4:多喜田友佑



長かったゴールデンウィーク後の1週間も終わり、土曜日は推し活をするべく街に出た。

 ヒナちゃんはグッズ販売とかしていないので、グッズが欲しい僕は基本的に自作している。最近は幸いにも推し活が社会的に流行していて、100均にもたくさん推し活グッズが置いてある。今日はヒナちゃんがSNSで上げた絵を印刷したのでキーホルダーにするための物を買いに行く。彼は絵が決して上手ではないが時々ネットにうさぎの『うさぴょん』というキャラクターを描いて投稿していた。僕は彼が描いているという事実だけでうさぴょんが大のお気に入りになり、こうやって勝手にグッズ化している。もちろん、自己満足にしか使用していない。

 推し活の為に動いているとやっぱり気持ちが洗われる気がした。勝ちゃんと嫌々バスケのパステストをしたことも、英単語の小テストが思ったよりできなかったことも、ヒナちゃんのことを考えていれば忘れられる。僕は思わずスキップしたくなる気持ちを抑えながら、体の代わりに心を弾ませた。

 そんな100均に向かういつもの道、ふわっと花のような香りが通りすがる。

 何となくその香りに僕は横を見て……そして、思わず息を止めかけた。

 「 」

 突然のことで声が出なかった。一瞬の出来事だったけど、僕はその顔を間違えるわけがない。

 長い向日葵のような金髪に、サファイアのように青く輝く瞳……甘いピンクベースのメイク、そして僕と同じくらいの身長……。

 「あっ、な、の!」

 「……え?」

 推しの顔が、僕の間抜けな声に反応してこちらを向いた。

 正面から見た彼女……いや、彼は画面の向こうと何ら変わりがなくて大好きな顔をしていた。間違いなく、彼はヒナちゃんだった。

 彼が振り向いたときにまた何かの花の香りがふわっと鼻を掠める。僕は彼が想像以上に女性的であることに思わず生唾を飲み込んだ。

 「えっ、と、ひ、ヒナちゃ……」

 「あー、もしかして視聴者さん?」

 僕が絞り出した名前に反応して、ヒナちゃんが花が咲くように笑った。その瞬間に、僕の胸が締め付けられるように苦しくなる。

 「へぇー、意外と私も有名になってきたのかな?」

 あはは、と可愛く笑う彼を前に、僕はなんとか息をする。背丈は殆どと僕と同じで男の子なのだと現実が突きつけてくるが、それでも惚れた弱みなのか彼がこの世界で誰よりも可愛いと思ってしまう。

 「あの、い、いつも見てます……」

 「そうなんだ、応援ありがとうね!」

 帽子を少しだけ上げてファンサービスが如くウインクをしてくれる。そんな彼に、僕はもう釘付けだった。

 「サ、サインください!」

 「サインかぁ。考えてなかったんだよねー。普通に記名になっちゃうけどいい?」

 「も、もちろん! 家宝にします!!」

 「大袈裟だなぁ。あ、でもマルカリとかに出品しないでね? さすがに凹んじゃうからさー」

 本当は色紙を用意したかったが突然のことで手元にあるのはスケジュール帳だけだった。僕は慌ててそれとボールペンを取り出し彼に差し出す。ヒナちゃんはそれらを受け取るとサラサラとサインを書き始めてくれた。

 「えーと、お名前は?」

 「ゆ、友佑……友だちの友に、人偏に右で佑です」

 「友佑くん、ね。はい、どうぞ」

 「あ、ありがとうございます」

 長く白い指には可愛いピンクのネイルが施されている。服は身長が高い女性用なのかダボッとしたワンピースを着ていて、本人が明記していなければ本当に女の子と錯覚してしまいそうだった。

 差し出されたスケジュール帳には丸っこい字で真ん中に「ヒナちゃんねる」と書いてあり、上には「友佑くんへ」と書いてあった。僕はそれだけで涙がこみ上げてきて、そんな歪んだ僕の顔を見てヒナちゃんが朗らかに笑う。

 「そんなに喜んでもらえると私も嬉しいよ。ありがとうね、友佑クン」

 「あ、や、その、ずっと応援してます! というか普段も、その、女装してるんですね」

 「趣味だからね。あ、学校ではちゃーんと男の子だよ! 休日の楽しみなんだ」

 「そ、そうなんだ……その、実物も、その、凄く可愛くて……あの」

 ファンの一人として声をかけたこと自体許されないかもしれない。でも、こんなチャンスを逃すほど僕はできた人間ではない。

 どうにかして、ヒナちゃんとのつながりを持っていたくて僕はゴニョゴニョの言葉を濁しながらどうするべきか考える。

 そしてでてきた言葉は、彼のことを全く考えていない僕の願望だけだった。

 「おと、お友だちになってくれませんか……」

 引かれたかな……?

