……廊下に、ふたりで取り残された。


 わたし自身がその状況にしておきながら。
 つい、そんなことを思ってしまった。

「なんだか、月子(つきこ)に気を使わせたちゃったよね……」
 ひとりごとを話しているつもりは、ないのだけれど。
 隣の海原(うなはら)君は、無言のままだ。

「悪いこと、しちゃったかな……」
 ふたりの邪魔をしたとわかっているけれど。
 そんなことはないと、彼の口からいって欲しい。
 でもやっぱり。
 隣の彼は、答えてくれなくて。

「こないほうが、よかったかな?」

 わたしは、無理やりなにかいわせようと。
 ……海原君に、『駆け引き』を挑んでみた。


「……都木(とき)先輩。放送室に、戻りましょうか?」
 海原君は、結構ずるい。
 そんなことはないとも、いってくれないし。
 いまは困りますとも、伝えてくれない。

「廊下、寒いですしね。先輩は受験生ですから」
 ほら、そうやって気づかいはできるはずなのに。
 大切なことには、答えてくれないんだ。

 でも、ずるいのはわたしも同じ。
 彼に決断や選択を求めずに、一方的に気持ちを告げるだけで。
 核心に触れる前に、逃げている。


 ……わたしは、怖いんだ。


 選ばれないこととか、決めてしまうこととか。
 知ってしまうことも、どんな結果になるとしても。

 ……すべてが、いまままでどおりのままでいられなくなるのが。


 ……やっぱり、怖いんだ。



 廊下を歩くとき、海原君はいつもわたしの歩幅に合わせてくれる。
 一学期に出会って、最初に気づいたときは。
 それだけでうれしかった。

 でも、いまは違う。
 彼は、ほかの子と歩くときでも。
 その子の歩幅に、合わせているから。

 ……わたしだけの、特別ではないと。

 知っているから、うれしくない。


「なんかわたしって、『重い』よね〜」
「えっ?」
「どうしたの、海原君?」
「いえ、ちょっと考えただけです」
「……なにを?」





 ……女子のいう『重さ』というのは、『体重』ではない。
 以前勘違いして、三藤(みふじ)先輩にえらく怒られた。

 自分の体重でも怪しいのに、女子の体重など当てられない。
 ただ、女子のそれについてわかったことは。
 その『振れ幅』については、極めて注意が必要で。
 実際よりあまり軽すぎても、もちろん重すぎても許されない。

 本来は機械で測れるものでも、読みきれない僕が。
 『女心の軽重』について、判断するのは難易度が高すぎる。


「海原君……なにを?」
 都木先輩が、二度目の問いを発している。
 ただ、救いなのは。

 その顔が、先ほどより。
 いつもの明るい表情に、近づいてきてくれていることだ。


 先輩の明るい顔には、これまで何度も救われた。
 特に春先の、入学したての『一大事』。
 お先真っ暗になりそうな僕の高校生活を、救ってくれたのは。
 紛れもなく、都木先輩だ。

 だから、先輩の顔を曇らせてはいけない。
 そんな表情に、させてはいけない。

 そこまでは、そこまでなら僕でもわかるのに……。



「ねぇ、なにかな?」

 三度目の、催促がやってきて。
 少なくとも、ここで三藤先輩の話しをしてはいけないんだとわかった僕は。
「あの……」
 口を開きかけたのだけれど。

「うん、わかった!」

 都木先輩はそういって、突然話しを終わらせた。





 ……どうやら誰かさんにも。『重い』かどうか、聞かれたことがあるらしい。

 だったらわたしは、その子とは並ばない。

 わたしは、わたしなのだから。
 誰かさんと同じ質問をして。
 海原君を困らせる存在でなど、いられない。


 少なくとも、海原君は。
 わたしのことが、嫌いじゃない。

 ……いや、むしろ。

 本当はそれなりに、好きなんじゃない?


 以前にも少し、思ったことがあるけれど。
 いまはどちらかというと、確信がある。

 その証拠に、ほら。
 真面目な顔で、わたしを傷つけないように言葉を探して。
 ただの鈍感君で終わらないようにと、頑張ってくれた。
 それが、きょうの。

 ……わたしだけの、特別だ。


「海原君は、そのままでいいよ」
「へ?」
「そうそう! ちょっと抜けたくらいが、ちょうどいい!」

 せっかくこうして出会えたのに。
 わたしはあっというまに部活を引退して。受験して、卒業までしてしまう。
 でも海原君の高校生活は、まだ『二年も』残っている。

 残された時間は短くて。先のことを考えると、暗くなりそうだから。
 せめて海原君の前では、笑顔で過ごしたい。



 ……放送室の扉を、わたしのために開けてくれてありがとう。

「みんなは、講堂の機器室で練習中です」

 わたしだけの放送室だね、ありがとう。
 それから、椅子を引いてくれて、ありがとう。
 あと、そのストーブは壊れているから無理しないで。

 ……心はあたたかいから、ありがとう。


「ねぇ、しばらく勉強していていい?」
「もちろんですよ」
 志望校を聞いたり、成績を心配しないでくれてありがとう。
「あ、それは……」
「えっ?」

 わたしなら、受かるだろうと。
 それに伝えたいときがきたら、教えれくれるだろうと。
 そんな配慮をしてくれていて、ありがとうだけど……。

「ど、どうして考えていることがわかったの?」
「えっ? だって顔に書いてありましたけど? 違いましたか?」


 ……ち、違わないよ。

 で、でもそれなら。
 わたしの、海原(うなはら)(すばる)への気持ちって。


 ……顔に書いて、ないのかな?




 かけがえのない時間は、あっというまに過ぎてしまうから。

「……あんまり遅くなると、怒られるよ」

 そういって、わたしは。
 名残惜しいけれど、海原君を放送室から追い出しにかかる。

 だってそれが、この空間をくれたみんなへの。
 最低限の、礼儀だと思うから……。


「海原君、いってらっしゃい!」


 わたしは、とびきりの笑顔を添えて。
 大好きな人を、送り出す。
 ほんのり頬が赤く染まった、その顔を見られたこの瞬間は。


 わたしの。



 ……わたしだけの、特別だ。