀川くん」
「ああ、っと……その、今日一緒に帰らねぇ?」
勇気を振り絞り、言えた言葉はそれだけだった。そのことに情けなさを覚えていると、光から返事がくる。
「ごめんね、今日も用事があるの」
「用事って?」
「屋上に行くの」
「また空との交信か?」
あのよく分からない、空へ指を指しておかしな発信音をするあれかと思い、そう返すと、光は首を横に振って違うと示した。
「今日はね、B組の田中くんと山田くんに呼ばれてるの」
「それって……」
不意に、あのクラスメイトの言葉が頭を過る。
まさかとは思うが、あれがもし本当だとすれば――。
「……なに、しに行くんだ?」
恐る恐るに聞くと、光はニコニコ顔で当たり前のように言葉を放った。
「セックスだよ~」
「……っ」
「今日はお天気が良いから、お外でしたいんだって」
ニコニコと笑って言う光に、込み上げてくる嫌悪感を必死で抑える。
腸が煮え、喉元が熱くなる。今すぐにでも嘔吐してしまいそうな気持ち。
正直、ここまで光に固執するとは思っていなかった安吾にとっては、初めての感覚だった。
これが、好意を持つということなのだろうか。それは分からない。
けれど、確かな不快感に、安吾は光の肩をガシッと両手で掴むと、此処が教室であることも忘れて声を荒げて言葉を吐き出していた。
「お前、そういうの辞めろよな!」
「……っ!?」
突然の大声に驚いたのだろう、光の肩がビクンと揺れる。
教室内も少ない生徒達がザワザワとこちらを見て、何か言っていた。
「どうして?」
「そんなの……嫌だからに決まってんだろ」
「自分だって、好き勝手に誰でも抱くくせに?」
「それは……っ」
「自分は良くて、僕はダメなの?」
「……っ」
どうして、と聞いてくる光に安吾は言葉を濁らせる。
言われてしまえばそうだ。自分は誰かれ構わず抱いているくせに、誰にでも身体を許す光を否定できる立場ではない。
しかし、どれだけ考えてもやはり光にそうした行為をしてほしくないと思ってしまう。
光の意見を尊重したい自分と、光には自分だけを気にかけてほしいと思ってしまう自分。そんなジレンマに捕らわれながら、安吾は呆然と立ち尽くすしかなかった。
「それじゃあ、行くから……手、離して?」
「あっ……」
言われて、仕方なく手を離すと、光は笑ったまま教室を去って行った。
これから、屋上で二人の男に抱かれるというのに、光は全く何も思っていないようで、それがさらに安吾の気持ちを押しつぶしていく。
「どうすりゃいいんだよっ……クソッ」
最初はただ、性行為がしたいとしか思っていなかった。それならば、光が誰に抱かれれていようと気になど留めなかった。
それが、どうしてこうなったのか。自分でも分からない。
対して知り合っている仲でもない。けれど、気になって仕方がない。
この気持ちはなんなのか。
「……っ、意味分かんねぇ」
そう小さく零して、教室を出る。その足で、屋上へと向かう。
まだ始めて間もない頃合いだろう。止めるなら、今しかない。
そう思って、廊下を速足で歩く。
すると、胸のあたりがチクリと痛みを訴えてきた。
「っ……!」
そんな痛みに、安吾は胸に手をあててそれを無視すると、歩みを進めた。
嫌な予感ばかりが頭を過り、想像はどんどんと大きくなっていく。
他クラスの生徒の、汗ばんだ掌で身体を触れて、好き勝手に弄ばれる光の姿が目に浮かぶ。それだけで、吐き気を催した。
ガシャン!
