『俺、先輩と同じ高校に行きますから!』

 中学の卒業式。
 春の風を浴びながら聞いたあの泣きそうな声は、今も心に響いている───

「えっと……」

────わけもなく。

(誰だ?)
 俺、片村幸也<かたむらゆきや>は内心首を傾げた。
 茶色に染めた髪の毛を結ぶ、短い尻尾も一緒に揺れる。

 高校二年生に持ち上がり、後輩が入ってくる入学式。
 幼馴染に「呼び出しだ」と言われ着いて行った校舎裏には、見た目麗しゅうイケメンが立っていた。
 俺よりも身長が高く、ガタイがいい。運動部系だろう。細身ではあるから柔道ではない。
 そのイケメンは俺を見た瞬間、どこかハッとした様な顔をして、それから真っ直ぐとこちらを見つめてくる。
 何かを訴えかけるような視線だが、申し訳ないことに全くもって意味がわからない。
「ごめん、その……だれ?」
 この高校は学年によって制服のネクタイの色が違う。彼のものは赤色だから、入学したての一年生では間違いないだろうけれど、こんなイケメンの知り合いはいただろうか?
「………」
 沈黙の間。
 溜息をついたのは背後にいる幼馴染の方で、しかし振り返る前に目の前の相手が口を開いた。
「俺ですよ、片村先輩」
 イケメン後輩は綺麗にニッコリと微笑む。見た目からして作り笑顔だ。結構迫力がある。
「宇田慧です」
「うだ、けい……」
 宇田慧、宇田慧と頭の中で反芻する。そして「あぁ!」と手を叩いた。
 そして冒頭の言葉がようやく頭に響いた。
「サッカー部の! 宇田か!」
「はい。お久しぶりですね」
「ひっさしぶりだなー! つかお前、こんなイケメンだったっけ?」

 中学時代に所属していたサッカー部の後輩、宇田慧。
 サッカーの技術も足の速さも悪くなかったのに無口な一匹狼で、誰ともコミュニケーションを取ろうとしない問題児だった。
 勿論、先輩かつ部長であった俺にも愛想無く、笑ったところなど見たことがない。
 前髪が長かったからという言い訳すら通用しないくらい、可愛くない後輩だった。
 それなのにどういうことだこの姿。
「別に。髪を切ってコンタクトにして牛乳を飲んだくらいです」
「じゃあ元々イケメンの素質あったんだなぁ。高校デビュー? おめでとな!」
 絶対モテるに違いない。そう思って拳を握ったのだが、また溜息が聞こえる。再び幼馴染から。一体何なのだ。
「で? 俺を呼んだのは? 律儀に挨拶しに来てくれたのか?」
「まぁ、そんなところですけど」
 宇田は視線を逸らし、そっぽを向く。小石でも蹴りそうな様子だ。
「卒業式に俺が言ったこと、覚えてますか?」
「あー、おう! 覚えてた!」
「思い出した、の方が正しいでしょ」
「はは、ごめんな」
 言い当てられて苦笑。でも仕方ないではないか。あれから一度も連絡を取り合ったこともないし、部活でそこまで仲良くしたわけでもない。思い出しただけで許して欲しい、のだが。
「ムカつく」
「……え」
「片村先輩って頭良いですけど、記憶力は悪いんですね」
「はい?」
「まぁいいです。そんな期待とかしてなかったんで」
 フンと鼻を鳴らし、宇田は「そういうことで」と制服のズボンに両手を入れて歩き出す。
 俺にまっすぐ向かって、思い切り肩をぶつけて言った。
「俺、先輩のこと大キライですから」
 そのまま去ってしまう。
 取り残された俺に、春を超えたような生ぬるい風が前髪をかき上げる。
 えーっと、これは……。
「怒らせた?」
 振り返って幼馴染に聞いてみたが、武士のような彼、島野原麻人<しまのばらあさと>はゆっくり頷きながら言った。
「そういうことだ」
「でも一年も前のことだし」
「覚えていて欲しかったのだろうな」
「あちゃー」
 そんな無茶なと思いつつも、可哀想なことをしたのかもしれない。
「つかさ、何でお前経由で呼び出し? 面識あったっけ?」
 島野原はサッカー部ではなかったから、宇田との繋がりは無いはずだ。
「よくお前の試合の応援に行ってたからな。向こうがこっちの顔を覚えていたらしい」
「まぁ、俺も覚えていた」と彼は言う。
「そしたらたまたまバッタリ廊下で会った」
「へー。すっげぇ偶然」
 確かに試合の度に応援に来てくれていたから、スタメンの顔は覚えていたのだろう。だが宇田の方も島野原を認知していたとは驚きだ。そして今日出会ったことも。
 でもまぁ学年がひとつ違うため、校内の階も違っている。今回の奇跡のようなバッタリはもう無いだろう。
 大嫌いと言われたのだ。わざわざ謝りに行ったりせず、このままフェードアウトが無難に違いない。
「ほいじゃまっ、もうこれはこれで終了! あいつの高校デビューが上手く行きますよーに!」
 神社でお参りをするようにパンパンと手を叩いて一礼。これでよし。
「島野原、かーえろっ」
 俺は笑顔で振り返った。

 春の珍事件。いや、事件でもないか。
 また記憶に残ることなく消える出来事なのだが。
 どういうことですか神様。

「片村先輩、帰りますよ」

 次の日から毎日放課後、二年生の教室に迎えに来るだなんて。

 だから、えーっと、その。なんだ。

「どゆこと?」

 彼に振り回される高校二年の生活が始まったのだった。


○プロローグ――終了