走り出した車のサイドミラーに、コンビニに
入って行く滝田の後ろ姿が映る。蛍里はその姿
が見えなくなると、専務に何と切り出そうか、
考えた。

 もちろん、訊きたいことというのは、あの本
のことだ。
 
 あの時、タイミングを逃してからすっかり失念
していたが、もし、あの本の持ち主が専務なら、
同時に、彼が詩乃守人である可能性も出て来る
のだ。

 それは、知りたいような、知りたくないような、
複雑な心境ではあったけれども。

 「何か、考え事ですか?」

 滝田が降りてからずっと黙り込んでいた蛍里
に、専務の方が先に声をかけてくれた。蛍里は
はっと、専務を向いて頷く。訊くならいまだ。

 「はい。ちょっと、専務に訊きたいことが
あって」

 「僕に?」

 「はい」

 緊張した面持ちでそう言った蛍里に、専務は
ちら、と蛍里に目を向けた。

 「僕に答えられることなら、何でも」

 そう、言いながら専務は車線を変更し、車は
信号で停まる。早く訊かなければ……蛍里の家
までは、ここからあと数分だ。蛍里は息を整えて、
言った。

 「前に……レストランの視察をした時、横川流
星の『探偵のいう通り』が面白かったって、専務、
言いましたよね?もしかしてその本、落としたり
していませんか?わたし、職場で拾って……
家に二冊あるんです」

 食い入るように自分を見つめながらそう言った
蛍里に、専務はくすりと笑って、首を振る。どう
してそんなことを真剣に訊くのか、わからないと
いった様子だ。

 「落としてませんよ、僕は。娯楽として買った
本を、職場で読むことはないので。僕に訊きたい
ことというのは、それだけですか?」

 さらりと、何の迷いもなく、そう答えた専務に、
蛍里は一瞬、呆けてしまった。

 落としていない。
 確かに、いま、専務はそう言った。

 となると、彼が詩乃守人である可能性は必然
的に消えることになる。蛍里は何だか、がっかり
したような、ほっとしたような、何とも形容しがた
い心地だった。

 そうして、詩乃守人という人物がどんな人なの
か?

 尚更、会って確かめてみたい気持ちになる。

 詩乃守人が専務とは別人で、自分が本当に
惹かれているのは彼なのだと自覚できれば。

 「折原さん?」

 思い詰めたような顔をして黙ってしまった蛍里
に、専務が声をかける。声には気遣うような響き
がある。

 「あっ、すみません。専務が落とした物じゃな
いなら、いいんです。気にしないでください」

 本当は、専務の本だったら良かった、と、心の
片隅でそう思いながら、蛍里は笑って髪を掻き上
げた。専務が小首を傾げる。

 可笑しな人だと、思っただろうか?