「それでさ、両想いになった帰りにあいつ何て言ったと思う?」
 放課後。
 いつもならば恋人が迎えに来る時間に、俺は島野原の前の席に座っていた。
 教室に残っている人は誰も無い。ただ彼の席には日誌が置かれていて、それにシャープペンを走らせている。
 この後、幼馴染みとデートをすると聞いている。さっさと日直の仕事を終わらせたいに違いない。
 話し掛ける俺のこともジャマだと思っているだろうけれど、それなりに話を聞いてくれている。きっと宇田とのことだからだ。
 まぁそれだけあの後輩を気に掛けていたということだから、少し複雑な気持ちもあるのだけれど。
「連絡先、交換してくださいってさ、めちゃくちゃ思い詰めたような顔で言ってきたんだよ。あまりにも怖い顔してたから、数分付き合っただけで振られるのかと思ったわ」
「宇田にとってお前と連絡先を交換するのは夢のまた夢みたいに思っていたからな」
「中学の頃出来なかったから」と続けた言葉は宇田も言っていた。
 確かに連絡先を交換したいと言い出すのに緊張するのは分かる。長いこと片想いをしていたのならば尚更。でもさ!
「両想いになったばっかだぞ⁉ 気持ちを確かめ合ったのに連絡先聞くくらいで、あんな睨んでくるか普通!」
「それとこれは別の話だったんだろう」
「お前の宇田に対する理解度なんなわけ? やっぱ師匠か何かなの?」
「嫉妬は醜いぞ」
「うるせーわ」
 ブブ、とスマホが振動する音が耳に届く。
 俺が手に持ったままにしているそれではないため、島野原のが鳴ったのだろう。
 彼は素早い動作でポケットからスマホを出してタップ。普段ほとんど使わないのに、彼女との時だけは肌身離さず持つのだから笑ってしまう。
「学校出たって?」
「いや、後輩につかまったから少し遅れると」
「へぇ。あいつも後輩につかまったか」
「お前のつかまったとは別の意味だ」
「へーへー、そうですね」
 机にスマホを置いてまたシャープペンを走らせ始める。だが先ほどよりもゆっくりだ。急ぐ必要がなくなったためだろう。
「で? お前の後輩はどうした」
「数学の担任から呼び出し」
「相変わらずだな」
「ほんと、あいつどんだけ教えても数学ちんぷんかんぷんなんだよ」
「基礎さえ押さえときゃなんとかなんのに」と溜息をつく。その基礎が覚えられない、プラス、その基礎をどう応用すればいいのか分からないと泣いていた彼を思い出し笑ってしまう。
「俺はこんなに早く上手くいくと思っていなかった」
「ん? 宇田はまだ数学に対して赤ちゃんのままだぞ?」
「そっちじゃない。お前の話だ」
「俺?」
 どういうことかと首を傾げれば、彼は書き終わったようで日誌をパタンと閉じた。
「お前は付き合えないと言ってすぐ振るものだと思っていた」
「お前、振ると分かっていたのに宇田に協力したのか……」
「いや、宇田の一途さは変わらない。だからお前は押すに押され、最後はお前も宇田を好きになると思っていた」
「ただ」と島野原は続ける。
「それはお前が三年になってからだと思っていた」
「ようするに長期戦になると?」
「そうだ」
 頷く彼に、少しだけ考える。
 もし俺が振ったとしても、島野原の言ったとおり宇田の一途は変わらないだろう。きっと諦めずに一緒にいられるように何か策を練ったに違いない。
 だが島野原は知らない。
 宇田が付き合いたいうんぬんではなく、ただ俺と一緒にいられればいいと、それだけで良いと思っていたことを。
 情熱的なのに奥手というか、なんというか――――と、悩んでいられるのは今のうちだけだというのを俺は知らない。
「まぁ長期戦にならずに俺は惚れました」
「認めるのが早いな」
「あれだけ一途に想われればさ」
 その奥手さは島野原には教えるつもりはない。宇田のことを彼が理解していたらつまらないというか、そんなの面白くないではないか。
(俺って案外独占欲つよいのなぁ)
 この歳になって新たな一面を知ることになるとは、人生何が起きるか分からないものである。
「お?」
 今度は俺の手の中にあるスマホが振動した。
 タップすれば『迎えに行きます!』の文字が並んでいる。数学から解放されたらしい。
「宇田か?」
「うん。迎えに来るって」
「そうか。俺ももう行く」
 二人で音を立ててイスを引いて立ち上がる。
 宇田には島野原の教室にいるとは言っていないため、早く自分の教室に戻らなくては。
「じゃあまた――――」
 と言ったところで、バタバタと足音が。誰だと思う暇もなく、開けっぱなしていたドアから宇田が顔を出した。
「いた! 片村先輩!」
 流石は元サッカー部かつ体育しか得意ではない男。息の乱れはない。だが到着の速さを考えると走って来たのは分かっている。
「お前、どんだけ急いでんだよ」
「だって先輩のこと待たせてるから」
「別に気にしないって」
「でも俺は……あ、島野原先輩。お疲れ様です」
 島野原に気付いたようで宇田は頭を下げる。彼も軽く「お疲れ様」と返し、だがすぐに「じゃあな」と教室を出て行ってしまった。
「あいつによろしくなー」
「あぁ」
 もしかしたら恋人になりたての俺たちのジャマをしないようにしたのかもしれない、というのはほんの少しの気持ちで、多分早く恋人に会いたいだけだろう。
 待ち合わせの場所に一人でいるだけでも幸せだという言葉は何万回聞いたか分からない――――まぁ、今の俺ならその気持ちは分かるけれど。
「島野原先輩との話のジャマしました?」
「いや、大丈夫」
「なら良かった」
 ホッとした様子に少しモヤっとする。
「お前さ、島野原に懐いてるよな」
「懐いているというか、お世話になっているので」
「ふぅん。まぁ先輩に対してそれくらい謙虚さを持ってないとな」
 最後の言葉は自分に言い聞かせる為の言葉になってしまったのだが、それを宇田は「へぇ?」と口角をつり上げた。瞬間、俺はヤバいと本能が察した。
 いつもは鈍感なくせに、どうしてこういう類いに対しては素早く反応するのか!
「片村先輩、島野原先輩に懐いてるの気に食わない?」
「別に。前に言ったろ? 他にも頼れる先輩は沢山いるって」
「またそんな意地悪言うんだ」
「意地悪って……」
「片村先輩は俺が他の先輩に頼ってもいいの?」
「……それこそ意地悪だろ」
 軽い挑発だと分かっていても乗ってしまう。ここは年上として軽く流してやるのが格好良いと思うのに。
 でも宇田は嬉しそうに手を伸ばして俺の頬を撫でた。ビクリと顎を引くけれど、その手は優しく追い詰める。
「うん。意地悪言ってごめん」
「っ、お前調子に乗ってるだろ!」
「だって片村先輩が可愛いから」
「うるせー!」
 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
 頬に触れる手を軽く抓れば宇田は笑い、その手を取る。そして手を繋いで言った。
「片村先輩、帰りますよ」
「あ、それから」と恋人は続けた。
「前に一緒にカラオケに行った先輩メンツには、俺たちのこと話しましたので」
「……へ?」
「今度お祝いしてくれるそうです」
 ルンルンという音が似合いそうな表情で廊下を歩む。勿論繋ぐ手は恋人つなぎだ。いやそこが問題ではない。いや問題なんだけれど。
 いやだから、えーっと、その。なんだ。

「どゆこと?」

 彼に振り回される高校生活はまだまだ続く!


○エピローグ――終了



裏と表のスキとキライ(完)