4:多喜田友佑



 学校はすっかり文化祭シーズンとなり、特別日課が続いている。僕ら2年1組は美女と野獣の劇をやることになっていた。



 演劇部の力は演者になることを要求されていたが何とかその要求をかわし、僕と同じ小道具係になっていた。そりゃあ、劇に出る大半のクラスメイトが目立ちがり屋の陽キャばかりなのだ。そこに力が混ざることはないだろう。ちなみに勝ちゃんと男鹿くんも小道具係だ。



 僕は力に指示を仰ぎながら劇で使う背景のイラストの色を塗っていた。この驚くほどリアルな薔薇のイラストを描いたのは、勝ちゃんだ。うさぴょんなんて下手くそなウサギを描いていたヒナちゃんとは似つかないリアルなイラストを見た時は思わず本当に勝ちゃんがヒナちゃんなのかと思ってしまったが、完璧な彼の下手くそな絵に完璧に騙されていただけなのだとすぐに思い直した。



 力も演劇部で散々道具を用意してきたので、背景のイラストを塗るのもお手の物だった。後ろの人にも見えるようにと濃く塗られた赤い薔薇の色を作ったのは力だ。



 僕はチマチマ色を塗りながら大して役に立っていない。勝ちゃんが次々とイラストを書き上げ、力がさっさと合う色を作って塗っているのが殆どだ。



 細かい薔薇の色塗りに限界を感じながら、ふと背景を黙々と描いていた勝ちゃんの方を見ると、男鹿くんが話しかけているところだった。男鹿くんはバスケ部にもたくさん友だちがいるが、クラスではいつも勝ちゃんと一緒にいる。正直、物好きだと思う。



 「いいから行こうぜ、都筑!」



 「だから、そんなんじゃねぇって!」



 「ハイハイ! それは行けばわかるだろ?」



 いつも通り勝ちゃんがギャーと大きな口を明けて何かを言っていたが、男鹿くんヘラヘラと笑って勝ちゃんをなだめる。そして、強引に勝ちゃんの腕を掴み、イラストを描くのを制止していた。



 そこで勝ちゃんも何かに諦めがついたのか、ふらっと立ち上がると男鹿くんに腕を引かれるまま教室を出て行った。



 「どうしたんだろう」



 力が心配そうに呟く。僕は「さあ?」と首を傾げた。文化祭の準備といっても一応授業中だし、サボってどこかに行くのは肯定できない。でも、そもそも勝ちゃんも男鹿くんも授業をサボるような人じゃない。



 気にしていること数分で、男鹿くん一人が帰ってきた。困ったように眉を八の字にしながら僕らの方に寄ってくる。



 「曽田、そのイラスト塗るの俺もやっていいか?」



 「え、もちろん。勝ちゃん、どうかしたの?」



 「いやあ、何かスゲェ怠そうな顔してたから保健室行かせたんだ。行ってすぐはギャーギャー言ってたんだけど、少し休めってベットに入れたら何と数秒で寝落ちしちまった。親父さんのことで疲れてたんかもな」



 ……全然気付かなかった。



 僕は勝ちゃんがヒナちゃんだと知った時からかなり勝ちゃんを観察していたと思う。それでもその怠そうな顔には全く気づかなかった。それが何だか情けなかった。



 僕は結局、ヒナちゃんしか見ていないのかもしれない。勝ちゃんを、見ていなかったのかも。



 だが、勝ちゃんがいないのはチャンスだ。白鳥さんには放課後話を聞きに行こうと思っていたけど、男鹿くんからも何か聞けるかもしれない。



 「男鹿くん、白鳥さんのことなんだけど」



 「え? 何?」



 「白鳥さんって、勝ちゃんと仲いいの? 前、3人で話してたよね?」



 勝ちゃんがヒナちゃんだと知った日、勝ちゃんは男鹿くんと白鳥さんと話していた。力がたまたま連絡したから一緒に帰らなかったけど、そうじゃなければ3人で帰っていたのだろう。



 男鹿くんは赤の絵の具がついた筆を持ちながら誰にでも向ける屈託ない顔をして頷いた。



 「仲いいって言えばそうなんじゃね?」



 「勝ちゃんが白鳥さんと2人で話してるところは見たことないけど……」



 「そりゃあ、まあ、白鳥、恥ずかしいって言うから」



 「恥ずかしい?」



 「同じ中学出身なのに白鳥が俺に間持ってほしいって言ってきたんだ。まあ、そういうことだろ? 都筑も隅に置けないよなぁ」



 つまり、白鳥さんは勝ちゃんのことが好きだった?