重い扉を豪快に開けると、安吾は目に飛び込んできた光景に絶句した。
乱雑に衣服を剥がれて、今ままさに行為に及ばんとしている光と二人の男達。
それを目の当たりにして、安吾は無言で男達を光から引きはがすと、その手を取って男達に言葉を放った。
「コイツは俺のだから。今度手出したら承知しねぇぞ!」
そう一喝し、男達を見下ろす。
暫くして、男達は猛スピードで屋上から去って行くと、重い扉の閉まる音が聞えてきた。
その音を聞き、ホッと胸を撫で下ろすと、自身の横で必死に手を離そうとしている光に気がつく。
「あっ……わりぃ」
そっと繋いでいた手を離すと、光は洋服を整えて真っすぐに安吾を見つめてきた。
吸い込まれそうな美しい瞳に、思わず見惚れてしまう。
「どうして邪魔したの?」
「どうしてって……そりゃ、あんなことおかしいからに決まってんだろ!」
「僕が誰とセックスしようと勝手じゃない。淀川くんには関係ないよ」
「そうかもしれねーけど! でも……」
「それに、俺のってなに?」
純粋そうな目で冷ややかな言葉を吐かれ、安吾は一瞬だけ黙り込むと塊の唾を飲み込んだ。
「僕のこと、好きじゃないのに独占欲だけ強いの……本当に、気持ち悪い」
「……っ!」
「僕は淀川くんのものじゃないし、これからも誰ともでセックスするから」
「まっ……」
「じゃあね」
それだけ言って、去って行く光の背中に手を伸ばし、届かないことに落胆しながら、そっと手を下ろす。
確かに、自分はまだ光を好きだとは言い難い。あまり知った仲ではないし、元から見た目だけに惹かれて持ち掛けた話に違いなかった。
それでも、どうしても気になってしまう存在であることに変わりはなく、安吾は言い知れない自身への怒りで髪を掻き毟った。
***
あれから幾月が経った、未だに光は安吾に対してだけ冷たい態度を取っている。
普段のひょうひょうとした態度とは一転、安吾にだけ鋭く冷たい眼差しを向け、口数少なく接してくる有様だ。
「はぁ……っ」
深く溜息を吐いて、自分がしたことを振り返る。
安吾としては、助けたつもりでいた行為が、光にとっては違っていた。ただそれだけのことなのだが、事情が事情なだけに簡単な問題としては捉えられない。
何故、光は不特定多数の者とのセックスを好むのか、それが分からないままでは安吾とて上手く立ち回ることができない状況だ。
「本人に聞く、ってのが一番なんだろうけど……」
聞いたところで、はぐらかされるのは目に見えている。
しかし、どう思考を巡らせても、そのことばかりが気になってしまう。
そう思うと、安吾はふと、自身の気持ちを問いただしていた。
そもそもに、何故ここまで意識してしまうのか。
まともに話しをしたのも一度きりだと言うのに……。
「俺、あいつのこと……」
――好きなのか?
そんな疑問が頭を過り、ブンブンと首を横に振る。
たった一度、話しをして、その美しい容姿に惹かれた。ただそれだけだ。
そんなことで恋愛感情が動いたというのだろうか。
それこそ、おかしな話である。
加えて、こうして安吾が悩んでいる間も、光は他の男に抱かれて喘いでいるのだ。
そんな関係が恋であるはずがない。
そう思った安吾だったが、光が顔も知らない奴らに股を開いているのだと思うと、腸が煮えくり返るような気持ちだった。
この感情を、人は何と表現するのだろうか。
「……ああっ! クソッ!」
気がつくと、安吾は教室を飛び出していた。
幸い、放課後というのもあり周りに人気はなく、怪しまれることなく光を探して駆けずり回ることができた。
確か、今日は旧校舎を使うと周りの噂で聞いていた。
旧校舎は老朽化が進んでいて、鍵らしいものは壊れてしまっているため、簡単に侵入することができた。
そこから、各教室やトイレなどを探し回り、何処にも見当たらない姿に落胆しつつも、走って屋上まで向かう。
途中、出くわしたクラスメイトを見つけて、胸倉を掴むと、光のことを尋ねた。
「みつ……三橋、何処に居る?」
ゼェゼェと荒い息をしながら問うと、クラスメイトは目をパチクリとさせてから屋上の方を指さした。
それを見て、クラスメイトを解放すると、一気に階段を上っていく。
「やっと……はぁっ、みつけた……」
「淀川くん? どうして……」
はだけた衣服を直しながら、光は安吾の姿を見ると、すぐに鋭い目つきで睨みつけてきた。
「聞きたいこと、あったから」
呼吸を整えてそう言うと、光は頭を傾げてこちらを見つめてきた。
「聞きたいことって、なに?」
