眠れる俺の王子様

 夕食と風呂を済ませても、俺の心は晴れなかった。結局あの後、ネムから話を聞くことはできずじまいだったのだ。
「せっかく、話そうとしてくれたのにな」
 きっと勇気も要っただろう。先輩の俺に頼るくらいだったのだから、深刻な悩みだったのかもしれない。
 髪がきっちり乾いたところで、ドライヤーを止めた。俺もミツルも髪質は似ていて、これがまた厄介だった。サラサラの黒髪なのだが、しっかりと乾かさないと妙なくせがついてしまうのだ。日々ドライヤーを取り合う俺たちを見かねた両親は、専用のものを一台ずつ与えてくれた。
 ――短い黒髪で、サラサラ……。
「ん……? なんか、大事なことを忘れてるような……?」
 乾いた髪に手をやりながら、首を傾げてみるが、いったい何を忘れているのかは思い出せない。
 それよりも、ネムが眠れないほどのことが入学式で起きたということの方が重要だった。しかし、考えても考えても思い当たることはない。あの時俺は体調を崩していたし、一年生全員の様子を見ていたわけでもなかった。
「ミツルの方が心当たりはあるかもな」
 その答えに行きついた時、俺は居ても立っても居られず、ミツルの部屋のドアをノックしていた。
「ミツル! ちょっといいか!?」
「んだよ。今、ゲームがいいとこなんだけど」
「ええと……ネムのことなんだが」
「はいはーい! どうぞー!」
 がちゃりと音を立てて素早くドアが開く。目を丸くする俺を、笑顔のミツルは部屋に引きずり込むようにしてドアを閉めた。ゲームをしていたというのは本当らしく、コントローラーを放り出した跡がある。
「ゲーム、いいのか?」
「兄貴からの相談だからな!」
「心にもないことをぬけぬけと」
「で? ネムが? 心配なんだ?」
 改めて言葉にされると、ぐっと詰まってしまった。そんな俺を見て、ミツルはしばらく何かを考えるような様子を見せる。余裕のある弟の姿に、俺は俺でなんとかしなくてはと焦った。
「ネム、授業中もあんななのか?」
「いや? 授業はちゃんと起きてるぜ? 緊張が解けると寝ちゃうんだって」
「緊張……?」
「そう。だから休み時間は寝てんだよ。放課後に寝落ちてんのも多分、それ」
 なるほど。ある程度の緊張状態があれば、ネムは寝ずに済むのか。
 考え込む俺を無視してミツルは二人きりの部屋にもかかわらず、内緒話をするように、俺の耳元に手を添えて囁く。
「あとこれ、トップシークレットだけど、ネム、恋しちゃったんだってよ」
「――……は?」
 いや、待てよ。だったら、なんで俺と一緒の時には起きてしまうんだ? そんなに俺が緊張させてしまっているということなのか。
 本当に、ちょっと待ってくれ。
 それじゃ、入学式に起きたことって、誰かに一目惚れしたとか?
 ――なんだよこれ。なんで俺がこんなに悲しくなるんだ。
 ネムの不眠の解消と、恋が叶うのを、俺は応援するだけだろ。
「……そうか、わかった」
 ミツルの手を振り払って踵を返そうとする俺へ、ミツルは盛大なため息を投げかけてくる。けれど、もう俺には、ミツルの相手をして突っかかるような気力は残ってはいなかった。
 その夜、俺は知ることになる。眠れない夜というものが、どれほどつらいのかということを。