「なぁ島クンよ」
「なんだ」
 昼の休み時間。
 片村は普通科のクラス、島野原の所に来ていた。
 よく遊びに行くということもあり、勿論ここの生徒ともそれなりに顔見知りである。ちなみに俺は特進のクラスだ。
「宇田って奴、覚えてる?」
「あぁ」
 島野原の机に頬杖をつきながら「なんかさー」と唇を尖らせた。
「あいつ、俺のこと好きっぽいんだよなー」
「早いな。もう気付いたのか」
 さすがだと言わんばかりの声音に、パカっと口が開く。
「え、なに、どゆこと? 何で知ってんの?」
「宇田は中学の頃からずっとお前のことを見ていた。部活の練習でも、試合でも。あれは恋する瞳だった」
「恋する瞳……お前、そういうタイプだったっけ? あー、いや、そういうタイプか」
 武士のような彼にはすごく似合わない単語だが、この男。俺と島野原ともう一人、幼馴染みである女の子と付き合っており、やることはやっている奴なのだ。見た目と口調に騙されてはいけない。
「だから俺たちが卒業する前に宇田と連絡先を交換して、定期的にお前のことを教えていた」
「おい、俺の許可無く情報流すなよ」
「そこは悪いと思っている」
「お前の性格なら、本当に悪いと思ったことはしねぇんだよ!」
 ギャン! と吠えたけれど、島野原は気にした様子もなく、そして謝ることもなく「どうして気付いた?」と話を続けた。
「お前はずっと宇田の気持ちだけではなく、視線にすら気付かなかっただろう」
「気付かなかったっつーか、気にしなかったっつーか」
「それなのに何故この数ヶ月で分かった?」
「…………」
 宇田に言われた言葉と、一緒に帰る等の宇田の行動の数々。
 先輩のことが好きだからです、と言われたら、困惑していたそれらに全て納得がいく。
「告白された訳じゃねぇけど、」
 俺は何となく視線を逸らした。
「それっぽいこと言われたから」
「そうか。あいつは頑張っているのだな」
「いや、そういう発言したことにあいつ気付いてねぇし。ってかお前は宇田の師匠か何かなの……?」
 妙な絆が生まれている彼らに頭を抱える。
「あー、こっちはマジ困ってんのにー」
「なんだ。困るのか?」
「困るに決まってるだろ」
「何故だ」
 再び島野原に『何故』と訊ねられる。
「困るのなら、いつものように振ればいい」
「…………」
「何故困ったままにしている?」
 まさに彼の言う通りだった。

 今まで告白されたことは何度もある。
 仲が良かった人。それなりに付き合いが長い人。何となく勘違いしてしまった人。
 どういう形であれ俺はその気持ちを真摯に受け止め、誠実にその好意を断ってきた。
 好きになってくれるのは嬉しい。でもこちらはそういう気持ちを抱いているわけではない。これからも友達としてしか一緒にはいられない。
 それを許してくれた人もいれば、泣いて縁を切る人もいる。十人十色、反応など様々だ。頬を叩かれたことだってある。
 それでも好意を抱いてくれた相手を無碍にすることをしたくないのだ。だからちゃんと線引きをする。