「お前……どうして、知らない奴らに簡単にセックスさせんだよ」
「それは淀川くんだって同じでしょう?」
「そうかもしんねーけど! でも……お前、全然良い顔してねーじゃん」
「……っ!」
安吾にとって、セックスは互いを知る行為である他、互いが満足して高揚感を得るための行為であった。
それが、光からは感じ取れず、謎が生まれていた。
「良い顔ってなに……セックスなんてただ、相手が発散するだけのことじゃない」
「ちげーよ! そんな……物みてぇな扱いするために、することじゃない!」
「違わないよ。みんな僕のことなんか、道具程度にしか思ってないもん」
「だからこそだろ……そんなの、おかしいっ」
「おかしい? じゃあ、おかしくないことってなに? 僕が普通に過ごしてたって、みんな僕のことおかしいって言うじゃない……」
「確かに、光はちょっと変わってる。だけど、それだけで自分を傷つけていい理由になんかならない!」
安吾は光のしてきた行為を全て自傷行為であると言いたげにそう放った。
それを聞くと、光は図星を突かれたように黙り込み、安吾を強く睨みつける。
「普通って、そんなに大事なことか? 俺は、お前がどんな奴でだってきっと同じこと言ったぞ」
「なんで……」
「気になるから……じゃ、ダメか?」
「好きじゃないくせに……?」
「好きとか嫌いとか、どうでもいいだろ。俺はただ、お前のことが気になって仕方ねーんだよ……自分でもよく、分かんねーけど」
「それって……」
何かを言いたげな顔をして黙る光。
そんな彼を見て、震える肩に目をやる。
小さな肩がガタガタと揺れ、今にも泣き出しそうな顔をしている。
きっと、言葉だけでは足りないほどに我慢を強いられてきたのだろう。
人と違うことに、一人悩んで、それを消し去るために始めた行為とも言えるかもしれない。
自分の見た目を上手く利用して、自分を守る術を光は行っていたに過ぎないのだ。
「悪いけど、まだ本気で好きとは言えない。だけど……もう、こんなことは止めてほしい」
「どうして?」
「俺が嫌だから。俺はお前に……光に、自分を大切にしてほしいから」
「誰も僕なんか大切にしてくれないのに……自分でなんて、無理だよ……」
「じゃあ、俺が大切にする。それならいいだろ?」
「なんでっ……なんで、そんなに優しくするのっ……なんでっ」
大粒の涙を零して、訴える光の手を握り、安吾は深く考えることなく笑った。
「なんでって、言われても……そんなん、俺だって分かんねーよ」
低く響く、優しい声色で言う。
「でも……気になっちまったら、仕方ねーじゃん?」
「……ぷっ、はは! なにそれっ」
「笑うなよ……てか、俺らほぼ初めましてなんだよな、実際」
「そうだね。前に一度だけ喋ったけど」
「なら、何も分からなくて当然か……これから少しづつ、知ってこうぜ」
安吾の言葉に、光は目を見開くとクスクスと笑う。
今までの自分の人生の中で、初めてのタイプと出会い、若干の戸惑いもあった。
けれど、こういうのも悪くはないと思える。
「分かった。でも、一個約束して」
「約束?」
「うん。淀川くんは金輪際、僕以外とのセックス禁止! 僕も……もう、無駄なセックスはしないから」
「……分かった。約束だ」
「うん!」
嬉しそうに言うと、光は右手の人差し指を立てて、真っすぐ空へと伸ばした。
初めて言葉を交わした、あの時と一緒だ。
「トゥルルルルル……」
「あっ、それは健在なのな」
「お空と交信するのは日課なの。変……?」
「ちょっとな。でも、いいんじゃねーの」
人が人と違うことは当たり前のことで、今さら光をどうこう思うことはない。
恐らく、今まで光を取り囲んでいた者達は、こうした場面を馬鹿にしてきたのだろうが、安吾にとっては取るに足らないものだった。
「光」
「なに?」
「その……なんだ、そのうちでいいからさ……エッチ、できるといいな」
「シたいの?」
「へっ? あっ、えっと……はい」
「ふふっ……それじゃあ、もっとお互いのこと知っていかなきゃだね」
「そうだな」
時間は掛かるだろうが、そんなことはもうどうでも良かった。
自分の気持ちと向き合いながら、相手を知っていくというのも悪くない。
もう無作為に身体を重ねなくとも、興味を持てる存在ができたのだから。
「淀川くん」
「なんだ?」
「頑張って、僕のこと……好きになってね」
「……ああ、任せとけ!」
そう答えて、安吾は恋の準備を地道に始めて行く決意をするのだった。
相手がまだ衣服の乱れすら直せていない状態で、手を振って去って行く。
