……海原(うなはら)くんが、目の前で拉致された。


 その結果、いまわたしはたったひとりで。


 ……『海原くんについてのこと』を、聞かれている。


「なんか、先輩に連れていかれちゃったねー」
 同じクラスの女の子はそういってから、しばらく沈黙すると。
 一度小さく、ため息をついてから。
「やっぱわたし、こういう企画は苦手だな……」
 いままでとは違う、寂しそうな口調でつぶやいた。

「ねぇ、いったいどういうことなの?」
 新聞部の、新部長が。
月子(つきこ)、ごめんね……」
 わたしにそう断ってから、語りだす。


 これまでの新聞部のテイストは、どちらかといえば硬派だった。
 発行回数自体は多くはないし、時期もまちまちではあるけれど。
 それでも紙面の中身については。
 運動部の試合に同行して、観戦記を掲載したり。
 部長会の内容なども、参加しない生徒に知ってもらおうと。
 問題提起も厭わず、それでいて独善的にならずに。
 毎号ていねいに伝えていた。

 ところが、代替わりした現在。
 部長以外は男子ばかりで。
 彼らはいわばゴシップ、わたしにいわせれば低俗とでも。
 とにかく軽いノリの紙面を、思いついたときに出せばよいと。
 その方向性で、話しが進んでしまっているそうだ。

「それでね、いきなりクリスマス恋愛特集をするとかいい出してね……」
 校内のカップル紹介とか、恋人募集中の生徒の写真企画などが進行中だと。
 彼女は少し苦々しげな表情で、わたしに教えてくれた。


「……だったら海原くんとは、無縁の世界じゃないかしら?」
「まぁ『募集する必要』は、ないかもねぇ……」
 彼女は、わたしにはよくわかならいことをつぶやいてから。
「男子たちが、悪ノリで紙面を全部埋めるよりはね……」
 せめて自分だけは、きちんと取材をしようと考えたのだといった。

「取材記事を読んでもらって、少しでも改心してくれないかなって……」
 以前のわたしならきっと。
 そんな理由で、わたしたちを巻き込むのはダメだと。
 一方的に拒否するだけで終わったと思うけれど。


 なぜかこのときわたしは。
 海原くんなら、この子を責めない。

 ……そう思って、踏みとどまった。





 ……三年生の元・新聞部長は僕に。

 ひと気のない渡り廊下で。
 きっと三藤(みふじ)先輩がいま、まさに聞いているであろう内容を教えてくれている。

「あの子に悪気はないんだ、だからゴメンね」
「あぁ、別にいいんです……それにしても……」

 どこの部活も、ものは違えど悩みがあるのだと。
 そんな当たり前のことを、知った気がした。


「ところで。その割に、なんだか慌てていませんでしたか?」
「え、えぇっと、それはね……」

「『女同士』って、色々あってねぇ〜」
 残念ながら僕には。
 わけがまったく、わからなさそうなことなので。

 ……それ以上の深追いは、遠慮しようと思った。





 ……海原君って賢いというべきか、やっぱり鈍いというべきか。

 ただ、都木(とき)美也(みや)
 あの子が好きになるだけのことはあると。
 わたしは改めて、実感した。

 高三の放送部員は、美也しかいないから。
 わたしたちが意外に仲良しなのは。
 きっと誰も、知らないのだろう。


「……えっ?」
「なんかわたしの後任の部長が、悩んでてね……」
 新聞部で、妙な恋愛企画が進行中で。
 ひょっとしたら、海原君が取材されるかもしれないと。
 そんなことを美也に話したとき。

「あの子がね、なんとなくそう見えた気がしたから聞くだけだって」
 百人以上が集まる教室の、最前列で。
 大胆にも手をつなぐなんて……あるわけがない。

 わたしとしては、あの彼。
 いやむしろ、美しいのにとんでもなく無愛想な副部長が。
 瞬殺で否定して、それで終わり。
 小ネタにさえならない。

 ……それで終わりだと、思っていた。


「……いますぐ、とめてきて」
「えっ? どうしたの、美也?」
「月子に……『気づかれたら』、ダメなの」

 美也が、本気でなにかを心配している。
 それがわかったからわたしは。
 慌てて、とめに走ったの。

 最初は正直、いまいちわからなかったけれど。
 新聞部の部室にいって、彼の隣に座る彼女を見て。
 わたしは、美也がなぜ焦ったのか理解した。

 美也が海原君を、真剣に好きなのは知っている。
 だけど三藤さんはなぜだか。

 ……自分の気持ちの『核心』に、まだ『気づいて』いないのだ。


 たとえゴシップネタだとしても。
 わたしたちは、新聞部だ。

 ということは、取材対象へ質問するとしたらもちろん。


「海原君のことを、どう思っていますか?」


 ……必ずそう聞いてしまうだろう。



 女同士は、色々ある。

 わたしはあくまで、『美也の味方』だけれど。
 わたしの後輩が、『誰の味方』なのかはわからない。

 いや、結果的に。
 意図しない『誰かの味方』になるかもしれないけれど。
 それは間違いなく、取材中にあってはいけない。


 ……海原君を、美也以外には渡せない。


 そう思ったから、さっきは焦っていたなんて。
 海原君さぁ……。
 わたしから、君に説明するわけにはいかないよ!





 ……海原くんが、部室に戻ってくると。

「安心して月子。さっきの『ネタ』は、封印するね」
 新聞部の『友人』はわたしに、そう耳打ちした。

「ふたりとも、きょうはありがと〜!」
 部屋を出る際に、その子がご機嫌に手を振ってくる。

 仲良さそうな顔では、まだ返事はできない。
 わたしは、代わりにわずかに会釈をして退出すると。
 部室の並ぶ廊下に置かれた、小さなクリスマスツリーをチラリと見る。


 ……放送部のみんなとは、話さないことを口にした。

 正直知らない人と話すのは、いまだって苦手だけれど。
 口の固い友人というものは。

 ……違う部活にも、いてもいい存在なのかもしれない。


「三藤先輩。なんだか、楽しそうですね」
「そうかしら? 取材から解放されたから、そう見えるだけじゃないの?」

 放送室で、みんなといるのは嫌ではない。
 だが、こういうときにふと思い出す。
 わたしたちが『ふたりだけ』で話せる機会は。
 意外なほど、少なくて。

 それが、もしかしたらわたしには……。

「……あの、海原くん?」
 部室に戻る前に、玄関ホールのクリスマスツリーのようすでも確かめないかと。
 わたしが、聞きかけたところで。

 ……聞き覚えのある、足音がした。


「あ……」
 海原くん、わざわざ続きを口にしなくていいわよ。

 わたしたちの視線の先にある、その人は。
 戸惑いながらも、わたしたち。
 いや、海原くんをしばらく見てから。
 やっとわたしを見て、遠慮がちに手を振った。



「……先に、戻らせてもらうわね」
 わたしは、海原くんにそれだけ告げると。
 そのまままっすぐ、ひとりで歩きだす。

 その人と、すれ違う瞬間には。
「……月子、ありがとう」
 飾らない感謝の言葉を、口にされたのに。
「いえ……」
 わたしは、無愛想なことしか返せない。


 いままでなら、なにごともなく。
 三人で並んで、歩けていたはずなのに。
 きょうはなぜだか。
 その人も、わたしも。

 ……海原くんの隣を、同時に歩くことはしなかった。


 もしかしたらその人と、わたしは。
 この先、互いに逆方向にしか進めなくなるのだろうか?

 そう考えると、怖くなったわたしは。

 長い廊下を、ひとりきりで。


 ……うつむきながら早足で、進むことしかできなかった。