……不注意な自分を、反省するほかない。

 保健の先生が、たまたま印刷室で泣いていた高嶺(たかね)を見つけてくれて。
 とりあえず、保健室で休ませていると。
 わざわざ放送室まで知らせにきてくれた。

「……うかつでした、すいません」
「別にいいのよ。チョコあげるからって誘っただけ」
 先生はそういうと。
「はい、海原(うなはら)君。ちゃんとみんなで分けるんだよ」
 チョコレートの板を、六枚も渡してくれた。


 朝礼に戻るために、中央廊下を。
 みんな無口で進んでいく。
 ただ階段で別れる前に三藤(みふじ)先輩が。
「立ち止まれないのよ、わたしたち」
 誰に聞かせるでもなく、つぶやいた。

 三藤先輩だけでなく、玲香(れいか)ちゃんも、波野(なみの)先輩も。
 そしてまだ、都木(とき)先輩だっているというのに。

 ふたりが抜けたことで、高嶺がそこまで弱ってしまうなんて……。


 ただ、このときの僕はまだ。
 実は弱っていたのは僕自身なのだと。

 ……そんな簡単なことにも、気づいていなかった。





 ……海原くんを、支えきれていない

 己の力不足を悔やむというより。
 わたしが、『あの人』との実力差を痛感していると。

「……ねぇ、ちょっと月子(つきこ)?」
 陽子(ようこ)が、わたしに声をかけてくる。
「えっ?」
「あ……気づかれた」
 教卓から、響子(きょうこ)先生が近づいてくる。
「ちょっと、わたしの授業。ちっとも聞いてないでしょ〜」

 すべてお見通しみたいな顔で。
 隣の陽子と玲香にだけ、聞こえる声で。
 響子先生がわたしに話しかけてくる。

「もうすぐくるのは、クリスマスだよ。お葬式じゃないからね」
「……」
「寡黙な月子はいいんだけど、暗いのは最近あんまり似合わないわよ」
「……えっ?」
「わたしじゃないよ、佳織(かおり)がいってたの」

 近くのふたりが、小さく笑う。
「よし、きょうは終わり!」
「えっ?」
 まだ授業が、三十分以上残っているのに?


「なんだか三藤(みふじ)さんがね、早く終わってってうるさいのよ〜」
 ちょっと!
 どうしてわたしなんですか?

「えっと、佳織。じゃなくて藤峰(ふじみね)先生が終礼も省略するそうですので……」
 響子先生が、勝手にわたしたちの担任も巻き込むけれど。
 きっと、親友だからいいでしょ?
 それくらいにしか、思っていないのだろう。


「ただし、見つからないように。一組のプライドにかけてお願いね!」
 静かに、隠密行動で。
 音を立てず、廊下に出たらしゃがんで進むこと。
 そうやって部活にいくもよし、下校するもよし。
 それが面倒なら、チャイムが鳴るまで教室で宿題でもしておきなさいと。

「アリバイのためにわたしも残るから。質問ある子たちは遠慮しない!」
 先生はそんな適当すぎることをいうと。
 わたしに小さく手を振って。
 早く教室から消えなさいと、合図を出す。

 わたしは思わず、陽子を見たけれど。
「ほら、いくよっ!」
 隣から玲香がわたしを、引っ張った。



 二年生の長い廊下を、一組の生徒の半分ほどが。
 中腰で静かに進んでいく。
 ようやく中央階段に差し掛かった頃、先頭の子がなにか声を出すと。
 あぁ……。
 よりによって寺上(てらうえ)校長だ……。

「み、三藤さんの提案で……」
 先頭の子が、勝手にそういうと。
 玲香が隣で小さく吹きだしている。

「元・寡黙な優等生。前にいらっしゃい」
 校長が、手招きでわたしを呼ぶ。
「元・寡黙な優等生だって」
 玲香がわざわざ小声で繰り返すと。
 近くの女の子たちが、必死に笑いをこらえている。

「ほら、早くいらっしゃい」
 校長に叱られるなんて、わたしの中では前代未聞で。
 思わず渋い顔をしたわたしに、校長は。
「いいクラスメイトが、できてきたのね」
 笑顔で、そんなことを告げてきた。


「えっ……?」
 ふと、気がつくと。
 一緒に教室を『合法的に』脱走したクラスの子たちが周りにいて。
 男子とは、まだ距離があるけれど……。
 女子たちがわたしを、ニコニコしながら取り囲んでくれている。