淀川安吾にとって、それは普段通りの日常でしかなかった。
適当に声をかけてきた相手を適当な空教室で抱き、授業に戻る。
男子校であるという事実以外、それは大して物珍しいものでもなく、ただただ能動的に行われる、言わば習慣でしかない。
安吾が意外にモテるのだと気がついたのは、高校へ入学したての頃だった。
中学時代から、既に男女構わず抱いてきた安吾だったが、ほぼ毎日のように告白を受けては、そのまま返事代わりのセックスをし、身体だけの関係を築いていた。
これだけ聞けば、最低な男と言えるだろう。しかし、安吾にはそもそも恋愛感情というものへの理解がなく、身体だけでも重ねることができるのなら、それに越したことはないと思っていた。
あの出来事があるまでは――。
***
「トゥルルルルル……」
まだ青い空に向かって手を上げ、ピンと人差し指を立てて何かおかしな言葉を吐き出している青年。
周りに人はおらず、たった一人で何かをしている。その怪しさに、好奇心が駆り立てられ安吾は気がつくと、その青年に声をかけていた。
「なにやってんだ? えっと……三橋」
三橋光――彼はクラスの中でも浮いた存在であり、可愛らしい見た目に釣られる者はあれど、すぐにその不思議さに玉砕される者達が多い人物だった。
「光でいいよ」
初めて聞いた声は、思っていたよりも低く、見た目には少しだけ似つかわしいものだと安吾は思った。
「じゃあ、光……何やってんだ?」
「交信」
「交信?」
「うん。お空と交信してたの」
それを聞き、瞬時にああコイツはヤバい奴だ。と脳が理解する。
しかし、外見だけ見れば彼が安吾の気を昂らせたのは事実で、抱きたいと思わせてくる。
どうせ、身体だけの関係なのだ。少し不思議ちゃんなくらいは大目に見える、と安吾は思うと、光に爽やかな笑みを見せて細い腰に触れた。
女ようだとは思わなかったが、男子にしては心配になるくらいの華奢な身体で、触れると簡単に抱き寄せることができた。
「交信、上手くいってる?」
「今日はダメ。誰も答えてくれない」
「それじゃあさ……俺と気持ちいいことしねぇ?」
いつもの決まり文句を言い、口づけようとした瞬間、光が自分の唇の前で指で×を作る。
「ああ、初めて? じゃあ、キスはなしな」
「そうじゃないよ」
「へっ?」
「淀川くんは、ダメなの」
急な否定に、安吾は驚き目を丸くする。
いままで断られたことのない安吾にとって、これは由々しき事態と言えた。
しかも、全員がダメなのではなく、あえて安吾はと付け加えられたのがさらに驚きを10割ほど増した。
「なに? お前ってそういうの気にするタイプなわけ?」
「そういうの?」
「俺がヤリチンだから嫌なんだろ?」
「違うよ」
「はっ? じゃあ、なんでだよ」
僅かな怒りを込めて問うと、光はポカンと口を開けて安吾を見上げた。
眠たそうな目で見つめてくる光は、まるで小動物のようで愛らしいと安吾は思う。
綺麗な銀色の髪に、ルビーのような赤い目をしている光はさながらウサギのようだ。
「まだ、言えないかな」
ふんわりと笑って言う光に、安吾は不思議でたまらないといった顔をする。
自分が誘えば、誰だって喜んで付いてきた。そのままいいように抱かれて、快楽の沼に埋まっていく人間をたくさん見てきた。
今回も同じだと思っていた安吾からすれば、わけの分からない断り方をされ、腑に落ちない気持ちが込み上げてくる。
「なんだよそれ。じゃあ、いつならいいんだよ」
「淀川くんが気づいたら」
「俺が、気づく?」
何をいっているんだコイツはと、頭の中がモヤでいっぱいになる。
気づく、とはなにか。腕を組んで悩むと、ふと、安吾は何か思いついたように手を叩いた。
「分かった! お前、俺のこと好きなんだろ。だからこんな形じゃ嫌って感じか?」
「う~ん、半分正解かな」
「半分って……じゃあ、残りは何なんだよ」
「教えてほしい?」
問われて、一瞬だけ考え込む安吾。
こういった言い方をされると、意地でも自分で知りたいと思うが、光相手にそんなことができるのだろうか。
いや、無理だろう。只でさえ、浮いた存在の彼を知るなど、到底できそうにない。
「……教えてくれ」
「僕ね、淀川くんのことが好き。でも、淀川くんは僕を好きではないでしょう?」
「悪いけど……そう、だな」
「だからダメなの。エッチは好き同士でする行為だから」
「愛がなくたって、身体重ねることくらいできんだろ」
我ながら、最低な言葉だとは思った。
けれど、今までの安吾からすればそういった、欲望に忠実な行為こそ嗜好なんのだ。今さら変えられない。
