1:多喜田友佑



 『ヒナちゃんねる。』の正体は都筑勝浬だった。あまりに身近な存在で、僕は混乱しながらもどこかで納得していた。



 勝ちゃんは完璧な存在だった。勉強は常に学年トップで、何故僕らと同じ学校に進学したのか謎なほど模試とかの成績もよかった。運動はどんなものも卒なくこなし、空手部では何度も全国大会で優勝のトロフィーを持ち帰ってくるほどだった。美術とか技術とかの教科だって苦手なものを見たことない。



 性格は難ありで、中学生のときは他校の生徒とトラブルになっては先生に呼び出されることも多かった。先生に怒鳴り上げることだってしょっちゅうだった。



 性格は到底ヒナちゃんを感じさせるものではなかった。でも、都筑勝浬が『ヒナを演じよう』と思えば当然できるだろうとは思う。それほど、彼に不可能なことはないと思うのだ。それは保育所からずっと側にいたからこそわかることなんだと思う。



 そして、そんな勝ちゃんを支えていたのが曽田力なことも納得できてしまった。力は友達思いだ。勝ちゃんに化粧や演技を教えてと言われればしっかり教えたに違いない。そして、勝ちゃんが口外しないのなら力も誰にも言わなかったのは頷ける。



 

 正体はわかった。



 でも、それでもこの話は終わらない。



 何故ヒナちゃんこと勝ちゃんはあえて友だちだった宮古朱梨ちゃんの母親の顔をしているのか。



 そして、今続いている事件との関連は本当に何もないのか。



 GW後に発見された焼死体。名前は市田敏郎。僕らの在園中に保育士をしていた男だ。



 更に川で発見された他殺死体。その頭部は有白東保育所で発見された。嶋田聖人というこの男も東保育所で送迎バスの運転手をしていた。



 そして……望木海士。僕らと同じ東保育所出身の彼が朱梨ちゃんの事故死した橋で襲われた。腹部を刺され、両手を切断された。



 東保育所の関係者が次々に襲われている。これが偶然なわけが無い。



 そして、『ヒナちゃんねる。』も……東保育所出身の都筑勝浬が運営しているというのだから、怪しむ理由はあるだろう。



 

 昨日、望木くんが襲われたため休校になったのをいいことに、僕は歩いて10分ほどの勝ちゃんのアパートに向かっていた。



 勝ちゃんのアパートには幼児以来上がったことはない。それも、勝ちゃんのお母さんが病死する前だから記憶には殆どない。ただ、小学3年生でドッヂボールで仲違いするまでは一緒に遊んでいたので家の前には何度も行っていた。



 築20年ほどの決して新しくない2階建てのアパートに着く。何年ぶりかの訪問に思わず心臓が高鳴るけど、唾を飲んで何とか誤魔化した。



 階段を上がり階段に一番近い201号室の前に立つ。『都筑和正』と書かれた標識に彼の家なのだと再確認してインターフォンを押した。



 『はい』



 すぐに低い声が返ってくる。不機嫌そうなその声は僕のよく知る声で、彼の父親ではないことに胸を撫で下ろした。



 「多喜田です」



 『……ハァ』



 心底ウザがっているだろう露骨なため息が返ってくる。要件を言う前にガチャと相手がインターフォンを切る音がした。



 このまま出てこなかったらどうしようとモジモジしていたがそんな心配は杞憂で、すぐにドアが豪快に開けられる。勢いよく開けられて躱す前に鼻にドアが衝突した。思わず「うう」と悶絶するが、ドアをぶつけてきた本人は気にする素振りもなく不機嫌そうに僕を睨んだ。



 「外出禁止なはずだが?」



 「どうしても……君と話したいことがあって……」



 「『ヒナちゃんねる。』のことならもう話すことはねぇ」



 「肉! 昨日の肉! なんで昨日は調理を1から見せなかったの!?」



 ドアを閉めようとした勝ちゃんを制止すべくドアの間に足をはさむ。開けるときも豪快だったがドアを閉めるのも豪快だったので足にバンッと思いっきりドアをぶつけられる。あまりの痛さに顔を歪めるが、勝ちゃんは相変わらず冷たい目をしている。



