「父が、漏らしてしまったんでしょうね。正式
に、両家の顔合わせが終わるまでは伏せてくれと
言ったのに……」

 父、というのはもちろん、サカキグループの
代表取締役、榊幸四郎(さかきこうしろう)のことだ。

 専務室の隣が社長室ということもあり、時折、
社長室へもお茶出しを頼まれることがある。

 だから、蛍里は他の社員に比べると、社長と顔
を合わせる機会が多かった。その社長の顔が頭に
浮かぶ。

 「おめでとう」と言われて顔を強張らせている
専務とは裏腹に、社長は満面の笑みでこの話を
口外したに違いない。蛍里は浅はかな自分の発
言を後悔しながら、じっと、口を噤んだ。

 その蛍里を見て、専務が口元に自嘲の笑みを浮
かべる。

 「あなたが知っている、ということは、既に社員
のすべてが知っていると思っていた方がいいんで
しょうね。怖い顔をして、すみません。別に気分を
害したわけではないから……そんな顔しないで
ください。でも、『おめでとう』という言葉は、
正直言ってしまうと、僕の心情には相応しくないん
です」

 ゆらゆら、とグラスの中の液体を揺らしながら、
榊専務が口にする。そうして、一気にそれを飲み
干すと、吐き出すように言った。

 「この結婚は、俗にいう政略結婚なので」

 蛍里と榊専務の視線が絡み合った。

 いま言わなければ、一生、誰にも言うことがで
きない。そんな気持ちが、その言葉から感じられ
て蛍里は無意識に唇を噛む。胸が痛むのは、彼
が傷付いた顔をしているからか?

 訊いてはいけないと思うのに、蛍里は“知りた
い”と思う気持ちを止められなくなってしまった。

 「お相手の方が、好きではないんですか。少し
も?」

 「まあ。嫌いではないけれど、好きでもないで
す」

 蛍里の問いかけに、何の躊躇いもなく専務が
答える。

 嫌いではないけれど、好きでもない。

 その言葉は、端的に“嫌い”と口にするよりも
ずっと、心が遠い気がした。だから余計に、蛍里
は彼の本心をもっと知りたくなってしまう。

 「もしかして他に、心に想う方がいるんです
か?」

 分を弁えない、行き過ぎた質問だった。

 そうわかっていても、蛍里は彼から目を逸ら
せない。

 専務が一瞬、驚いたように目を見開いた。
けれど、じっと答えを待つ蛍里に、彼は言葉で
はなく、深い深い笑みを浮かべ、答えた。

 蛍里はその笑みに、ぎゅっ、と心臓を掴まれた
ように苦しくなってしまった。まさかこんな風に、
彼の本心を知ることになるなんて……