3:多喜田友佑



 商業科の3組に向かうと、クラス替えのある2組とは違って知っている顔が1人もいなかった。未知の世界へ来てしまったことへの緊張感で背中を濡らしながら、僕はドアの前で「藤地くん!」と保育所の頃の顔しか知らない彼を呼んだ。



 藤地くんは教室の後ろの席で1人で本を読んでいた。見知らぬ僕に名前を呼ばれると、首だけを僕らに向けてきた。前髪で殆ど隠れた目を細くして睨みつけてくる。



 「藤地くん! 僕、多喜田っていうんだけど……少し聞きたいことがあるんだ!」



 僕はもう一度彼に向かって声を掛ける。幸いというか他の3組の人たちは僕らに全く興味を示さず、名前を呼ばれた藤地くんだけが鬱陶しそうに反応していた。



 「あの、お、お邪魔します!」



 藤地くんが動かないのを見て僕はその未知の世界に足を踏み入れた。力も僕に続いてくる。やっぱり周りの人はドギマギする僕らのことなんか見えていないようで、誰一人としてこちらに視線を向けてくることはなかった。



 「……はじめまして。僕、多喜田っていうんだけど」



 「知ってるし。小中同じだったから」



 「え、でもクラス同じになったことないよね……?」



 「勝浬くんとよく競ってたでしょ。だから覚えてるし」



 ボソボソと呟くように言葉を吐き捨てながら、藤地くんが言う。その言い方だとどうやら彼は勝ちゃんの知り合いのようだ。勝ちゃんは全然そんな感じだしていなかったのに。



 「勝ちゃんと友だちなの?」



 「少しの期間だけど同じ空手部だったし。てか、友だちっていうか、他校の人とケンカしたり先生と取っ組み合いしたり、勝浬くん目立ってたから知ってるだけだし…」



 「そ、そうなんだ」



 勝ちゃんは小学から高校まで僕と同じクラスだったから、もちろん藤地くんと同じクラスになったことはない。でも、勝ちゃんは小学の頃は持ち前の運動能力で目立ち、中学の時はいわゆる不良みたいな感じで悪目立ちしていた。だから同じクラスにならなくても知っている人は知っていたのだろう。そもそも同じ部活だったならそんな目立つ男を忘れたりしないか。



 まさか、その勝ちゃんとセットで覚えられているとは思ってもいなかったけど……。



 「で、何?」



 「あ、えっと、この写真の女の子知らない?」



 藤地くんに催促されて僕は慌ててスマホで写した保育所の卒園式の朱梨ちゃんの写真を見せた。



 藤地くんはその写真を怪訝そうに見ると、大きく溜息を吐いて読んでいた本を閉じる。題名は『異世界転生して無敵になった話』と書いてあり、恐らくラノベだろう。



 「名前は忘れたけど、これ保育所の写真でしょ? 僕も持ってるし」



 「そっか。その宮古朱梨ちゃんっていうんだけど、仲良かったとかなんかない?」



 「覚えてないし。小学にはいなかったでしょ」



 抑揚のない冷めた声に思わず怯みそうになりながら、それでもしっかり受け答えしてくれる藤地くんの様子を観察する。僕には藤地くんが嘘を吐いているようには見えない。力も特に何もないのか、望木くんの時と違って何も口出しをしてこなかった。



 「じゃあ、この人は知ってる?」



 僕はスマホの画面を操作して写真をヒナちゃんそっくりな朱梨ちゃんのお母さんに変えた。その途端、藤地くんの口がモゴモゴと動く。



 「知ってるの?」



 「……だから、この写真持ってるから知ってるし。でも、誰かは知らないし」



 「動画とかで見たことない?」



 「動画とか殆ど見ないし」



 藤地くんはあからさまに動揺すると突然ガタンと音を立てて席を立つ。



 「僕、トイレ行くから。じゃあね」



 「え、あ」



 僕が答えるよりも先に、藤地くんは急ぎ足で自分の席を去っていった。普段関わらないクラスに取り残された僕と力は示し合わせることもなくお互いに顔を見合う。



 「わかりやすく動揺してたね」



 「うん。藤地くんも何か知ってるのかな……」



 「とりあえず友ちゃん、教室に戻ろうか」



 「そうだね」



 力が先に歩き出したのを見て、僕もそれに倣って足を進める。



 それにしても藤地くんの動揺は何だったのだろう。彼の言う通り写真は同じものを持っているはずだから知っていてもおかしくはないのだ。だから、藤地くんの言葉には何も疑う余地もない。それなのに、どうして挙動不審になっていたのだろう。