「いやでもさ、別に告白されたわけじゃないし」
「でもお前は気付いたのだろう。こちらにその気は無いと伝えることは出来る」
「そうだけどさ」
 宇田が俺を好き。冷静になればちゃんと理解して、俺は気持ちに応えられないと先に告
げておく。それがいつものパターンなのに。
「高校まで俺を追って来たんだぞ? 健気に毎日帰りも迎えに来てさ。告白もしてきてないのに振ったら可哀想だろ」
 どうしてだろう。その線引きが出来ずに困っている。
「その方が残酷だ」
 そんな俺を幼馴染みは甘やかしてくれない。
「お前らしくないな」
「……うん。分かってる」
「そろそろ休み時間が終わる。教室に戻れ」
「少しは慰めろよ~」
「慰めるべきはお前ではない」
「けち」
 ガタンと音を立てて立ち上がる。席を貸してくれていた生徒に礼を告げてから教室を後にした。
(振る……振るのかぁ)
 まだ騒がしい廊下を歩きながら長い息を吐いた。
 いや、そもそも俺はどうしてここまで気に掛けているのだろうか。いつもならば申し訳ないと思いつつもキッパリ断るのに。
 そこまで彼に思い入れでもある?
 いつも一緒に帰っているけれど、先輩には挨拶もしないし――いや、俺にはするか。
 愛想ないし――まぁたまに俺には笑顔を見せるけど。
 友達いらないって言うし――けど俺にはつきまとっている。
「…………」
 今から思えば、あいつ俺のこと大キライとか言う割に、大スキすぎないか⁉
 笑ってしまう口元を隠しつつ、コホンと一つ咳払い。
 このまま知らない顔をすることは出来る。本人も失言に気付いていないようだし。だが気付いたにも関わらず一緒にいるのは島野原の言うとおり残酷だ。
(一度ちゃんと話をしてみよう)
 どうせ今日も放課後、迎えに来るのだ。一緒に帰りながら話せば良い――と思っていたのだが。

