眠れる俺の王子様

 その日、俺は王子様を見た――。

 四月にしてはすっきりと晴れて、青い空に桜が美しく映えていた。しかし、高校三年生に進級した俺は、その景色をゆっくりと楽しむこともできず、あちこちから自分の名を呼ばれる度に、飛んで行っては用事を済ませての繰り返しだ。
「会長! マイクの調子がおかしいですー!」
真野(まの)くん、この後の流れだが……」
(サトリ)、来賓への茶菓子って、どこ?」
 マイクなら放送部が詳しいし、そもそも教員が入学式の段取りを生徒会長の俺に訊いてどうするんだ。あと、茶菓子は副会長のお前に頼んだじゃないか。それらの言葉を喉元で留めて、俺は次々と指示を出し、入学式を無事に終わらせることだけを考えていた。
 記念の日だから、完璧に進行したい。
「それにしても、やけに喉が渇くな……空調、大丈夫か?」
 ほかのことに気を回していて、自分の水分補給の時間がそうそう取れなかったからか、少し頭が重く感じられる。
 体育館に誘導した新一年生たちは、皆、あどけなさを残した顔立ちに、少しの緊張の色を浮かべていた。真新しい制服に身を包んで、きっと肩にも力が入っているだろう。俺もそうだったから、なんとなく気持ちはわかる。
「サトリ会長ー!」
「今、行く」
 整列した一年生を微笑ましく思いながら、俺は今度は何が起きたのだろうかと、体育館を離れた。
「どうした? 何かあったのか?」
「あの、校門のとこに、ちっちゃい会長が……」
「――……は?」
 要領を得ない説明をされたが、校門の方へ目をやると、確かに人影が見える。そしてその人物は二年前の俺と酷似していた。もちろん俺にはばっちり心当たりがある。
「あいつ! 今日くらい早起きしろよ……!」
 弟の(ミツル)だ。今年からこの高校に入学が決まったというのに、このハレの日に堂々と遅刻をした上、あの様子では絶対、迷子になっている。
「俺が連れて来るから、持ち場に戻ってくれ」
「わ、わかりました!」
 廊下を駆け抜け、昇降口を飛び出し校庭を突っ切ると「あ、兄貴だー」と、ミツルはのんびりと俺に手を振った。ただ、俺の方はそうはいかなかった。
 朝からばたばたと忙しくしていたせいだろうか。息が整わない。耳鳴りと共にめまいがした。気分が悪くて、倒れそうだ。
「おい、兄貴!?」
「め、まわる……」
 倒れ込んでしまいそうになって、俺はとっさに近くのミツルの腕をつかんだ――……つもりだった。
 だが、実際には、どんっと何か大きくて硬い壁のようなものにぶつかって、弾き飛ばされる事態に陥っただけだ。完全にトドメとなったこの変な物体との接触事故で、俺の意識は急速に遠のいていく。
 せめて何にぶつかったのかだけでも見ておこうと、薄く目を開いて、俺は息を飲んだ。
「ごめん、大丈夫?」
 低い声がして、ふわりと腕に抱えられた。明るめの茶色の髪は緩いクセ毛で、くっつけている桜の花びらが、精悍で整った顔を宝石のように彩っている。そこらの三年生よりも背は高いかもしれない。まるで、きらきらとした王子様だ。
 それでも、学年ごとに異なるネクタイのえんじ色は彼が一年生だという現実を物語っていた。
 地面に激突しないことに安心して、気が抜けてしまうと、一気に体調が悪くなっていく。きらきらの王子様の腕の中で、俺の意識はぷつりと途絶えてしまった。