ピヨピヨと横断歩道の音が響く。
 前に友人男子たちとカラオケに行った時と同じ道なのに、今回は宇田と俺の二人きり。
 彼の気持ちを知らなければきっと何も考えず、ふざけ合いながら遊びに向かっていただろうに。
(なぜ誘ったよ、俺)
 俺は宇田を振るんじゃなかったのか? それなのに俺から誘って放課後デートみたいなことしちゃってるじゃん!
 ここで突然、『お前とは友達としてしか見られない』と言うとか絶対無理だ。鬼畜の極み。そんなこと出来ない。
(あー、俺のほんっとバカ)
 隣りを歩く宇田をチラリと見れば、心なしかいつもより表情が明るい気がして――内心で溜息をつく。
 サッと遊んで、パッと帰ろう。違和感ないくらいの距離を保ちつつ、俺たちはただの友人なんだぞという絶妙な空気にしていれば問題ない。
「なぁ、宇田はどこ行きたい?」
「片村先輩はどこか行きたいところありますか?」
「特には……」
 出来るだけ密室で二人きりにならず、周りの目があって、ワイワイガヤガヤしている場所がいい。
「ゲーセン行くか!」
 ぴったりの場所を考え、ポン! と手を叩く。
「どうだ?」
「いいですけど先輩、クレーンゲームとか出来るんですか?」
「お、バカにしてんな?」
 歩きながらスキップし、振り返る。そしてグーで宇田の胸を軽くパンチした。
「まぁ、まかせろよ」

――――懺悔します。
 いや、今から考えたらゲームセンターだと決めた時点で頭の中は空っぽだった。

「なぁ、次はあれ取ってやろうぜ」
「待った先輩、もういい。もういいから」
「なに言ってんだ。後輩に先輩の格好良いところ見せてやらないと」
「ちょ、もう分かりましたってば!」

 両手にクレーンゲームで取ったぬいぐるみを入れた袋を抱えながら。
 距離感とかまるっと全てを忘れて。

「お前、元サッカー部だよな? フリースローが得意ってどゆこと?」
「まぁまかせろってことですよ」
「あー、体育しか出来ないもんな」
「可哀想な目で見るのやめてくれません?」

――――めちゃくちゃ楽しみました!

