ふふ、と目を細めてそう言った蛍里に、結子の
返事はなかった。そのことを不思議に思って結子
を見れば、彼女の目はすでに滝田が見えなくな
った会社の出入り口に向けられている。

 「五十嵐さん?」

 怪訝な顔をして蛍里が声をかけると、結子は
はっ、としたように蛍里を向いてぎこちなく
笑った。

 「ごめん。滝田くん、若いのに頑張ってるなと
思って」

 「はい、本当に。販促って残業も多くて大変な
のに、彼が愚痴こぼしてるの聞いたことないし、
同期の私から見ても、滝田くんは頼もしいです。
それで五十嵐さん、クッキーなんですけど……」

 「ああ、半分くれるのよね?ありがと。この店
のクッキー、私も大好きなの」

 ようやく、いつもの顔でそう言って結子が歩き
出す。

 蛍里は結子の数歩後を追いかけるように歩いて、
隣りに並んだ。

 「じゃあ、給湯室で分けたら渡しますね」

 蛍里がそう言うと、結子は微笑しながら経理部
の扉を開けた。




 家に帰ってパソコンを開くと、メールの受信ボッ
クスに「詩乃 守人」の名前があった。

 あの返事だろうか?

 蛍里はゆっくりと息を吸って呼吸を整えると、
メールを開いた。

 そのメールには、ファイルが添付されていた。

 “HOTARU様

 今日はあなたに読んでもらいたい作品があって、
ファイルを添付しました。
七作目の「月の通りみち」連載直後に書いたもの
ですが、サイトには公開せずお蔵入りしていたも
のです。シリーズを完読されていない方には意味
のわからない物語ですが、あなたなら楽しんでも
らえると思います。短編なので、箸休め程度にお
読みいただければ幸いです。

 感想、楽しみにしています。  詩乃 守人“

 私もこうして、あなたと繋がっていたいです。

 蛍里のその想いに対する返事は、書かれてい
なかった。けれど、サイトには公開されていない
作品を特別に読ませてもらえることと、彼がその
感想を待ってくれているというだけで十分だった。

 早く読んで返事を書きたい。
 蛍里はさっそくファイルを開いた。

 Wordに綴られた原稿は十ページある。逸る
気持ちのまま活字に目を走らせれば、今では
すっかり読み慣れた彼独特の文体と物語の世界
が蛍里を待っていた。

 蛍里は夜が更けてゆくのも忘れて、物語に
浸った。一気に読み終えて感想を書き終えた
頃には、カーテンの隙間から瑠璃色の空が覗
いていた。