 後悔したのは声に出してしまった後だった。見も知らずの男に急にファンだと声を掛けられた挙句お友だちになってほしいなんて伝えられて、迷惑極まりないだろう。

 でも、ヒナちゃんは嫌がる顔をしないで「うーん」と考えるように首を傾げた。長い髪はとてもサラサラで、かつて動画内でウィッグと話していなければ本物なのか区別もつかない。

 「そうだね、第2、4土曜日は11時、そこを真っすぐ行ったところにある『ひだまり』っていう喫茶店によほどのことがなかったら行くようにしてるんだ。もし、君が本当にお友だちになりたかったら来てみてよ」

 「ひ、ひだまり」

 「うん。今日はもう行ってきた後なんだ。お気に入りの場所なの。パンケーキが凄く美味しくってさ! だから友佑クンも、よかったら行ってみて?」

 でも、と言いながらヒナちゃんが僕の口元に人差し指を立てる。

 「2人だけの内緒だよ?」

 ウインクと共に言われてしまえば僕は頷くしかなくて何度も頷いた。それを見て満足したのか、ヒナちゃんは「ふふ」と笑いながら僕から少し距離を取った。

 「じゃあ、そういうことで! じゃあね友佑クン!」

 「あ、ありがとう……!」

 クルリとスカートを翻して、彼は優雅に立ち去る。僕はその後ろ姿が見えなくなるまで立ち尽くすことしかできない。

 何て、可愛いんだろう……。

 実物がこんなに可愛いなんて思いもしなかった。それにサインも貰えたし……第2、4土曜日11時には喫茶店『ひだまり』に行けば会えるかもしれない……。

 僕は、まるで白昼夢にでも遭ったのかのようにフワフワした気持ちで100均まで再び歩き始める。

 ドキドキとうるさない鼓動は、ずっと鳴り止まなかった。



 「おー、お帰り友ちゃん」

 「叔父さん、こんにちは」

 ヒナちゃんとの出会いに浮かれながら家に帰ると、我が家のリビングには叔父である多喜田晃司が我が物顔でソファにふんぞり返っていた。彼は警察官をしていて、自宅よりも我が家の方が警察署に近いという理由で時々こうやってやって来るのだった。両親も警察官をしている叔父さんには優しくて、1年前から合鍵を渡していてすっかり我が家は叔父さんの第二の自宅と化している。

 叔父さんは目の下にクマを作りながら、僕の隠すことのできないニヤケ面をじっと見てきた。僕はそれが恥ずかしくて慌てて目を逸らすけど、「友ちゃん」と呼ばれてしまい、逃げ場を失ってしまう。

 「何かスゲェ嬉しそうだな。なんかあったのか?」

 「え? まあ、ちょっとね。というか叔父さんは何撤目? クマ酷いよ」

 「あー、まだ3日目だよ。今日は午後休もらった」

 「確か、焼死体事件追ってるんだっけ? 犯人目星ついたの?」

 「いや、まだだな」

 僕はアイスコーヒーを台所で入れてきて、叔父さんの隣に腰を下ろした。叔父さんの話はもちろん他言無用だが、僕はその話が好きだった。と、いうのも自分の街で起こった事件だからどうなったのか気になるし、何より昔は警察官になりたいと思っていたから自分も一緒に考えることができるのが、不謹慎だと思いながらも楽しかったのだ。

 叔父さんが今回追っている事件は5日前に起きた焼死体事件だ。死体は早朝廃工場から煙が上がっているのを犬の散歩をしていた男性の通報で発見された。捜査初日には身元も不明だったが会社に無断欠勤している男性の行方不明情報が上がったところから、被害者の歯型の検証が行われ身元が判明した。でも、犯人の情報は全く掴めていいらしい。

 「確か被害者の男性が最後に発見されたのは21時でコンビニでお弁当を買っていたところだったよね。その後の足取りは掴めたの?」

 「いや、それがコンビニの後はパタリと姿を消しちまったんだよ。家にも帰らずに車にも乗らず、どこに行ったってんだ」

 叔父さんが深くため息をつく。僕は彼の話を聞きながら、そんな神隠しのようなことがあるのかと不思議に思っていた。

 「被害者のスマホとか荷物はまだ見つからないの?」

 「ああ、残念ながら。全く、やってくれるぜ」

 「じゃあ全然進展ないんだ」

 僕が呟くように言うと、叔父さんは「いやいや!」と背もたれに預けていた身体をガバッと起き上がらせた。

 「被害者の習慣が掴めたんだ! 大きな進歩だろ!」

 「習慣って?」

 「仕事の休みの土日、喫茶ひだまりに必ず昼食を取りに行ってたんだ。そこから更に被害者の関係者を探す」

 「ひだまりって……」

 ついさっきも聞いた言葉に、僕は思わず開いた口を塞げなくなった。

 ポカンとしている僕に、叔父さんが怪訝な顔を浮かべる。

 「ひだまりが何か引っかかるのか?」

 「あ、いや……何でもない」

 まさかヒナちゃんのお気に入りの喫茶店が、関係あるかもしれないなんて……。

 ヒナちゃんが事件に関係あるとは思わないけど、もしかしたら犯人が関係しているかもしれない喫茶店にヒナちゃんが通っているなんて大変だ。第4土曜日にヒナちゃんに伝えて、この事件が解決するまで行くのを控えてもらえないだろうか……。

 「叔父さん、はやく犯人見つけてね」

 「わかってるよ」

 その後の叔父さんの雑談は全く頭に入らず、僕はヒナちゃんのことであ頭がいっぱいだった。犯人が怨恨で殺人を犯したのか、猟奇的なものなのかはわからない。でも、もし後者だった場合、たまたま同じ喫茶店に通っているっていうだけで狙われてしまうかもしれないんだ。

 僕はまるで自分だけが彼を守れるという感覚に陥りながら、はやく2週間後にならないかと願うばかりだった。