4:多喜田友佑



 6月最後の土曜日、ヒナちゃんは変わらず喫茶ひだまりに来ていた。

 シアーシャツを羽織り、なるべく露出を控えた服装の彼は、やはり体つきが男性的なことを気にしているのだろう。それでも女物の服装に身を包んでいる彼は、はたして心はどちらなのだろうか。

 いつもはパンケーキを選ぶヒナちゃんは、今日はサンドウイッチを頼んだ。僕は毎回彼の選んだものを頼んでいるから、僕もサンドウイッチをお願いする。甘いものがあまり得意ではないので、パンケーキではなかったことに密かに胸を撫で下ろした。

 「あのさ、ヒナちゃんに聞きたいことがあるんだけど」

 「なに?」

 「みやこあかりちゃんって、知ってる?」

 みやこあかりちゃんのお母さんの顔が、目の前のヒナちゃんと重なる。ヒナちゃんは写真の顔とそっくりな大きな瞳で僕をじっと捉えた。

 「ごめん、知らないなぁ。誰? 芸能人?」

 「いや……僕と同じ保育所に通ってた子で……その、あかりちゃんのお母さんが、君にそっくりだったから」

 何だかヒナちゃんを暴こうとしているみたいで罪悪感からつい語尾が小さくなる。そんな情けない僕を見ても、ヒナちゃんは嫌な顔をせず「へぇ!」と明るい声を返した。

 「私、当然なんだけどさ化粧でかなり顔を盛ってるんだ。こんな顔になりたいなって! いいなぁ、素敵な女の人なんだろうなぁ。会ってみたい!」

 「その……変なこと聞いてごめんね」

 「全然いいよー! 同じ顔の人が出てきたらびっくりするよね! あ、もしかしてドッペルゲンガーだったりして?」

 僕が重く考えていたのが馬鹿みたいに、ヒナちゃんは陽気に笑いながらサンドウイッチを控えめな一口でかじる。僕はそんな彼をまっすぐ見ながらアイスコーヒーを飲み込んだ。

 嘘をついているようには見えない。でも、こんな偶然があるものかと疑ってしまう自分もいる。

 ヒナちゃん自身がみやこあかりの母ではないことは確かだ。写真に写っていた女性は身長が高くても160センチほどだろう。ヒナちゃんは確実に170センチ近くあるし、喉仏ももあるし、手の大きさも男性そのものだ。本人ではないのならモデルがみやこあかりの母だったということも考えられる。なら、なんでそのことを隠す必要があるのだろう。

 ……考えすぎかもしれないけれど、もしかしてヒナちゃんって僕の身近な人だったりする?

 大きくない街に住んでいる僕たちは、力や勝ちゃんを幼馴染と言っているけど、他にも同じ保育所出身の人はちらほらいる。単純に殆ど関わりがないから彼らを幼馴染と思っていないだけで、力と勝ちゃん以外にも同じ写真を持っている人は存在しているのだ。

 「そんなに気になるんだね、みやこあかりちゃん?」

 「え」

 ストローをくわえたまま固まっていると、ヒナちゃんが頬杖をしながら声をかけてきた。動くたびに揺れる長いポニーテールは人工的な髪だけどサラサラしていて気持ちよさそうだった。

 「同じ保育所だったんでしょう? 知り合いの誰かに聞いてみたらいいんじゃないかな? 誰かどこの高校に行ったとか知ってるかもよ?」

 「それが、その……あかりちゃんは、事故で亡くなってるんだ」

 「なら事故の記事を調べてみる? いつの話?」

 「え、えっと……僕らが卒園した頃だから10年前の3月だと思う」

 「この街の事故なら検索したら出るんじゃないかなぁ」

 ヒナちゃんは手を拭くと鞄からスマホを取り出した。透明なスマホカバーからはさめてあるクラルスのステッカーが見えており、確かこのステッカーも動画の中で開封したものだった。それを見ると彼が本当にあのヒナちゃんねるの本人なんだと感じ、浮足立つような不思議な気分になる。

 スマホをササッと操作すると、ヒナちゃんはニコリと笑って僕に画面を見せてくれた。

 「ほら、あったよ」

 「あ、ありがとう」

 『女の子(6)が川に転落』。

 事故と聞いていたから勝手に交通事故だと思っていたが違ったらしい。読み進めると、母親と一緒に橋を渡っていたところ、宮古朱梨ちゃんが橋を覗きそのまま転落してしまった。すぐに通報を受け捜索されたが1時間後に遺体で発見された。

 痛ましい事故の内容に、僕は思わずヒナちゃんの顔を見た。ヒナちゃんも内容を読んだのか眉を八の字にして瞳を僅かに揺らした。

 「可哀想」

 「そうだね……」

 「それで、友佑クンはこの子のお母さんと私、何か関係あると思う?」

 「いや、全然……」

 記事には特に母親の顔も名前も出てこない。もし、ここで母親の顔が出ていれば全く見も知らずの人間でも朱梨ちゃんの母の顔を真似でいると思ったがそうではないらしい。

 なら、偶然? それとも本当に……身近な誰かなのか?

 「また悩んでるー! もう! そんなに私が誰なのか気になるの?」

 「え、あっ、いや、それは……」

 「私は趣味で女装して、趣味でミーチューバーをしている男子高校生。それ以上でも、それ以下でもないよ! 高校も知りたい? そうしたらスッキリする?」

 「え? いや、えっと……」

 「関根高校だよ」

 それは、僕の通う高校の名前だった。

 関根高校の2年生。それは間違いなく、僕の学年だった。

 僕がよほど間抜けな顔をしていたのだろう。ヒナちゃんはおかしそうに笑うと、残りのサンドウイッチを先ほどより大きな口に含み、あっという間に平らげた。そして、すばやくお勘定を机に置いて立ち上がる。

 「引き続き応援よろしくね、友佑クン」

 「まっ、あ」

 長い髪を翻し、ヒナちゃんは僕が食べ終わるのを待つことなく喫茶ひだまりから颯爽と出て行った。

 僕は彼の置いていったお金を見ながら、グルグルと渦巻く頭を整理する。

 ヒナちゃんは、同じ高校に通う同学年の誰かだった。

 そして、宮古朱梨は不慮の事故で亡くなっており、母親の写真も名前も出回っていない。

 なら、やっぱりこれは偶然ではなくて……同じ保育所に通っていた誰かがヒナちゃんの可能性が高い。

 僕は真っ先に保育所から馴染みのある力と勝ちゃんを思い浮かべていた。力は左目の下に泣きぼくろがあるが化粧を施せば隠せるだろう。さらに演劇部で化粧をしていることもあるし、演技もできる。だけど、それなら勝ちゃんにわざわざ朱梨ちゃんのことを聞いた理由が分からないし、彼がヒナちゃんなら僕に言ってくれるはずだ。

 なら、勝ちゃんはどうだろう。勝ちゃんは何でも卒なくこなすから化粧とかもできそうではある。でも、彼の顔の左半分は火傷の痕があり隠すのはかなり至難の業だろう。それに、彼がヒナちゃんなら自分から僕に朱梨ちゃんの情報を提供してくる意味がわからない。

 ということは、普段関わることのない誰かなんだろう。

 ヒナちゃんは好きだ。今まではまったことのない世界を見せてくれて、今誰よりも推している存在だ。

 でも、死んだ女の子の母親とそっくりな顔をしていて、僕に接触するなんて偶然だとは信じられない。

 ヒナちゃんを純粋に推したい。だからこそ、彼のことをもっと知りたい。

 僕は、残ったサンドウイッチを頬張った。