いつだったか、滝田の手の平が自分の頭にの
せられた時も、温かいと感じた。なのにどうして、
その手を、彼を、恐ろしいと思うようなことが、
起ってしまったのだろう。

 蛍里は急に悲しくなって、俯いた。

 その蛍里の胸の内を察したのか、専務が諭すよ
うに言う。

 「彼はとても真面目な男です。それでも、想い
を寄せる女性が自分に気を許していれば、箍が外
れてしまうこともある。あなたに、その気がある
ならそれで問題はありませんが、ないのなら……
むやみに隙を見せないことです」

 彼が言ったことはあまりに正論で、蛍里は頷く
ことしか出来なかった。自分はきっと、無防備す
ぎたのだ。彼は男で自分は女なのだということを、
忘れてしまっていた。

 ただ、滝田が優しくしてくれるのが心地よくて、
嬉しくて、それ以上のことを滝田が求めてくるこ
となんて、想像もしていなかったのだ。

 だから、「ちょっと休憩しよう」と、誰もいな
い部屋に誘われても、何も感じなかった。

 「わたしがいけなかったんですね。もっと早く、
滝田くんの気持ちに気付いていれば……」

 蛍里は唇を噛んだ。

 彼に恋心を抱くことはなくとも、友人としてはと
ても大切だ。もう、今までのように笑ってくれない
かも知れない。そう考えるだけで、胸が苦しくなる
くらい、滝田の存在は大きかった。

 暗い顔をして黙り込んでしまった蛍里に、専務
が息をつく。蛍里はおずおずと顔を上げた。

 「だから、気付いてないのか?と、あの時訊い
たんですが……まあ、彼のことです。心配は要ら
ないでしょう。少しして落ち着いたころに、彼の方
からあなたに声をかけてくるはずです。それより、
そろそろ戻ったほうがいい。五十嵐さんがあなたの
ことを気にかけているようでした」

 そこまで言われて、蛍里ははっとする。自分が
席を立ってから、いったいどれほどの時間が経っ
たというのだろう。

 「すみません。わたし、戻ります」

 蛍里が慌てて踵を返そうとしたその時、専務の
懐で携帯が振動した。ちょうど良かった、と言いた
げな顔をして、専務は携帯を取り出す。

 「僕はここで話してから行きます。あなたは、
先に戻っててください」

 ひら、と蛍里に手を振ってそう言うと、彼は背を
向けて携帯を耳にあてた。2人で戻るよりも別々
の方が変に詮索される心配がない、ということだ
ろう。

 蛍里は彼の背中に頭を下げると、結子に何と
言おうか考えながら、専務のハンカチをポケット
に押し込んだ。



 
 「でね、谷口さん、うちの女子社員を全員呼ぶ
ことに決めたんだって。すごいと思わない?」

 翌日の昼休み、久しぶりに二人でご褒美ラン
チを食べながら蛍里の顔を覗き込んだ結子に、
蛍里は、「はあ…」と、うっかり生返事をしてし
まった。