「あー! 疲れた疲れた!」
 両腕を伸ばしながらゲームセンターのコーナーを後にする。
 ショッピングモールの一角であるため、そこを出ても周りは賑やかだ。
「腕やっば。明日筋肉痛かも」
「あんなに強く太鼓を叩くからですよ」
「ばっか、あれは叩きまくるから楽しいんだろ」
「はいはい」
 呆れたように返しつつも宇田も腕を伸ばす。袋は足下に置いてのストレッチ姿は中学生以来で、何だか懐かしく感じた。
 きっとそれに釣られたのだろう。俺はカバンから今日飲んでいたペットボトルのスポーツドリンクを取り出した。
「いっぱい動いたし、水分補給タイムっと」
 飲みかけだったそれをゴクゴク飲んで、「ほら」と宇田に渡す。
「え……」
「お前も飲んどけ」
「いや、大丈夫です」
 俺の差し出したペットボトルを受け取らない。ムッとして俺は無理矢理それを握らせた。
「水分は取っておけよ」
「でも……」
 ここまで躊躇うのはどうしてだろう?
「もしかして俺の飲みかけがイヤとか?」
 考えてたことが口にそのまま出れば、「ちがいます!」と宇田は思いきり首を横に振る。それなら何も問題はない。
「じゃあ飲んでおけ。先輩命令」
「…………」
 宇田は少しの間ペットボトルを睨み付け、そして勢いよく口を付けて飲んでいく。ゴクンゴクンと喉仏が大きく二回動いた。
 なんだ、やっぱり喉が渇いていたんじゃん。
「はい、いい子」
 無言で返されたそれを取って顔を見れば、宇田は口元に手の甲を置いて頬を赤く染めていた。
「ん? どうした?」
「な、なんでもないです」
 視線を逸らしたままそう言われたって、そうかで終わるわけがない。一体なんだと首を傾げると、ピンと来た。
「お前、もしかして間接キス意識した?」
「…………っ!」
 宇田の反応を見る限りビンゴだ。
 俺は空いているもう片方の手で笑いながらバシバシ背中を叩いた。
「部活で回し飲みとかしてたろ」
「そう、ですけどっ」
「今更照れるとか、可愛い奴だな!」
 中学生の頃は可愛げなんて微塵も無かったのに、人は一年でこんなに変わるものなのだろうか。
 一緒に帰るだけでも喜ぶ後輩なんて、可愛がりたくもなる。
「じゃあ先輩もどうぞ」
 叩いていた手を宇田は取り、ムッとした表情で言った。
「俺との間接キス」
「え?」
「片村先輩は何とも思わないんですよね」
 もう片方の手、ペットボトルを持つ手も取って、飲み口を近づけさせてくる。
 スポーツドリンクの甘い匂いがほんのり鼻をかすめる。
「先輩も飲んで。俺の目を見ながら」
「なに、宇田?」
「なんにも意識しないなら出来るでしょう?」
「――――っ!」
 そこでようやく思い出した。
(そういえばこいつ、俺のことが好きだったんだ!)
 距離を置いてとか思っていたのにすっかり忘れていた! 普通に楽しんでたとか、俺は鳥頭か⁉
「片村先輩」
 グッと押され、飲み口が唇に少しだけ当たる。それから逃げるように首を引いたけれど、宇田は許してくれない。
(いやいや、ここで意識する方がおかしいって!)
 部活で回し飲みなんかしょっちゅうしていたし、なんなら男友達と普通に味見させてとか言ってプリンのスプーンを共有したりもする。
 間接キスだと考えるから変に意識してしまうのだ。
(ただ飲むだけ……)
 俺は無意識にまばたきをしながら視線を下に向ける。そしてペットボトルを手に取って飲み口に唇を寄せたけれど、「俺の目」と言われてしまう。
 そうだったと視線を上げれば、真っ直ぐこちらを見る瞳に射貫かれた。
 周囲は騒がしい筈なのに耳には何も届かず、先ほどの太鼓のような低い音が鼓膜を揺らしている気がする。
 口から小さく息が零れれば、飲み口に当たって跳ね返り、唇にぶつかる。ただそれだけなのに、目を合わせているせいか宇田の吐息が当たったのかと勘違いして、何かに支配されたように身体が震えてしまった。
 こんなの『ただ飲むだけ』なんかじゃない。
 俺は唇を隠すように少しだけ噛み、首を横に振った。
「ほら、先輩」
「っ、ムリ!」
「なんで?」
 無理だと言った俺に問い掛けた声は冷たくなくて、むしろ熱が込められている。
 甘い声なんて表現じゃ足りない。
「恥ずかしい?」
 今の俺を言葉にされ、恥ずかしさをも意識してしまって、顔が熱くなっていることにも気付かされる。でも頷きたくない。
「そういうことじゃっ、なくてっ」
「片村先輩のそういう顔、初めて見た」
 宇田は視線も、微笑みも、毒のような甘みを含んで。
「かわいい」
 心臓が止まった気がした。
 俺は一歩後ずさりしてまた首を横に振る。
「うるせぇクソガキ」
 もう無理。ほんと無理。
 視線を逸らしてこのまま走り出してしまおうと本気で思っていると、その視界に天の助けが舞い降りた。
「島野原‼」
 ゲームセンターから出て来た幼馴染みを見つけて走り出す。
「助けてくれ!」
「片村?」
 ヘルプを求めた俺に気付くと、島野原は驚いた顔をしたが、すぐに舌打ちでもするように顔を歪めた。
 理由は分かっている。
「デート中だ。ジャマするな」
「あれ、片ちゃん?」
 島野原の隣りにはもう一人の幼馴染みが一緒にいた。