「エッチに愛は必要だよ。ただのセックスならいらないけど」
「どう違うんだよ」
「全然違うよ。セックスは……相手が勝手に気持ち良くなるだけの行為だもん」
目を伏せて言う光の表情はどこか曇っていて、儚げで、心配になる。
暫く黙って見つめていると、抱き寄せた腕から逃れるように光が身体を動かした。
「僕ね、淀川くんとはエッチがしたいの」
「つまり、それって……」
「うん、だからね、淀川くんにも僕を好きになってほしい……」
言われた途端に、だろうなと予感していたことが的中したことに安吾は口元を覆って苦笑いを隠した。
今まで、身体だけの関係しか築けていなかった自分に愛情を求めてくる奴が、ここにきて現れたことへの驚きと不安。
そして、そんな条件を出されても、未だ抱きたいと思わせてくる光の魅力。
それら全てが混ざり合って、安吾の心と頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。
「エッチ、ならいいんだよな?」
「うん」
「分かった。じゃあ……これからお前のこと、好きになれるように試してく。それでいいか?」
「いいよ。僕、待ってるから」
嬉しそうに返ってきた言葉に、安吾はドクリと胸が高鳴ったように思った。
今の今まで、感じたことのない感情。他愛ない会話でここまで気分は上昇するものなのかと純粋に驚く。
そうこうしていると、光が空との交信とやらに飽きたのか、手を下ろして安吾から離れていく。
「僕、これから用事があるの」
「用事?」
「うん。科学の先生に呼ばれてるの」
「そっか、分かった。それじゃあ……また明日な」
「うん! またね~」
去って行く光の姿を見送って、今日のところは帰ろうと地面に置いていた鞄を手に取る。
「どうすっかなぁ……」
深い溜息とともに、安吾が吐き出した言葉はまだ冷たい冬の空気の中へと消えていった。
「先生~、お待たせしました~」
安吾と別れてすぐ、光は化学準備室へと足を運んでいた。
普段、あまり使われていないそこは埃っぽく、思わず咳き込みようになる。
「ああ、待っていたよ。三橋……早くここに座りなさい」
「は~い」
返事をして、化学教師の膝上に跨る。
今日で、三人目の相手。脂ぎった手の不快感を覚えながら、光は抜け殻のように身体を揺らして、教師から与えられる刺激に耐えた。
ぼんやりと見つめた窓の先はとても寒そうで、帰りに雪が降らないといいと思いながら、触れてくる手が安吾のものであれば良いのにと妄想するのだった。
***
前の席に座っている生徒から楽し気な鼻歌が聞えてくる。
「どうしたんだよ? やけに上機嫌じゃん」
「おう! なんせ、三か月待ちだったからな~」
「三か月待ち? なんだ? レア物でも予約してたのか?」
「まあ、そんな感じ?」
話しかけると、そのクラスメイトはニコニコと笑いながら話を続けてきた。
どうやら、心待ちにしていたものが強やっと手に入ることが相当嬉しいらしい。
それはどんなものなのかと、安吾が考えていると、クラスメイトは簡単に答えを教えてきた。
「三橋とヤれんの! あいつマジで人気だからさぁ……やっとこの日が来たか~って感じだぜ」
「……はっ?」
予期せぬ言葉に、間の抜けた声が漏れる。
すると、そのクラスメイトは不思議そうな顔で安吾を見てきた。
「なに? もしかして安吾、知らなかった系?」
「なにをだよ」
「ヤリチンのくせに意外だな」
「だから、なにがだよ!」
「三橋っていったら、校内でも超有名なビッチじゃん?」
「……っ」
そう吐き出された言葉に、目をかっぴらいてして驚く。
あの不思議ちゃんである光が、ビッチなど……悪い冗談としてしか受け入れられない。
「あいつ、優しくすりゃあ誰でもヤらせてくれんだぜ?」
「マジ、か……」
「そうそう、だからめちゃくちゃ人気で……」
続く言葉が聞こえてこないほど、安吾は驚きと不安で押しつぶされそうになった。
光が自分以外の男には股を開いているなど、想像もしたくないと思う。
「安吾も声かけてみろよ。時間はかかるけど、ヤらせてくれるぜ?」
「俺はいい」
「なんだよ、ヤリチン卒業か?」
「俺、アイツとはセックスしねーって決めてるから」
「なんだそれ」
飽きれたような、気の抜けた言葉を言ってくるクラスメイトを適当にあしらい、光の座っている席に視線を向ける。
今日はどうやら、トランプでタワーを作ることに凝っているらしく、机の上にはたくさんのトランプが組まれていて、光が真剣な面持ちで最後のトランプを乗せていた。