 望木くんは恐らく朱梨ちゃんを知っていて隠している。演劇部でピカイチの演技力があり、化粧も女子に褒められるほど上手だ。それなら、ヒナちゃんの第1候補は彼だろう。



 でも、藤地くんが朱梨ちゃんのお母さんを見て動揺した理由が全くわからない。朱梨ちゃんのときは明確に答えたのに、どうしてお母さんにだけあんな反応をしたのだろうか。



 「力。僕、頭痛くなってきた……」



 「僕もよくわからないよ」



 二人で頭を抱えながら教室に戻ると、珍しく僕の後ろの席に勝ちゃんが一人で座っていスマホを弄っていた。いつもは男鹿くんとどこかでご飯を食べているはずだけど今日は一緒ではないらしい。僕はそれを好機に、自分の席に戻りながら彼の前を呼んだ。



 名前を呼ばれた勝ちゃんは鬱陶しそうにスマホから目を上げる。彼は本当に放課後しか僕の調査に協力する気はないらしい。



 でも、そんなものはお構い無しだ。3人揃えば文殊の知恵と言うし、ここは彼にも頼ろう。



 「望木くんと藤地くんに話を聞いてきたんだ」



 「あっそ」



 「望木くんは朱梨ちゃんの写真を見て僅かにだけど目を泳がせてた。それに藤地くんは朱梨ちゃんのお母さんの写真を見てあからさまに動揺したんだ」



 「だから?」



 「だから、どう思う?」



 僕の率直な疑問に、勝ちゃんが口をひん曲げる。彼は不機嫌になると必ず口を曲げるのだ。本当にわかりやすい性格をしている。



 「ンなこと俺が知るか」



 「藤地くんって中学の時同じ空手部だったんだね」



 僕と勝ちゃんの机の間に立って力が話を続ける。勝ちゃんは力をチラッと見るとハァとため息を吐いてスマホをポケットにしまった。



 「だから何だ。俺はアイツのこと殆ど知らねぇぞ。藤地が空手部にいたのも中1のときだけだったしな」  



 「何で辞めたの?」



 「知るか。大して話す仲でもなかったし、周りの奴ともうまくやってなかったし、居づらかったんじゃねぇーの」



 「些細なことでも勝ちゃんなら覚えてるでしょ! なんか昔に朱梨ちゃんのこととか言ってなかった?」



 力が質問したときは嫌な顔をしないのに僕が聞くと勝ちゃんは露骨に目尻を釣り上げて嫌そうな顔をする。未だに小学のドッヂボールを引きずっているのなら大した繊細さだと思う。僕にとってはあんな1回の出来事なのに、彼にとってはさも重大な出来事だったのだろうか。



 「そんな話してねぇよ。宮古朱梨の話なんてお前がしてくるまで誰ともしたことねぇし」



 「そんなぁ。それじゃあ怪しいだけで何もわかんないじゃん」



 「当然だろ。同じ保育所なんだから知っていても変じゃねぇし、小さい頃なんだから忘れていても変じゃねぇ。それをどう見破る気だったんだよ」



 「力ぁ、助けてぇ」



 「ええ!? うーん……根気強く聞くしかないかなぁ……たとえば、先生とか」



 「先生? 無理だよ!」



 保育所の先生ってことだよね?



 でも、そんなの無理だ。卒園生ってだけで話を聞いてもらえるとは思えない。僕らの卒園した東保育所は関係者が殺されているのだ。そんな危ない時に突然聞き込みなんてしに行ったら不審者だと思われるかもしれない。



 「そうだよね。じゃあ、ダメ元で白鳥さんにも話聞いてみる?」



 白鳥さんは同じ保育所の卒園生だが女の子だ。当然男性であるヒナちゃんではないだろう。でも、確かに些細なことでも覚えていることがあるかもしれない。



 「じゃあ明日の昼休みは白鳥さんに聞きに行こう」



 「うん!」



 「勝手にやってろ」



 「勝ちゃんも手伝ってよ!」



 僕が手を合わせてお願いすると、勝ちゃんは露骨に眉間のシワを深くさせ、右手の親指を下に向けた。何だコイツ!! 小学生か!!



