……いつもより、相当時間をかけて湯呑みを洗うことにした。
洗い場は寒いけれど、温水が少しだけ両手をあたためる。
ちょうどよい機会だからと、しつこい茶渋まできれいに洗い落として。
少しでも自分の気持ちを落ち着けてから、放送室に戻ると……。
「み、三藤先輩……おかえりなさい」
静かに歩いてきたはずなのに。
海原くんは、まるで『なにか』を警戒していたように。
すぐに扉を、開けてくれた。
部屋の中に入る前に、念のため机の上を確認する。
渡された『それ』を机の上に置きっぱなしにするとか。
ほうけたように眺めていたりはしていないようだ。
……とはいえそんなこと、『恐ろしくて』できないわよね。
「どうかしましたか?」
「なにか?」
「……いえ、ふと笑った気がしたので」
「自虐的なことを考えていただけよ」
「は、はぁ……」
わたしはそういって、湯呑みなどの入った洗い物のカゴを押しつける。
「ありがとうございます」
窓際に運んで、中身を乾きやすいようにしているその後ろ姿をチラリと見て。
わたしは海原くんが振り返るまで、無言で待っていた。
「……同じものをふたつ受け取るのって、どういう気分かしら?」
「はい?」
わたしの両手から、もうひとつの『それ』が。
静かに海原くんの両手へと着地する。
「色違いの包装紙に、見覚えがあるのよね」
わたしの心は、穏やかで。
「でもどうして『同じ』なのかが、謎なのよね……」
ただ自分自身に、問いかけている。
……見えなくてもよかったものが、見えてしまった。
「あっ……ちょ、ちょっと待ってね」
美也ちゃんが、慌てた声を出さなければ。
お弁当包みの『底』にあったものに、気づかずに済んだのに。
……わたしには偶然。『それ』が見えてしまった。
違いがあるすれば、美也ちゃんの包装紙は赤色ベースで。
わたしのそれは、緑色ベースだということくらい。
特徴のある包装紙は、間違いなく同じお店のもので。
あの薄さとサイズで、海原くんために買うものだとすれば……。
「飛行機柄のハンカチ、『本日』二枚目でしょうが。差し上げます」
先ほどわたしが、どうして『同じ』なのか謎と口にしたのは。
海原くんが手にした、商品そのものの話しではない。
同じものを選んだ、美也ちゃんと自分の気持ちの『違い』が謎なのだ。
クリスマスだから、なにかを渡したい。
せっかくなら海原くんの喜んでもらえるものを、渡したい。
同じお店なのは偶然だとしても。
同じものに目がいったのは……海原くんの好みを知っているからだろう。
それを渡すと決めて、実際に渡したのも一緒。
だとしたら……。
どんな想いで美也ちゃんはそれを、海原くんに渡したのだろう?
いや、美也ちゃんの気持ちは知っている。
では、わたしの心の中とはいったい……。
もしかして。
もしかしてだけれど……。
わたし『も』、海原昴のことを……。
「あの……三藤先輩……」
何度か呼びかけているのだけれど。
なにか深い考えごとをしているのがわかって。
これ以上邪魔していいのか僕は迷った。
ただ、黙って受け取って終わるのは失礼だと思ったのだ。
「ご、ごめんなさい。どうしたのかしら?」
先輩が、ようやく気づいてくれて僕を見る。
「ありがとうございます」
「どう……いたしまして」
「開けても、いいですか?」
「『同じ』ものよ?」
「でも、下さったかたは違います」
すると先輩は、一瞬なにかを考えたあとで。
「本質は『違わない』ようなので……気にしないで使って」
いまは開けるな、ということなのだろうか?
「あの、それはどういう意味で……」
「誰からなのかは『決めないでいい』という意味です」
「えっ?」
「美也ちゃんには……わたしが説明しておくので、心配しないで」
「でも、それだと都木《とき》先輩は……」
「どうして! 知らないままじゃ、ダメなの?」
……思わず、声が大きくなってしまった。
海原くん、ごめんなさい。
わたしはきっと、怖いのだ。
選ぶとか、選ばれるとか、はたまた選ばれないとか。
いつかそんな選択を知らなければならなくなるのが、怖いのだ。
あなたはきっと、美也ちゃんの前ではわたしを気づかって。
わたしの前では、美也ちゃんを気づかっている。
……誰かを『選べ』なんて、それはきっとわたしたちのわがままだ。
「……ねぇ、海原くん」
「はい」
「クリスマスを、嫌いにはなりたくないの」
「はい」
「だからね、あなたと喧嘩をしたくない」
「……はい」
差し出したハンカチを、手元に戻そう。
なかったことに、してもらおう。
美也ちゃんのものだけあれば、もめることなんてない。
そうすれば隠すことも、秘密にすることもない。
……すべてはわたしの、心の中へ戻せばよい。
カサカサと、包装紙を開く音が聞こえてくる。
「えっ?」
「本当に同じですよ」
「だから、それは伝えたわよね……」
「うれしいです。気に入ったものをふたつもいただけたら、うれしいですよ」
「そ、それは……?」
「同じものをふたつ受け取るのは、どういう気分かと聞かれたので」
「う、うん……」
「正直に、答えました」
「そう、なのね……」
……三藤先輩にも、都木先輩にも。
自分の口で伝えるのが、せめてもの礼儀だと思った。
「だから都木先輩にもその旨、お伝えするのは。僕にさせてください」
……もらいっぱなしの自分が、不甲斐ない。
誰にでもいい顔をしていては、いけないのだと。
ごく当たり前のことに、ようやく気がついた。
もしかしたら、すべてを失うかもしれなくても。
僕は、それでも自分の心を決める必要があるのだと。
ようやく少し、理解できた。
先輩たちや、みんなのあいだで。
僕のために、隠しごとをさせてはいけないのだ。
「それは……違うわよ」
「えっ?」
三藤先輩が、半泣きの声で僕にいう。
「ふらふらしていていいの」
「でも、それだと……」
「まだ、それでいいの。それがいいの。そうでないと……困るの……」
……あなたは、みんなに『好かれて』いる。
誰もいま、あなたに選べとはいうはずがない。
だから美也ちゃんは、必死に耐えている。
姫妃だって、玲香も由衣も……恐らくそうなのだ。
わたしが。
一番自分の気持ちを整理できていないわたしが、決めさせてはいけない。
だから海原くんが『決める』のは、いまではないの。
女の子同士で、もう少し争わせて。競わせて。
たぶん……それが楽しいのよ、わたしたち。
いつかみんなが納得したとき。
あなたが誰を選ぶかは、あなた次第。
でもそれは、絶対に。
……いまでは、ないの。


