先のことは、誰にもわからない。
 けれど先のことがわからないから、人は笑って
生きられるのかも知れない。不意に、結子の声が
して蛍里は意識を引き戻された。

 「折原さん。そろそろ食べないと、時間なくな
っちゃう」

 その声にはっとしてテーブルを見れば、いつの
間にか目の前にマルゲリータが置かれている。

 蛍里は慌ててタバスコを手に取り、振った。

 「あっ、ちょっと!」

 「はい?」

 「タバスコ、かけ過ぎないようにね」

 いつかの失敗を思い出して、結子がすかさず
念を押す。

 蛍里はあの時の激辛ピザを思い出し、笑った。





 その日も、蛍里はお気に入りの大型書店で、
心ゆくまで本を探していた。休日に蛍里が家を出
る用事と言えば、書店巡りくらいで、すでに鞄に
は何冊か本が入っている。

 家から数駅離れたこの街は大きな書店が多く、
中でもお洒落なカフェが併設されているこの店は、
学生時代からよく利用しているお気に入りの店だ
った。

 あともう一冊、面白そうな本があったら買おう。
そして、隣のカフェでゆったりと本を読んで過ご
そう。蛍里はこれから訪れる至福の時間を想像し
ながら、本棚を見て回った。

 入口にほど近い新刊書コーナーで立ち止まる。

 壁一面に括りつけられた本棚に、端から端ま
でずらりと単行本が並んでいる。蛍里は宝探しを
するような心持で、本棚を眺めた。

 そうして、新刊書コーナーの一角に平積みされ
ている本に目を留めた。

 タイトルに惹かれ、その本を手に取って見る。
『恋に焦がれて鳴く蝉よりも』という、詩のような
そのタイトル。

 これは、都々逸(どどいつ)という江戸後期に流行した七・
七・七・五の四句からなる俗曲の一部だ。あとに、
『鳴かぬ蛍が身を焦がす』という七・五の語句が
続くのだが、大学時代に文学部を専攻していた
蛍里は、卒論のテーマにこの都々逸を取り上げ
たのだった。

 きっと、ままならぬ恋心を描いた恋愛小説に
違いない。蛍里は作者が気になって、本の背
表紙を見た。そして思わず声を上げそうになった。

 そこには、もう二度と読むことが出来ないと
思っていたアマチュア作家、『詩乃守人』。

 その人の名があった。

 「!!!!」

 蛍里は夢でも見ているのだろうか?と、一度目
を擦ってから、もう一度その名を確認した。けれど
間違いなく、そこには彼の名が記されている。

 そうして、本の横に立てかけられたポップに目
をやれば、その瞬間に心臓は跳ね、全身の肌が
粟立った。

 この物語は実話かフィクションか?
 大企業の役員から作家に転身した『詩乃守人』
渾身の一作!!

 間違いない。彼だ。

 蛍里は震える手でその本を握りしめ、レジへと
急いだ。