 女子校の制服に身を包んだままの彼女と、放課後デートをしているのだ。二人は幼馴染みの俺も呆れてしまうほどの相思相愛ラブラブバカップルで、普段なら見つけたとしても声を掛けない。
 でも今は緊急事態だから許して欲しい……っ!
「冷たいこと言わないで助けてくれって!」
「いま助けるつもりはない」
「ひどすぎない⁉ 理由くらい聞いてくれてもよくない⁉」
「お疲れ様です、島野原先輩」
 すぐ後ろから聞こえた宇田の声にビクリと肩が跳ねる。でもドキッとしたのは一瞬だけで、すぐに「あれ?」と振り返った。
 宇田の表情はいつものものに戻っている。だが問題はそこではない。
「お前がちゃんと挨拶するところなんて初めて見た」
「はい?」
「いやだって……」
 あの教室で無遠慮な愛想も無い姿をいつも見ているのだ。驚くのは当たり前だろう。だが宇田は呆れたように溜息をついた。
「俺だってお世話になってる先輩にくらい挨拶しますよ」
「まぁ、そうか」
 頷きつつも乾いた笑いが口から零れる。
 確かに俺の情報うんぬんで島野原には世話になっているのだろう。こうも礼儀正しい宇田を見るのは違和感というか、なんとも言えないザラついた気持ちになる。
 そんな俺に何か勘違いしたようで、宇田は焦って両手を振った。
「その、俺がお世話になってるのは、中学の時にたまたま、ほんとたまたま連絡先を交換して、勉強見てもらったりもして」
 情報を流して貰っていたことをバレないようにの言い訳。だが問題はそこではない。
「お前、島野原に勉強も見てもらったの?」
――――いや、うそ。ちょっと頑張った。
 あの時の表情と声が浮かび上がって、シャボン玉のように弾けて消える。
「はい」
 何の罪悪感もなく、むしろ安堵した様子で頷いた。それは間違いではない。
 この高校に入学する、イコール俺を追いかける為に勉強したというのは分かっている。連絡先を交換した理由も、俺を追いかけて来た理由も。
 それでも。
「へぇ」
 そういう先輩面しているのは、否、していいのは俺だけかと思っていた。
「面倒見てもらえて良かったな。またこれからも勉強教えてもらえば?」
「どうせ体育以外全滅だろ?」と笑ってみせたけれど、宇田は「え?」と眉を寄せる。
 我ながら温度の無い声音だと思ったけれど、笑みはいつもと同じ筈だ。
「後輩をよろしくな、島野原」
 ポンポンと島野原の肩を叩き、歩き出す。
 別におかしなところなんて何も無い。後輩を頼れる同輩に託す。良い先輩ではないか。きっと宇田ではなくても、俺は同じことをする。
「ちょ、片村先輩!」
 ガサガサとぬいぐるみが入った袋の音を立てながら宇田が追いかけてくる。先ほどよりも強い力で腕を引かれたが、笑みは絶やさない。それが俺だから。
「宇田もさ、俺だけじゃなくて他にも頼れる先輩は沢山いるんだぞ?」
「繋がりは大事にしなきゃな」と続けると、まるで傷ついたと言わんばかりに宇田が自身の唇を噛みしめる。
 なんだよ、傷つけるようなこと言ったか俺。
「片村先輩って執着しないですよね、中学の時も」
「…………」
 傷ついて、苦笑して、痛みを吐き出すように言う宇田に、見て見ぬふりをしたこちらの痛みまでも顔を出す。
「後輩を可愛がっていても、自分の役目が終わったと思えばすぐ手放す」
 それの何が悪い。相手を思ってこそだろう。
 浅く広くの付き合いが互いに良好の関係を築けるし、それ以上もこちらは望んでいない。深い関係になるつもりもない。
 だからお前だってその他大勢と同じ。それ以上もそれ以下もない。
「片村先輩のそういうところ、大キライです」
「あっそう」
 だから傷つけるつもりも、そして傷つくつもりも無かったのに。
「俺もお前が大キライだ」
 掴まれている腕を振り払い、走り出す。
 手に飲みかけのペットボトルを持っていたことを思い出し、途中にあったゴミ箱に思い切り投げ捨ててやる。
「先輩っ!」
 追いかけてくる声は近い。元サッカー部だ。現役だったころが近い宇田の方がきっと足が速い。
 俺はわざと細い道に入り、ゲームセンターの裏側へと回り込む。そして先ほどまでいた大きめなゲームが並ぶ空間へと混ざり込んで、陰にしゃがんだ。
「っ、先輩、先輩っ!」
 隠れた俺には気付かず、辺りを見渡しながら宇田が通り過ぎていく。
 戻って来ることはないかしばらく様子を見るも、どうやらそのままどこかへ探しに行ったようだ。
「はぁぁ」
 しゃがみ込んだまま頭を抱え、大きく溜息を吐く。
 息が抜けると同時に脱力して、そのままもう二度と立ち上がりたくない。出来れば宇田の顔なんか二度と見たくない。
 ちがう、こんな顔、宇田に二度も見られたくない。
 また顔が熱い。鼓動がうるさい。でも走ったからではないことは分かっていて、今まで感じたことの無いこの身体のざわめきの正体も何なのか分かっている。
 あぁ、どうして俺って鈍感じゃないんだろう!
 普通こういう時、なんだろうこの気持ち、とか。なんかモヤモヤする、とか。そういう可愛い感じに物語が進むんじゃないのか?
 確かに胸は痛いし、傷ついた。でもこんな感情知らない! とか可愛い子ぶることなんて出来なくて。
「最悪だ……」
 掠れた声が口から崩れ落ちるように出て行った。
「俺、嫉妬してんじゃん」


③うるせぇよクソ。――終了