 「はァ? クレーマーか? そんなン気分だろ。つーか、肉切るシーンないだけでクレームとかどんなヤベェ奴だよ」



 「い、いつもより肉が大きくって……いつも見せてる工程見せてないから……だから」



 「だから?」



 「……」



 だから、何だというのだ。



 いや、自分の気持ちはわかっている。



 疑っているのだ、『ヒナちゃん』を。いや、都筑勝浬を。本当はそうであってほしくないと願っているけど……でも、その肉がちゃんとした「市販の肉」ではないのではないか、なんて少しでも過ってしまったのだ。



 僕が口をモゴモゴと動かして言葉を探していると、勝ちゃんは言いたいことを理解したのか「フン」と鼻で笑った。



 「ただ肉を調理した工程がないだけで、犯罪者扱いかよ」



 「ち、違う! いや、その……違うって証明を……してほしいんだ。僕としては、東保育所のことがこんなに続くなんて何かあるとしか思えなくて」



 「俺が『ヒナちゃんねる。』をはじめたのは去年だぞ? なのに何で今年の事件と結びつける?」



 「それは、そうだけど……その、」




 「都筑勝浬くんですか?」



 

 え?



 聞き覚えのある声が不意に背後からした。



 振り返ると僕の後ろには警察をしている叔父と、その同僚が立っていた。叔父さんは勝ちゃんに警察手帳を見せる。



 「有白署の多喜田です。こっちは西谷です。勝浬くん、東保育所の関係者連続殺人事件について少しお話をお伺いしても?」



 「……へぇ、お前の親戚って警察官だったんか」



 勝ちゃんは警察手帳をマジマジと見つめると僕に嫌味っぽくそう吐き捨てた。そして、さっき閉めようとしていたドアをやっぱり豪快に開いた。



 「どうぞ。……ついでにお前も入れよ」



 「いいの?」



 「お前、どうせオジサンに話聞く気だろ? 二度手間じゃねぇーか」



 「失礼します」



 思ってもいなかった叔父さんの登場で、僕は何とか話を聞く権利を頂けたようだった。10年以上も経ってまさかこの家に上がることはないと思っていたから何だか不思議な気持ちだった。



 それでも通されたリビングは懐かしいものではなかった。それこそ、動画で時々見る場所だった。勝ちゃんとして見たら合わないと思ってしまう白基調の家具の至る所にある鮮やかな色の装飾品は、女の子らしい『ヒナちゃん』がよく購入品紹介で動画に出していたものだった。



 それを見るとどうしても都筑勝浬がヒナちゃんなのだと認めざるをえない。



 「どうぞ、座ってください」



 ソファに促され、僕、叔父さん、西谷さんの順に座る。叔父さんは僕がいることに僅かに眉間にシワを寄せたが何も言ってくることはなかった。



 「麦茶でいいですか?」



 「お構いなく」



 叔父さんが断るが、それでも勝ちゃんは3人分のお茶を持ってきた。しっかりコースターまで用意していて、しっかりしてるなぁと感心してしまう。そのコースターも可愛らしいお花のもので、勝ちゃんにはしっくりこない。



 「それでお話とは?」



 「被害者の市田敏郎さんに嶋田聖人さん、それから今意識不明ですが望木海士くん。ご存知ですね?」



 「ええ。保育所の先生とバスの運転手……それから同じ高校の人ですね」



 勝ちゃんは僕側の床に腰を下ろす。こういうときにちゃんと正座をするのが意外で、そもそも警察と話すときは敬語なんだとかどうでもいいところに気持ちがいってしまう。



 それにしてもどうして警察は勝ちゃんに話を聞きに来たのだろう。まさか東保育所の関係者全員に話を聞いてるとは思えないし……。



 「その市田さんと嶋田さん……宮古朱梨ちゃんが在園中に朱梨ちゃん関連でトラブルがあったことがわかってるんです」



 「朱梨ちゃん!!?」



 僕が思わず反応すると、叔父さんが嫌そうに眉間のシワを深くした。僕がハッとすると勝ちゃんが面白がって笑顔を浮かべる。



 「それが俺に何の関係が?」



 「宮古朱梨ちゃんは、君のお姉さんでしょう」



 は?



