恋に焦がれて鳴く蝉よりも

 その封筒に記してある文字を見て、父がこれ
以上ないほどに目を見開く。僕は父が何かを口
にする前に、その言葉を言った。

 「責任を取らせてください」

 辞表を差し出しながらそういった僕に、やはり、
父は声を荒げた。

 「何言ってるんだ!お前が辞めることは何もな
いじゃないか!」

 ドサ、とまたソファーに腰を下ろして、父が僕の
顔を覗く。

 予測していた通りのことを言ってくれた父に、
僕は首を振り、父を説き伏せるべく、ずっと考えて
いたことを口にした。

 「会社のことを最優先に考えられない僕が経営
側の人間として残れば、少なからず社員の心象を
悪くします。それに、合併の話を進めるなら、後継
者の不在という問題も自ずと解決する。中途半端
な覚悟で縁談を受けてしまった僕に、責任の一半
はあるんです。ここで退くのが、最善かと」

 穏やかに、けれど、確乎たる決意を込めてそう
言った僕に、父はゆっくりと首を振る。父の目には
苦渋の色が滲んでいる。

 「わたしは、実の息子と思って、お前を側に置い
ているんだ。なのにどうして甘えてくれない?親子
だろう。お前はわたしの息子で、わたしはお前の
父親だろう?」

 父の声は涙に揺れていた。けれどその言葉に
は、僕の決断を甘受するような響きがあった。

 僕は微笑を浮かべる。

 この寛大な父は、すでに僕が別の道を歩き出す
ことを赦してくれている。

 この人の息子になれて良かったと、改めて思う。

 「実の父と思っているから、こんな我が儘を言え
るんです。どこにいても、僕はあなたの息子です。
不肖の息子の行く末を、どうか見守ってください」

 そう言った僕に父が見せたのはあの日、茜色
の空を背に見せた顔だった。




 その知らせが届いたのは、あまりにも突然だ
った。

 仕事を終え、帰宅してポストの中を見ると、
そこにはポスティングされたチラシにまみれ、
一通の若菜色の封筒が投函されていた。

 見慣れた封筒だが自宅に届くことは、珍しい。

 蛍里はサカキグループから届いたその封筒を
手に、部屋へと向かった。荷物を下ろし、コートは
着たままで手紙の封を切る。そして、三つ折りで
入っていた一枚の手紙を広げた蛍里は、その内容
を目にした瞬間、驚きから息を呑んだ。

 そこには、サカキグループが同業であるトウ
ショウホールディングスと資本・業務提携を行う
という旨が記されていた。

 つまり合併する、という話だ。

 難しいことはよくわからないが、『事業や経営
に関する権利の移転を伴わず、従業員を守ると
いう方向性が一致したうえでの経営判断』と書い
てある。

 ということは、社員の処遇は今までと大きく
変わらないということだろうか。

 けれど、専務はどうなるのだろう?