……月子(つきこ)が連れてきた、あの彼に。

 わたしはいつのまにか。
 あの海原(うなはら)(すばる)に、恋をした。


 でもなぜだか、美也(みや)ちゃんとか。
 ほかの誰かさんたちも、あの彼に恋をしていると知って。
 わたしはそれから、その想いを抑えるために『姉になる』と宣言して。
 そのあとは昴から離れようと。
 わたしなりには、努力した。

 ただ、まだ心の中のどこかでは……。
 あの『弟』を忘れられない、弱さがあったのだろう。


 おそらく、その『理由』をわたしは知っていて。
 心の揺れが生じた、その結果。
 混乱している、わたしがいた。


 ……わたしの恋は、どこにいくの?


 海原昴を、忘れたいはずで。
 早く部内の誰かが奪ってくれるのを、待っているはずだった。
 ただ現実はもっと複雑で。
 あの彼をめぐる関係はどんどんこじれている。
 そうやって、『相手』が決まらないから。
 だからわたしは『弟』をなかなか譲れていないと、思っていたのに……。


「……もう、とっくに諦めていたんだね」


 急遽もう一部屋取った、カラオケの小部屋で。
 わたしは玲香(れいか)の肩に、しなだれかかっている。

「違うよ。陽子(ようこ)はもうとっくに、次の恋に進んでいたんだよ」

 玲香は、昴のために怒ることができて。
 わたしは、長岡(ながおか)先輩のために謝ることができる。


 ……好きな人が違うんだと、玲香は教えてくれた。


「長岡先輩、ずっと陽子のことが好きだったんでしょ?」
「……えっ? わたしそんなこと話したっけ?」
「だってわたしたち放送部だし。それに親友だからね〜」
「なにそれ?」
「さぁ。なんだろうね?」

 ……こうして、わたしたちは再び。穏やかなときを迎えることができた。


「……いままで。しょっちゅう陽子を怒って、ごめんね」
「ううん、叱ってくれてありがとう」
「陽子はね、この先」

 ……長岡(ながおか)(じん)と、どうするかは自由だし。

「海原昴からは、解放されたんだよ」
 そういわれて、なんだかとっても楽になれた。


「ねぇ。それってわたし、玲香に譲ったってこと?」
 玲香は、首を横に静かに振ると。
「わたしは別に、譲られてなんかない」
 小さくそうつぶやいてから。
「それにさっきもいったよ」
 そう、別に譲ったわけでも、諦めたわけでもなくて。



 ……わたしの恋なら、終わらせた。



 そう思えばいいと、教えてくれた。





 ……外に出ると、すっかり日が暮れていた。

「陽子、本当に一緒じゃなくてよかったの?」
「もう玲香、しつこい!」
 カラオケで勉強を続けるという、バレー部員たちや『元部長』とはお別れして。
 クリスマス・ツリーの灯りが、輝く駅前で。
 わたしたちは、放送部のみんながバスで到着するのを待っている。

「ねぇ玲香、あのバスかな?」
「う〜ん。暗くて見えないねぇ」
「まったくさぁ! なんなの、『海原君』!」

 由衣(ゆい)のスマホに連絡したら、バスに乗ったと返信があって。
「アイツが番号を送れと、うるさいんで……」
 わかりやすいからと、追加情報が送られてきた。

「で……玲香。なにこれ?」
 乗ったバスの、ナンバープレートならまだしも。
「会社がつけてる、バスの車体番号だって」
「なにそれ?」
「さぁ? 昴君にはわかるんだろうけどねぇ……」
 ほんと、わたしたちには。
 その番号がどこにあるかさえわからないよね……。



「『海原君』! 意味不明なこと、しないでくれない?」
「え・っ?」
「よ、陽子?」
「えっ? 陽子ちゃん?」
 みんなを見つけて、陽子が真っ先に駆け寄って。

「『海原君』! 聞いてるかな!」
 一番最後にバスから降りている昴君に、声をかけている。

「玲香……」
 月子が、わたしに目で解説を求めようとしたのだけれど。
「次、いくんだ・ね!」
「やっとかぁ〜」
 姫妃(きき)と由衣がほぼ同時に。『答え』を口にする。


「ねぇ玲香ちゃん……春香(はるか)先輩に、なにかあったの?」
 昴君は、いきなり呼びかたを元に戻された意味が。
 やっぱりわからないらしい。

「え〜、知らないよ〜」
「ええっ……」
「姫妃か由衣に聞いたら?」
「い・や・で・すー」
「鈍感なヤツに、説明不要でーす」

「じゃぁさ、昴君。陽子本人に聞くのは?」
「やめとこう……かな……」
 あれ?
 もしかして意外と、少しくらいは理解できているのだろうか?


「ねぇ玲香。これは要するに……陽子が、『卒業』したということかしら?」
「月子、無理に比喩表現とか使わないでいいから。意味わかってるの?」
「そ、そういうことなのよね……?」
 そして予想どおり、三藤(みふじ)月子(つきこ)

 この子もまた、どこまでしっかり理解しているのだか……。





 ……『わたしの恋なら、終わらせた』

 なにそれ? 格好つけちゃって。

『美也ちゃん、起きてる?』
 真夜中に、陽子がようすをうかがうから。何事かと思ったらもう……。

 スマホに届いた、陽子からのそんなメッセージに。
 わたしはずっと前から『そのとき』がきたら。
 あの子に送ろうと決めていた言葉を、すぐに返信する。



 ……『恋するだけでは、終われない』



 すぐに、ハートのマークがつくと今度は。


 ……『美也ちゃんは、どうする?』

 予想どおりの質問が、送られてくる。


 ……『もう少し勉強する』

 ……『そっちじゃないほうだよ!』


「もう、勉強の邪魔だなぁ〜」
 わたしは、画面の向こうに笑顔でつぶやいて。
 今夜はここまでだと念を押してから。

 もう一行だけ、かつての恋敵で。
 いまはまた仲良しに戻った幼馴染に。
 いままでは伝えられなかった気持ちを、文字にした。



 ……『海原昴は、渡さない』



 今頃は画面の向こうで、陽子がほほえんでいるはずだ。
 そう。きっといまなら、わかってくれるだろう。

 これまでわたしの背中を、追いかけ続けてきたあの子は。
 ついにこの先、別々の誰かの背中を見ていくことになる。
 でも、おかげでわたしたちはこの先もずっと。
 ずっと、仲良しでいられるだろう。

 そう信じているわたしは。
「海原君、振られちゃったね」
 口角を上げて、そう小さく口にすると。

 スマホを置いて、シャープペンシルを握り直してから。



 ……今夜最後の一問を、解きはじめた。