 僕は、新しいその情報に思わず勝ちゃんを見た。勝ちゃんは変わらず勝気な笑みを浮かべたままだった。



 でも、どういうことだ? 朱梨ちゃんは勝ちゃんと当然同い年だ。そしてお母さんは違うし……。



 「親父の不倫相手の娘なんだよ、朱梨は」



 「え」



 「ハッ、俺と朱梨の関係知りたかったんだろ? 知れて満足かよ」



 僕を嘲笑う勝ちゃんに、僕は何も言えなかった。



 不倫相手。同い年の姉。あまりに複雑な関係に、僕は言葉が見つからなかった。



 だが、警察はそんな少年にも動じることなく、情報として淡々と処理している。



 「……お父さんは宮古朱梨ちゃんの母親、宮古日奈さんとはまだ連絡を取っているのでしょうか?」



 「何でですか?」



 「私たちは宮古さんを重要参考人として探しています」



 「ふーん。残念ながら、3年前にあの女はこの街を出て、そこから音沙汰なしですよ」



 「なるほど。それまではまだお父さんと宮古さんは連絡を取り合っていた?」



 「ええ。俺がやめろって言ったんですよ。当然でしょう? 俺からしたら母さんが死んだからって不倫相手と仲良くされたって嬉しくないんですから」



 「確かに、そうですね。ちなみに、お父さんは朱梨ちゃんのこと何か言っていましたか?」



 「別に、聞いたことないですよ。俺だって、中学生になるまで朱梨が腹違いの姉弟だなんて知らなかったし、親父も言いたくはなかったはずですから」



 「そうなんですね。ご協力ありがとうございます」



 叔父さんが話している間、西谷さんがメモを取っていたが2人は目配りをすると麦茶を一口飲んでソファから腰を上げた。僕はたくさんの情報に頭をグルグルさせて立ち上がることができなかった。



 叔父さんたちを勝ちゃんが玄関に送り、ドアが閉まる音が遠くからした。そうするとすぐに仏頂面の勝ちゃんが戻ってきた。



 そして僕の隣にドガッと勢いよく座る。



 「知りてぇことは知れたかよ? 探偵サン」



 「別に僕は、探偵だとか……」



 「あのオッサン、親父のことも疑ってやがるな。アホらし」



 「何で君のお父さんが……」



 「朱梨関連のトラブルだと思ってんだろ。望木もいじめてたんだろ? だから朱梨の親が報復をしてるんじゃねぇかって話だ」



 「君は、違う……?」



 宮古朱梨の腹違いの姉弟だというのなら、かつては仲良くしていたというのなら、もしかしたら勝ちゃんが報復をしているのかも。



 僕は否定を待ちながら彼の顔を覗き込む。勝ちゃんはニヤッと笑うと僕の足を思いっきり蹴った。



 「いっっった!!! 何するんだよ!!!」



 「こっちの台詞だ。疑うなら証拠でも探してこいや。探偵サン」



 「だから探偵ごっこをしてるつもりはないんだよ。僕は君が巻き込まれてないかが心配で……」



 「俺じゃなくて『ヒナちゃんねる。』がだろ? 俺がやってるってわかったら、もうどうでもいいんだろーけど」



 「どうでもよければここに来てないよ!」



 むしろ、幼馴染だと知ってしまったから余計気になるじゃないか。



 どんなに完璧な彼でも、僕がどれだけ彼を心配しているかなんて測ることはできないのだろう。そういう人の感情には疎いと言うか興味がない勝ちゃんは僕を怪訝そうに見ていたがやがてため息を吐いてソファを立った。



 「で? お前はいつ帰るわけ? 昨日食った肉でも見せつければ満足するんか?」



 「……いや、信じる。君を信じるよ」



 「は?」



 「君が犯人じゃないって信じる。でも、……君が何で『ヒナちゃんねる。』をしているのかは調べる」



 「意味わからん。何でンなこと気にするんだよ」



 「君が朱梨ちゃんのお母さん……日奈さんの顔が好きなだけでこんなことをしてるとは思えない。なんかあるんだろう?」



 「何もねぇよ」



 「でも知りたいんだ。勝手に調べる。教える気になったら教えて。……僕は今でも『ヒナちゃんねる。』のファンだから」



 父親の不倫相手の顔をして動画配信をしているのだ。それが「顔が好きだから」なんて理由なわけがない。



 ……勝ちゃんは喫茶ひだまりに来た。僕に「会いたかったら来て」と言った。



 知ってほしいことがあるんじゃないだろうか。本当は言いたいことがあるのではないだろうか。



 完璧なくせに不器用な男だ。だから他校の生徒と喧嘩なんかしたし、先生とトラブルも起こしてきたのだ。



 なら、僕が勝手に踏み込むだけだ。



 「またね、勝ちゃん。……動画、楽しみにしてる」



 「……」



 僕は麦茶を飲み干しソファから腰を上げた。



 彼は僕をお見送りすることはなかった。