 「絶対ヤダ。クソ面倒」



 「最悪」



 「まあまあ。友ちゃんもその辺にしておこうよ。勝ちゃんだって聞けば答えてくれてるんだし」



 力になだめられ、僕がため息をつくのと同時に予鈴が鳴った。力は僕らに「じゃあ」と言い教室の一番後ろの席まで歩いていく。曽田と多喜田と都筑。偶然にも僕らは出席番号が並んでいるのだが、残念ながら席は力が一番後で僕が一番前という別れ方をしている。それに出席番号が続いているなら、ペアは力となりたいのだけど、絶対出席番号が後の勝ちゃんとペアになるのだ。勘弁してもらいたい。



 「勝ちゃん、白鳥さんは知り合いじゃないよね?」



 「は? 同じ保育所だったんだから知り合いだろ。テメェが覚えてなくても俺は全員覚えてるっつーの」



 しっしっと追い払うように手を払われ、僕は再びため息を吐いて前を向く。確かに勝ちゃんの言う通りで、覚えてないだけで僕らはかつて同じ場所で過ごしていたのだ。



 当然、宮古朱梨ちゃんも。



 そうだ。僕が忘れているだけで覚えている人は覚えているんだ。記憶力がいいなら、きっと名前以外のことだって覚えているはずだ。



 僕は再び後を振り向く。勝ちゃんは5時間目の数学の教科書とノートを開いているところだった。そういえば次は小テストだったはずだ。



 「ねぇ勝ちゃん」



 「何だよ、しつけーな! 次、小テストだぞ。教科書でも見とけや!」



 「いや、君さそれだけ記憶力あるなら朱梨ちゃんのことも覚えてるでしょ?」



 「は?」



 「朱梨ちゃんの仲良かった人とか知らない?」



 本人たちに聞くだけしか頭になかったが、単純なことを忘れていた。



 幼い頃の記憶もしっかりあるという勝ちゃんなら、朱梨ちゃん自身のことを覚えているかもしれないじゃないか。



 勝ちゃんはポカンと口を開いたが、考えるようにゆっくりと閉め直した。まっすぐに僕を見つめる瞳には望木くんや藤地くんのような迷いは一切見られない。それだけ彼は自分の記憶に自信があるのだろう。そして、後ろめたいことも一つもないのだ。



 「仲の良かった女子が1人いた。それが白鳥」



 「望木くんと藤地くんは朱梨ちゃんと遊んでた?」



 「あまり。宮古朱梨は年中のときは白鳥とばかり遊んでた。年長のときはだいたい一人だったな」



 「本当によく覚えてるね」



 「お前とは頭の出来がちげぇんだ」



 うっぜー……。



 「教えてくれてありがとう」



 苛立ちを抑えながら感謝を伝えると、勝ちゃんはフンと鼻を鳴らして教科書に視線を移しあ。僕も再び教卓の方を向き、数学の準備を始める。



 そういえば勝ちゃん、ここより偏差値高い高校目指してたのにやめたんだな。



 記憶力がとてもよろしい勝ちゃんは勉強もできる。当然のように中学では常にトップに君臨しており、今僕たちが通う高校よりずっと偏差値の高い高校を目指していた。



 それが何故か同じ高校受験をしてたんだから驚いたなぁ。



 とは言え、そんなことを聞いたところで「関係ねぇ」と大声を出されるかまた親指を下に向けられるだけなので聞くのはやめておこう。それよりも今はヒナちゃんの正体の方が大事だ。



 ヒナちゃんを知るには、朱梨ちゃんを知らないといけないだろう。



 白鳥さんが朱梨ちゃんと仲が良かったなら少しは手がかりがあるかもしれない。



 僕はヒナちゃんと朱梨ちゃんのことで頭をいっぱいにしながら、数式をぼんやりと眺めていた。