そこに、クラスメイトの一人がやって来て、故意に机にぶつかりタワーを崩していた。
「テメェ、なにし――」
気分が悪くなる光景に、思わず口出しをしようとすると、光が笑ってそのクラスメイトに話しかけていた。
「気にしないで~。もう飽きちゃったからぁ」
そう言って、トランプをかき集めてしまうと、ニコニコと相手を見つめて本当に何事もなかったかのように振舞う光。
相手はそういった光の態度を分かっていたのか、特に謝罪もなく自分の席へと戻っていった。
「……なんだよ、あれ」
呟いて、離れかけた席に着く。
不思議ちゃんといえど、嫌なことくらいあるだろうに、光にはそういった感情がないのだろうか。煮え切らない思いを抱えながら、安吾は教科書を取り出して授業を受けることにした。
しかし、そんな状態で頭に入ってくるものは何もなく、ただ過ぎていく時間の速さを感じるだけだった。
***
放課後、ほとんどのクラスメイトが部活や帰宅のために準備を始めだしたのを尻目に、光に声をかける。
「なぁに? 淀川くん」
「ああ、っと……その、今日一緒に帰らねぇ?」
勇気を振り絞り、言えた言葉はそれだけだった。そのことに情けなさを覚えていると、光から返事がくる。
「ごめんね、今日も用事があるの」
「用事って?」
「屋上に行くの」
「また空との交信か?」
あのよく分からない、空へ指を指しておかしな発信音をするあれかと思い、そう返すと、光は首を横に振って違うと示した。
「今日はね、B組の田中くんと山田くんに呼ばれてるの」
「それって……」
不意に、あのクラスメイトの言葉が頭を過る。
まさかとは思うが、あれがもし本当だとすれば――。
「……なに、しに行くんだ?」
恐る恐るに聞くと、光はニコニコ顔で当たり前のように言葉を放った。
「セックスだよ~」
「……っ」
「今日はお天気が良いから、お外でしたいんだって」
ニコニコと笑って言う光に、込み上げてくる嫌悪感を必死で抑える。
腸が煮え、喉元が熱くなる。今すぐにでも嘔吐してしまいそうな気持ち。
正直、ここまで光に固執するとは思っていなかった安吾にとっては、初めての感覚だった。
これが、好意を持つということなのだろうか。それは分からない。
けれど、確かな不快感に、安吾は光の肩をガシッと両手で掴むと、此処が教室であることも忘れて声を荒げて言葉を吐き出していた。
「お前、そういうの辞めろよな!」
「……っ!?」
突然の大声に驚いたのだろう、光の肩がビクンと揺れる。
教室内も少ない生徒達がザワザワとこちらを見て、何か言っていた。
「どうして?」
「そんなの……嫌だからに決まってんだろ」
「自分だって、好き勝手に誰でも抱くくせに?」
「それは……っ」
「自分は良くて、僕はダメなの?」
「……っ」
どうして、と聞いてくる光に安吾は言葉を濁らせる。
言われてしまえばそうだ。自分は誰かれ構わず抱いているくせに、誰にでも身体を許す光を否定できる立場ではない。
しかし、どれだけ考えてもやはり光にそうした行為をしてほしくないと思ってしまう。
光の意見を尊重したい自分と、光には自分だけを気にかけてほしいと思ってしまう自分。そんなジレンマに捕らわれながら、安吾は呆然と立ち尽くすしかなかった。
「それじゃあ、行くから……手、離して?」
「あっ……」
言われて、仕方なく手を離すと、光は笑ったまま教室を去って行った。
これから、屋上で二人の男に抱かれるというのに、光は全く何も思っていないようで、それがさらに安吾の気持ちを押しつぶしていく。
「どうすりゃいいんだよっ……クソッ」
最初はただ、性行為がしたいとしか思っていなかった。それならば、光が誰に抱かれれていようと気になど留めなかった。
それが、どうしてこうなったのか。自分でも分からない。
対して知り合っている仲でもない。けれど、気になって仕方がない。
この気持ちはなんなのか。
「……っ、意味分かんねぇ」
そう小さく零して、教室を出る。その足で、屋上へと向かう。
まだ始めて間もない頃合いだろう。止めるなら、今しかない。
そう思って、廊下を速足で歩く。
すると、胸のあたりがチクリと痛みを訴えてきた。
「っ……!」
そんな痛みに、安吾は胸に手をあててそれを無視すると、歩みを進めた。
嫌な予感ばかりが頭を過り、想像はどんどんと大きくなっていく。
他クラスの生徒の、汗ばんだ掌で身体を触れて、好き勝手に弄ばれる光の姿が目に浮かぶ。それだけで、吐き気を催した。
ガシャン!