「来ねぇなあいつ!」
 すでに誰もいない教室で、バンと机を叩いた。
 いつもなら一緒に帰っている時間だというのに、宇田の姿はない。他のクラスメイトは『今日迎えないんだな』と笑いながら帰って行った。
「なんで今日に限って迎えに来ないんだよ!」
 こちらの都合などお構いなしにいつも来るくせに! と思ったところでハタと気付く。
 別にいつも一緒に帰ろうと約束をしているわけではない。突然宇田が突撃してきたに過ぎないのだ。今までがおかしかっただけである。
 俺は唇を尖らせ、結んでいる髪の毛をいじる。そして音を立てて立ち上がった。
「このまま帰ってやる」
 待っているのもバカバカしい。振る振らないの話はやめにして、今度迎えに来たときは無視してやる。
 カバンを持って教室を出て、階段へ。
「…………」
 二年生の教室は二階にあり、一年生は三階だ。黙ったまま上の階へと続く先を睨み付ける。
 この時間まで残ったのは久しぶりだ。
 吹奏楽部の演奏、運動部のホイッスル、かけ声。様々な青春の音が散らばっている。それなのにまるで無音の世界に閉じ込められたような感覚がある。
「くそっ」
 その世界を突き破るように俺は駆け足で階段を上がった。
「たしか普通科の三組だったはず……」
 久しぶりの三階の廊下にも誰もおらず、だがほんの少し緊張する。やはり学年が違う教室というのは別物でなのだ。それなのに宇田は何の遠慮もなく二年生の教室に来るのだから、本当に鋼の精神すぎる。
 歩きながら教室を覗き込む。だが宇田の姿は見当たらない。
(あの野郎、勝手に帰りやがって)
 フンと鼻を鳴らしてカバンを肩にかけ直すと。
「えっ、片村先輩⁉」
「わっ⁉」
 突然後ろから声を掛けられ、ビクリと肩を揺らす。振り返れば探していた宇田がいた。
 驚いたように目を丸くしている。驚いたのはこちらの方だ。
「おまっ、どこいたんだよっ」
 つい責めるように言ってしまう。
「俺は先生に呼び出されてて」
「呼び出し? 何かしたのかお前」
「……いや、その」
 宇田は言い淀んでから手に持っていたプリントを見せた。
「数学の小テスト、毎回赤点だから課題だされちゃって」
 しかしすぐそれを隠すように下ろしてから「そんなことより」と宇田が食い気味に聞いてくる。
「片村先輩はどうしてここに?」
「いや、俺はお前が迎えに来ないから……」
「もしかして迎えに来てくれたんですか⁉」
「えっ」
 先ほどとは違う意味で肩を揺らした。
(俺のバカ、なに普通に答えてんだよ!)
 いや、でもいつも迎えに来る後輩が来なかったら、どうしたのかと心配するのは先輩としておかしいことじゃないよな。別に変な意味とか意識とかしているわけじゃないし。
 でも迎えに来たと肯定したらそれはそれで期待とかさせて勘違いされても困るし、これはえっと。
「か、帰ります!」
「へ?」
「待って、すぐ準備するから!」
「ちょ、宇田?」
 宇田は止める暇無く教室へと駆け込み、己の席であろう中央の机へと向かっていく。
 慌てているのかあちこちに足を引っかけ、ガン! ゴン! と音を立てては綺麗に並んでいた机を乱している。
 その横顔は隠されることなく真っ赤で、喜んでいるのは明白で。
「…………ばかだな」
 小さく吹き出して、笑みが零れる。
 イケメンの上に可愛いとか、どれだけ罪深い男なんだろうか。
「宇田」
 名前を呼び、教室に入る。
「数学の課題があるんだろ?」
「明日します」
「ダメだろコラ」
 むりやりカバンに押し込もうとしたクシャクシャになったプリントを取り、皺を伸ばしながら宇田の机に置いた。そして俺はその前の席に座ってトントンと指でプリントを叩く。
「ほら、教えてやるから。一緒にやっちまうぞ」
 呆然とした宇田を見つめて言う。
「座りな」
「…………」
「はい、いい子」
 無言のまま座る宇田は、まるで借りてきた猫みたいだ。
「数学は得意だからまかせとけって」
「ハイ」
 いつもと違う様子にまた小さく笑って、静かに聞く。
「どこ分かんない?」
「ぜんぶ」
「マジかよお前」
 開いたままだった教室の窓から風が入るのか、白いカーテンが揺れた。
 静寂とはほど遠い。それなのに切り取られたかのような二人きりの空間。無音の世界に閉じ込められたものとは違って、どうしてだろう。居心地が良い。
「数学は苦手なんです」
「じゃあ得意な科目は?」
「体育」
「お前はどこぞの漫画の主人公か」
 呆れてものも言えない。
「ここの高校、それなりに偏差値高いだろ。よく受かったな」
「別に。余裕でしたけど」
「あっそうデスカ」
 ようやく宇田はいつもの調子を取り戻してきた。本当に仕方のない奴だ。
「じゃあほら、教科書出せ」
 基本から教える覚悟でそう言えば、彼はカバンを探る前に両腕を机に置き、突っ伏する。
 勉強したくないと駄々をこねるようにプリントを隠したのかと思ったがそうではなかった。
 宇田は顔をずらして、チラリとこちらを見る。
「いや、うそ」
 下から覗き込むように。
 整っている顔はいつだって無表情なのに、今は甘く、否、甘えるように微笑んでいて。
「ちょっと頑張った」

 俺は、知っている。
 この後輩が俺を追いかけて、この高校まで来たことを。
 元々サッカー部だった俺は、また高校でも続けていこうと思っていたけれど、よくありがちな、怪我をしての脱落。だが勉強もそれなりに出来たためこの進学校を選んだ。
 宇田は? お前も怪我でもしたの? サッカーはやめて良かったのか?
 勉強も苦手なのに、高校まで追いかけて来るほど、俺のことを――――?
(くそ、こんなの)
 拒絶なんか出来るわけがない。

「なぁ宇田クン」
 片村は頭の後ろで腕を組む。親指の爪で髪を結ぶゴムを少しだけ引っ掻いた。
「今度、帰りにどっか寄って遊ぶか」
 声は震えていない。いつもの調子で言えたと思う。
 でも、まるで爆発しているみたいに自分の心臓の音がうるさくて。
「……うん」
 頷いた宇田の声は熱くて溶けたキャンディーみたいに蕩けてた。


②いやそれ卑怯じゃね?――終了