あらためて考えてみれば、それはやはり、愛人
とか、略奪愛とか、そういう類の話になるわけで、
蛍里にとってはとんでもない話だった。

 けれど、昼間見た専務の顔も頭から離れない。

 (もしかして他に、心に想う方がいるんです
か?)

 そう訊いてしまった時の、寂しげなあの笑み
は、息が苦しくなるほど蛍里の胸を締めつけて
いた。

 もう、考えるのをやめよう。

 自分には、どうすることもできないのだから。

 そう、気持ちを切り替えると、蛍里はパソコン
を開いた。詩乃守人のサイトを開く。

 ちらちらと、淡色の花びらが舞っている。

 十三作目を読んだまま、まだ感想を送ってい
なかった。彼は、待ってくれているだろうか?

 知らず、口元に笑みを浮かべると、蛍里は
メールフォームを開き、宛名を書いた。

 さて、なんと書こう?

 物語は、男子校で世界史を教えている女性教
師が、婚約者を持ちながら生徒と恋に落ちてしま
うという、“禁断系”の話だった。女性の視点で描
かれたその物語は、途中、切ない結末を予想さ
せながら、最後には胸が熱くなるようなエンディ
ングを見せてくれた。

 彼の綴る物語は、どれも読後感が爽やかな
のだ。蛍里は少しの間考えてから、キーボードを
打ち始めた。


 “詩乃 守人様

 「白いシャツの少年」、読みました。
頑なに、生徒への想いを否定していた主人公が、
彼のひたむきな愛情によって、少しずつ自分を
“赦していく”さまが、読んでいて共感できました。
「どうにもならない」と始めから諦めてしまえば、
何ごとも上手くはいかないのですね。
顔合わせの席に彼が乗り込み、主人公をさらっ
て行くシーンは、とても胸が熱くなりました。
わたしもこんな恋がしてみたい。
詩乃守人さんの作品を読むと、
いつもそういう気持ちにさせられます。
                
               HOTARUより”


 もっとたくさん、書きたいことがあったような
気もしたが、あまりに想いを全部詰め込んでしま
うと彼が重くなってしまう。蛍里はそこで送信
ボタンを押した。すっ、と画面が切り替わる。

 “作品をお読みいただき、ありがとうございます”
と、いつものメッセージが表示される。

 蛍里はパソコンの電源を切り、机に突っ伏した。

 数日後、彼から返事が届くだろう。いつものよ
うに、彼らしい繊細な言葉で、蛍里の想いに答え
てくれる。

 自分の心には“彼”がいる。

 だから、専務の顔を思い出して胸が苦しくなる
のは、きっと単なる同情に違いない。

 蛍里は瞼の中の専務を消し去ろうと、努力した。