重い扉を豪快に開けると、安吾は目に飛び込んできた光景に絶句した。
乱雑に衣服を剥がれて、今ままさに行為に及ばんとしている光と二人の男達。
それを目の当たりにして、安吾は無言で男達を光から引きはがすと、その手を取って男達に言葉を放った。
「コイツは俺のだから。今度手出したら承知しねぇぞ!」
そう一喝し、男達を見下ろす。
暫くして、男達は猛スピードで屋上から去って行くと、重い扉の閉まる音が聞えてきた。
その音を聞き、ホッと胸を撫で下ろすと、自身の横で必死に手を離そうとしている光に気がつく。
「あっ……わりぃ」
そっと繋いでいた手を離すと、光は洋服を整えて真っすぐに安吾を見つめてきた。
吸い込まれそうな美しい瞳に、思わず見惚れてしまう。
「どうして邪魔したの?」
「どうしてって……そりゃ、あんなことおかしいからに決まってんだろ!」
「僕が誰とセックスしようと勝手じゃない。淀川くんには関係ないよ」
「そうかもしれねーけど! でも……」
「それに、俺のってなに?」
純粋そうな目で冷ややかな言葉を吐かれ、安吾は一瞬だけ黙り込むと塊の唾を飲み込んだ。
「僕のこと、好きじゃないのに独占欲だけ強いの……本当に、気持ち悪い」
「……っ!」
「僕は淀川くんのものじゃないし、これからも誰ともでセックスするから」
「まっ……」
「じゃあね」
それだけ言って、去って行く光の背中に手を伸ばし、届かないことに落胆しながら、そっと手を下ろす。
確かに、自分はまだ光を好きだとは言い難い。あまり知った仲ではないし、元から見た目だけに惹かれて持ち掛けた話に違いなかった。
それでも、どうしても気になってしまう存在であることに変わりはなく、安吾は言い知れない自身への怒りで髪を掻き毟った。
***
あれから幾月が経った、未だに光は安吾に対してだけ冷たい態度を取っている。
普段のひょうひょうとした態度とは一転、安吾にだけ鋭く冷たい眼差しを向け、口数少なく接してくる有様だ。
「はぁ……っ」
深く溜息を吐いて、自分がしたことを振り返る。
安吾としては、助けたつもりでいた行為が、光にとっては違っていた。ただそれだけのことなのだが、事情が事情なだけに簡単な問題としては捉えられない。
何故、光は不特定多数の者とのセックスを好むのか、それが分からないままでは安吾とて上手く立ち回ることができない状況だ。
「本人に聞く、ってのが一番なんだろうけど……」
聞いたところで、はぐらかされるのは目に見えている。
しかし、どう思考を巡らせても、そのことばかりが気になってしまう。
そう思うと、安吾はふと、自身の気持ちを問いただしていた。
そもそもに、何故ここまで意識してしまうのか。
まともに話しをしたのも一度きりだと言うのに……。
「俺、あいつのこと……」
――好きなのか?
そんな疑問が頭を過り、ブンブンと首を横に振る。
たった一度、話しをして、その美しい容姿に惹かれた。ただそれだけだ。
そんなことで恋愛感情が動いたというのだろうか。
それこそ、おかしな話である。
加えて、こうして安吾が悩んでいる間も、光は他の男に抱かれて喘いでいるのだ。
そんな関係が恋であるはずがない。
そう思った安吾だったが、光が顔も知らない奴らに股を開いているのだと思うと、腸が煮えくり返るような気持ちだった。
この感情を、人は何と表現するのだろうか。
「……ああっ! クソッ!」
気がつくと、安吾は教室を飛び出していた。
幸い、放課後というのもあり周りに人気はなく、怪しまれることなく光を探して駆けずり回ることができた。
確か、今日は旧校舎を使うと周りの噂で聞いていた。
旧校舎は老朽化が進んでいて、鍵らしいものは壊れてしまっているため、簡単に侵入することができた。
そこから、各教室やトイレなどを探し回り、何処にも見当たらない姿に落胆しつつも、走って屋上まで向かう。
途中、出くわしたクラスメイトを見つけて、胸倉を掴むと、光のことを尋ねた。
「みつ……三橋、何処に居る?」
ゼェゼェと荒い息をしながら問うと、クラスメイトは目をパチクリとさせてから屋上の方を指さした。
それを見て、クラスメイトを解放すると、一気に階段を上っていく。
「やっと……はぁっ、みつけた……」
「淀川くん? どうして……」
はだけた衣服を直しながら、光は安吾の姿を見ると、すぐに鋭い目つきで睨みつけてきた。
「聞きたいこと、あったから」
呼吸を整えてそう言うと、光は頭を傾げてこちらを見つめてきた。
「聞きたいことって、なに?」