 仮にそうではなくても、少なくとも白鳥さんから勝ちゃんに接触したってことだ。



 「それっていつ頃?」



 「え? 確か今年の4月だった気が……あれ、都筑が言ってたけどお前らもうヒナちゃん突き止めたんじゃなかったのか? まだ何か探ってんの?」



 「え」



 僕はヒナちゃんの話題が出て思わず力を見ていた。力は僕らより手際よく色塗りをしていたが僕の視線にメガネの奥の瞳を上げる。



 「……友ちゃん、まだ納得できないらしくて。僕も……そう。ヒナちゃんは誰かわかったけど、事件と関係ないかなって」



 「そっかぁ。俺もヒナちゃん見当ついてるけど、ここで答え合わせはしないどくかな」



 ヒナちゃんのファンだという男鹿くんは、力の言葉にハハッと笑った。勝ちゃんの体調にも聡いくらいだ。もしかしたら男鹿くんの方が僕より先にヒナちゃんの正体にに気づいたのかもしれない。僕がわかったのは消去法でしたかないのだから。



 「で、ヒナちゃんは何か怪しいのか?」



 「怪しいというか、違和感はあるっていうか……」



 僕は昨日叔父さんと話したことと動画を振り返っていたことを力と男鹿くんに話した。ヒナちゃんが勝ちゃんだとわかっている力はどんどんと表情が曇る。男鹿くんも何だか困った顔になってしまった。



 「正体聞かないって言ったけど、今のって答え合わせみたいだよな」



 「あ、そうだった?」



 「多喜田が言うには犯人と関係ある人がヒナちゃんってことだろ? じゃあ、そういうことだろ?」



 「まぁ……うん、そうだね」



 不自然な動画の話はあっさりと男鹿くんにヒナちゃんの正体を伝えた。クラスで仲良くしている人が推しだったなんて、一体どんな心境なのだろう。僕は幼馴染っていうだけでも驚きだったけど、男鹿くんからしたら戸惑いもあるのではないだろうか。



 でも、男鹿くんはやっぱり見当はついていたようで特別驚いた様子はなかった。



「……勝ちゃん、アリバイないんだね……」



 力の僅かに震える声から不安が滲む。

 

 そう、勝ちゃんにはアリバイがない。正確には嶋田が殺された時には女装をして喫茶ひだまりにいたのだけど、その女装した人物が彼だとは特定できない。



「……僕、ちょっと離れるね」



「え、うん」

 

 力は元気なく言うと筆を置いてゆっくり教室を出て行った。僕は、幼馴染がもう一人の幼馴染を心配していることが痛いほどわかった。力だって一緒に『ヒナちゃん』を作った本人なのだ。責任までは感じなくても、負い目を感じているのかもしれない。

取り残された僕と男鹿くんは慣れない筆で薔薇を塗る。勝ちゃんの描いた美しい線を殺さないように、丁寧に慎重に筆を走らせた。



「さっき話してたライトブルーって人、白鳥なのかな?」



「どうだろ……僕はそう思うけど」



「俺もそう思う。コメント投稿したのも4月ってちょうど都筑と話したいって言ってた時期だし、白鳥はとっくにヒナちゃんが都筑ってわかってて連絡取ろうとしてたんじゃねぇかな」



「でも、白鳥さんの件を聞いて何で勝ちゃんのお父さんが殺人を? しかも望木くんまで怪我させて……」



「都筑の親父さんって、都筑が殺せって言ったら殺すんじゃねぇか?」



「え?」



 男鹿くんの怖い想像に僕はゾクリと背筋が凍るような感覚を覚える。男鹿くんは至って真剣な目をしていて、思いつきで適当に話しているようには見えなかった。



「都筑と家の話とかたまーにしてたんだけど、都筑って結構親父さんを言いなりにしてるっぽい言い方してるときあったんだよな。家事は都筑がやってるけど、金回りのこととかは完全に都筑が支配してるっぽいし。そもそも都筑もあーいう我が強いタイプだし、家の主導権握っててもおかしくないんじゃねぇか?」

 

 確かに、殺したのが勝ちゃんのお父さんでも、そうさせたのは勝ちゃんという可能性もある……正直、可能性は高い気がする。



 勝ちゃんは朱梨ちゃんと仲が良かったのだろう。そして、朱梨ちゃんのことを白鳥さんのコメントで知ってしまった。だから勝ちゃんはお父さんに復讐をさせた……のかもしれない。



 もし、そうだとして……勝ちゃんの復讐は終わったということだろうか。朱梨ちゃんを辱めた市田と嶋田を殺し、いじめをしていた望木くんの腕を切断し、不倫で自分の人生を目茶苦茶にした父親を犯罪者にした。



「……男鹿くん、白鳥さんに話したいって連絡してほしいんだけど……」



「それはいいけどよ、多喜田。あんまりこれ以上知る必要はないんじゃねぇの?」



「でも、君だって……」



「ダチだからって何でも暴く気はねぇよ、俺は。俺の中での都筑は偏屈でメンドーだけど、居ると楽しい奴ってだけだ。アイツはそれ以外の何でもねぇよ」



 何でも暴く必要はない。そんなことはわかっている。



 でも、まだ僕は勝ちゃんの本心をわからないんだ。



 ヒナちゃんの顔をして可愛く笑っている彼が、どんな想いで生きているのか……知らないといけない気がするんだ。



 ただの幼馴染だけど。



 友だちですらないけど。



 でも、僕にはこれは勝ちゃんのSOSに思うんだ。