「この辺りは、六月を過ぎる頃になると源氏蛍
を見ることが出来るんです。あの物語のタイトル
は、この川で見た蛍と、あなたとを思い重ね、
決めました。鳴かぬ蛍が身を焦がす。恋しいと
鳴けないあたなが、この場所で微笑う姿を想え
ば、ここで待つ時間も苦ではなかった」
穏やかにそう語る彼を、蛍里は少し照れた顔
をして見上げる。
物語のタイトルに自分の存在が投影されるこ
とも、自分が物語の登場人物に描かれることも、
彼が『詩乃守人』でなければ、あり得なかっただ
ろう。
蛍里は、ふと、読者の心情に立ち戻り、言った。
「あの物語の感想、いま、『詩乃守人』さんに
伝えていいですか?」
唐突に、腕の中でそんなことを言い出した蛍里
に、彼は面映ゆい表情を見せる。
そうして小さく頷き、「どうぞ」と、蛍里を促した。
「詩乃守人さんの新作、拝読しました。そして、
途中から涙が止まりませんでした。書店のカフェ
で出会った彼女は、おそらく、その彼を待つのが
恥ずかしかったのではないでしょうか。もし、わた
しがその彼女なら、出会ったばかりの男性に心
惹かれてしまう自分を、受け止められないと思う
からです。けれど、奇跡的に彼と再会を果たした
彼女は、もう一度彼に惹かれていきました。彼女
はきっと、二度恋に落ちたのだと思います」
手紙の文章を読み上げるように、そう語った
蛍里を、彼は双眸を大きく広げ、見つめた。
蛍里は彼の頬に手を伸ばす。ほんのり、熱を
持っているように感じるのは、気のせいではない
だろう。
「あなたが、あの時の彼だとは気付かなかった
けど、わたしも、あなたに惹かれていました。
でも、わたしは臆病だったから」
そう言って、時が止まったように自分を見つめ
続ける彼を、蛍里は不安げに覗く。
「あの、一久さん?」
初めて彼の名を口にすると、やっと我に返った
ように、彼は細く息を漏らした。
そうして、呟くように言った。
「あの物語の続きを、書きたくなってきました」
「続き、ですか?」
歓びからそう反芻した蛍里の目に、彼の微笑す
る顔が映る。
その顔は、心惹かれたもう一人の彼、
『詩乃守人』のものだった。
=完=
※この物語を読了くださいまして誠にありがとう
ございます。読者様とご縁をいただけましたこと、
心より感謝いたします。 橘 弥久莉
を見ることが出来るんです。あの物語のタイトル
は、この川で見た蛍と、あなたとを思い重ね、
決めました。鳴かぬ蛍が身を焦がす。恋しいと
鳴けないあたなが、この場所で微笑う姿を想え
ば、ここで待つ時間も苦ではなかった」
穏やかにそう語る彼を、蛍里は少し照れた顔
をして見上げる。
物語のタイトルに自分の存在が投影されるこ
とも、自分が物語の登場人物に描かれることも、
彼が『詩乃守人』でなければ、あり得なかっただ
ろう。
蛍里は、ふと、読者の心情に立ち戻り、言った。
「あの物語の感想、いま、『詩乃守人』さんに
伝えていいですか?」
唐突に、腕の中でそんなことを言い出した蛍里
に、彼は面映ゆい表情を見せる。
そうして小さく頷き、「どうぞ」と、蛍里を促した。
「詩乃守人さんの新作、拝読しました。そして、
途中から涙が止まりませんでした。書店のカフェ
で出会った彼女は、おそらく、その彼を待つのが
恥ずかしかったのではないでしょうか。もし、わた
しがその彼女なら、出会ったばかりの男性に心
惹かれてしまう自分を、受け止められないと思う
からです。けれど、奇跡的に彼と再会を果たした
彼女は、もう一度彼に惹かれていきました。彼女
はきっと、二度恋に落ちたのだと思います」
手紙の文章を読み上げるように、そう語った
蛍里を、彼は双眸を大きく広げ、見つめた。
蛍里は彼の頬に手を伸ばす。ほんのり、熱を
持っているように感じるのは、気のせいではない
だろう。
「あなたが、あの時の彼だとは気付かなかった
けど、わたしも、あなたに惹かれていました。
でも、わたしは臆病だったから」
そう言って、時が止まったように自分を見つめ
続ける彼を、蛍里は不安げに覗く。
「あの、一久さん?」
初めて彼の名を口にすると、やっと我に返った
ように、彼は細く息を漏らした。
そうして、呟くように言った。
「あの物語の続きを、書きたくなってきました」
「続き、ですか?」
歓びからそう反芻した蛍里の目に、彼の微笑す
る顔が映る。
その顔は、心惹かれたもう一人の彼、
『詩乃守人』のものだった。
=完=
※この物語を読了くださいまして誠にありがとう
ございます。読者様とご縁をいただけましたこと、
心より感謝いたします。 橘 弥久莉