「お前……どうして、知らない奴らに簡単にセックスさせんだよ」
「それは淀川くんだって同じでしょう?」
「そうかもしんねーけど! でも……お前、全然良い顔してねーじゃん」
「……っ!」
安吾にとって、セックスは互いを知る行為である他、互いが満足して高揚感を得るための行為であった。
それが、光からは感じ取れず、謎が生まれていた。
「良い顔ってなに……セックスなんてただ、相手が発散するだけのことじゃない」
「ちげーよ! そんな……物みてぇな扱いするために、することじゃない!」
「違わないよ。みんな僕のことなんか、道具程度にしか思ってないもん」
「だからこそだろ……そんなの、おかしいっ」
「おかしい? じゃあ、おかしくないことってなに? 僕が普通に過ごしてたって、みんな僕のことおかしいって言うじゃない……」
「確かに、光はちょっと変わってる。だけど、それだけで自分を傷つけていい理由になんかならない!」
安吾は光のしてきた行為を全て自傷行為であると言いたげにそう放った。
それを聞くと、光は図星を突かれたように黙り込み、安吾を強く睨みつける。
「普通って、そんなに大事なことか? 俺は、お前がどんな奴でだってきっと同じこと言ったぞ」
「なんで……」
「気になるから……じゃ、ダメか?」
「好きじゃないくせに……?」
「好きとか嫌いとか、どうでもいいだろ。俺はただ、お前のことが気になって仕方ねーんだよ……自分でもよく、分かんねーけど」
「それって……」
何かを言いたげな顔をして黙る光。
そんな彼を見て、震える肩に目をやる。
小さな肩がガタガタと揺れ、今にも泣き出しそうな顔をしている。
きっと、言葉だけでは足りないほどに我慢を強いられてきたのだろう。
人と違うことに、一人悩んで、それを消し去るために始めた行為とも言えるかもしれない。
自分の見た目を上手く利用して、自分を守る術を光は行っていたに過ぎないのだ。
「悪いけど、まだ本気で好きとは言えない。だけど……もう、こんなことは止めてほしい」
「どうして?」
「俺が嫌だから。俺はお前に……光に、自分を大切にしてほしいから」
「誰も僕なんか大切にしてくれないのに……自分でなんて、無理だよ……」
「じゃあ、俺が大切にする。それならいいだろ?」
「なんでっ……なんで、そんなに優しくするのっ……なんでっ」
大粒の涙を零して、訴える光の手を握り、安吾は深く考えることなく笑った。
「なんでって、言われても……そんなん、俺だって分かんねーよ」
低く響く、優しい声色で言う。
「でも……気になっちまったら、仕方ねーじゃん?」
「……ぷっ、はは! なにそれっ」
「笑うなよ……てか、俺らほぼ初めましてなんだよな、実際」
「そうだね。前に一度だけ喋ったけど」
「なら、何も分からなくて当然か……これから少しづつ、知ってこうぜ」
安吾の言葉に、光は目を見開くとクスクスと笑う。
今までの自分の人生の中で、初めてのタイプと出会い、若干の戸惑いもあった。
けれど、こういうのも悪くはないと思える。
「分かった。でも、一個約束して」
「約束?」
「うん。淀川くんは金輪際、僕以外とのセックス禁止! 僕も……もう、無駄なセックスはしないから」
「……分かった。約束だ」
「うん!」
嬉しそうに言うと、光は右手の人差し指を立てて、真っすぐ空へと伸ばした。
初めて言葉を交わした、あの時と一緒だ。
「トゥルルルルル……」
「あっ、それは健在なのな」
「お空と交信するのは日課なの。変……?」
「ちょっとな。でも、いいんじゃねーの」
人が人と違うことは当たり前のことで、今さら光をどうこう思うことはない。
恐らく、今まで光を取り囲んでいた者達は、こうした場面を馬鹿にしてきたのだろうが、安吾にとっては取るに足らないものだった。
「光」
「なに?」
「その……なんだ、そのうちでいいからさ……エッチ、できるといいな」
「シたいの?」
「へっ? あっ、えっと……はい」
「ふふっ……それじゃあ、もっとお互いのこと知っていかなきゃだね」
「そうだな」
時間は掛かるだろうが、そんなことはもうどうでも良かった。
自分の気持ちと向き合いながら、相手を知っていくというのも悪くない。
もう無作為に身体を重ねなくとも、興味を持てる存在ができたのだから。
「淀川くん」
「なんだ?」
「頑張って、僕のこと……好きになってね」
「……ああ、任せとけ!」
そう答えて、安吾は恋の準備を地道に始めて行く決意をするのだった。