「中央廊下を歩くときは、中腰のほうがかえって目立つわよ」
 寺上先生は、周囲を見渡してそういうと。
「この先は、堂々と歩きなさい。ただし、静かにね」
 そういって、三階に向かっていった。


「月子、また明日!」
「三藤さん、サンキュー」
 わたしは、なにもしていないのに。
 みんなが、声をかけてくる。

「なんかちょっとだけ……(すばる)君みたいだね」
 玲香はそういうと。
 わたしの腕をまた引っ張って。
「じゃ、堂々といこっか!」
 まるで、響子先生か佳織先生みたいに。

 ……前だけを向いて、歩き出した。





 ……ちょっと。なにしてるの、あのふたり?

 佳織先生の授業中、ふと窓の外を見て。
 わたしは、中央廊下を進む月子と玲香に気がついた。

「どした、姫妃(きき)?」
 うわっ、先生。
 いきなり隣に、顔出さないでよ!
 それから、先生はわたしの視線の先に気がついて。
「なるほど、響子かぁ〜」
 少し楽しそうに、つぶやくと。

 クラスのみんなに、十分聞こえる声量で。
波野(なみの)さんさぁ、忘れ物とってきて! 探すの大変でも見つけてきてね!」
 そういって、右目でウインクしてから笑顔になる。


「えっ?」
「ここにいたって、しかたないでしょ?」
 教師としては、無茶苦茶だし。
 わたしの背中を押すその右手が、チョークだらけなのも……複雑だけど。
 
 でも先生、海原君のためだもんね。
 だから……あ・り・が・とっ!





 ……ちょうど板書を終えたタイミングで、突然校長に廊下に呼び出された。

都木(とき)さんは受験生だけど、放送部員よね?」
 あのふたりの元・顧問だけあって、寺上先生は。
「どう? 講習の中身は理解済みかしら?」
 わたしの扱いに、とっても慣れている。

「……あなたに頼って、ごめんなさいね」
 いえ、こちらこそ。
 わたしを呼んでくださって、ありがとうございます。


 階段を降りると、タイミングよく姫妃があらわれて。
「よかった〜!」
 わたしを見て、ちょっとだけ抱きついてくれた。

 放送室にいくと、玲香が扉を開いて歓迎してくれて。

 それから、背筋を伸ばした月子がわたしを見て。
「美也ちゃんがいないと、わたしではまだ力不足です」
 とってもうれしいことをいってくれた。

 それぞれの席に座ると、お互いを見つめ合う。
 それから、誰からとなく扉を見ると。
「あと、まだひとり必要だね……」

 四人が一斉に、同じことを口にした。





 ……走るしか、ない。

 保健室にいるだけなのも気が重くて、トイレにいったら。
「いたいた、高嶺さん。まったく……この学校、無駄に広いのよね……」
 校長が、こんなところまでわたしを追いかけてきた。

「あ、そろそろ教室にいこうかなって……」
 慌てたわたしに寺上先生は。
「なにいってるの? 授業受けてる場合じゃないでしょ?」
 学校長だよ、いいのそれで?

「三年生と、二年生を解放したのよ。あなたが教室じゃないとダメな理由ある?」
 なにそれ……。
 その理屈、全然わからない。

「ほら、その顔!」
「えっ?」
「『由衣(ゆい)』が下を向いてたら……誰も浮かばれないじゃない」
「えっ……?」

 その笑顔を見てわたしは。
 先生と、先生の娘の……かえで先輩のふたりに。
 応援してもらえた気がした。


 ……わたしは、走る。

 無駄に広かろうが、ただの校舎なんだから。
 遅れた分だけ、走って。
 急いでみんなに、合流する。

 落ち込むわたしは、わたしじゃない。
 笑えないわたしは、わたしじゃない。


 ……海原昴なんて、どこがいいのかわからない。


 でも、アイツが前に進むためには。
 わたしたちがいないと、ダメなんだ。



 放送室の扉を開けると、みんながいて。
 わたしが飛び込んでくるのを、待っていた。

「これだけかわいい女子がいて、暗い顔の部長とかありえない!」

 わたしはとりあえず、そう叫んでから。


「このメンバーで、絶対乗り切りますからね!」


 そういって、陽子ちゃんと夏緑(なつみ)がいない放送室を。



 ……受け入れるのだと、宣言した。