「……えっ、どうしたの?」

 放送室に由衣(ゆい)が、まるで泣きそうな顔で入ってきて。
 思わずわたしは、読んでいた雑誌を落としかけた。

姫妃(きき)ちゃんこそ、どうしたの?」
 気丈な笑顔で、聞いてくるから。
「好きな女優さんの、『恋愛』ドラマ特集読んでただけだよ?」
 普通に答えてみたのだけれど。


 ……ちょっと、なにがあったの?


「アイツと、夏緑(なつみ)が会ってるんです……」
「えっと、海原(うなはら)君と。不思議ちゃんの鶴岡(つるおか)夏緑(なつみ)のこと?」
「……ほかに、誰かいます?」

 まぁ、いないよね……。

 でも、それがどうかした?
 同じクラスだから、日直とかのこと?
 それなら、月子(つきこ)陽子(ようこ)がまさにいまやってるよ?


「話しがあるからって、相談したいからって……」
 それのどこが、おかしいの?

「……だって姫妃ちゃん、心配になりません?」
 最近わたし、出番が少ないから。もしかして勘が鈍っていたのかな?
 由衣が、割と『恋愛』的な心配をしているんだって。


 ……ごめんね、いまやっと気づいた。


 ただね、わたしは昔みんなに宣言したとおり。
 性格悪いから、ストレートには向き合わない。
「由衣、やっと好きだと自覚したの?」
 そんなことを聞いてあげたりなんて、してあげない。

 だってそうでしょ?
 やっと陽子が降りて。
 美也(みや)ちゃんが、受験だから少し控え目で。
 玲香(れいか)も、月子もつられて落ち着いていて。
 恋愛的には穏やかに、クリスマスを過ごせそうなのに……。


 ……ここであえて、波風立ててもって思わない?


「あのふたりだよ? 『そんな気持ち』なんてなにもないでしょ〜」
 もう、ドラマの展開よりわかりやすいと思う。
 一番ありえない組み合わせだから。
 そんなの心配するだけ、時間の無駄だよ。

 ……あれ?

 でも、『ドラマなら』それって。
 大どんでん返し、ってこと?

 ……このあと、視聴者の予想を裏切る展開に!

 えっ、それって……。
 わたしたちにも、当てはまるってこと?


「由衣! あのふたり。どこで『密会』してるの!」
「……えっ?」
「『密会』なんて! そういうの、よく・な・い・よ!」
 わたしは思わず、ふたりきりの場面を想像する。
 マズイ、それはマズイ。
 そんな展開、一番見たくないやつだっ!

「お待たせ〜。なんだか、月子が飛んでいってね〜」
「ごめん、遅くなったね」
「陽子、玲香! 海原君がピンチ!」
「え、どういうこと?」
「由衣、説明し・て・っ!」





 ……なんだか姫妃ちゃんの、変なスイッチが入ってしまった。

 だけどおかげで、陽子ちゃんも玲香ちゃんも。
(すばる)君と、夏緑が?」
 なにもあるわけがないと、確信を持って答えていて。

 おかげで、わたしは。
 アイツのことで、心が揺れることはあってもいいし。
 逆に心配し過ぎても、しかたがない。
 ここのところ、つい忘れがちだったことを思い出せた。


 ただ、急に安心し過ぎたせいで。
 最近わたしを悩ませていた、『別の問題』の存在まで。
 ついうっかり忘れてしまったことに。
 このときのわたしは、気づいていなかった。

「それで、結局ふたりはどこにいるの?」
「知ら・な・いっ!」
「まぁ、そのうちくるでしょ〜」
 そうだ、アイツがきたら聞けばいいだけなんだから。

「あとで、思いっきりとっちめちゃいましょう!」
 わたしは、やっぱり。
 わたしのやりかたで接すればいいんだと。
 そう思うと、久しぶりに。

 ……わたしは笑顔になれた気がした。





 ……なんだか、背筋がゾクっとする。

「ウナ君、どうしたの?」
「あ、いや悪寒がしただけで……」
「風邪とかじゃないよね?」
 鶴岡さんが、そういって。
 何気なく、右手を僕のおでこに当てようとして……。

「ちょっと! なにしてるのよ!」
 あぁ、三藤(みふじ)先輩が……。
 すごい勢いで、入ってきたもんだから。
「えっ? あっ!」
 そういって、不思議ちゃんが驚いたついでに。
 座っていた僕のおでこを、両手で突く感じになって……。
「ガンッ!」
 大きい音と、鈍い音が同時にして。
 僕の頭が、機器室のスチールのキャビネットに激突した。

 あ、頭から……煙があがる……。
 漫画でよくある情景が。
 まさか、自分の身に起こるなんて……。


 自分のしたことに、驚いている女子高生と。
 勘違いだとはわかったけれど、なんだか不機嫌な先輩が。
 僕を見下ろしたまま、固まっている。

「ご、誤解でして……」
「天罰で、いいんじゃないかしら?」
「ウナ君、ごめんね……」
「いいのよ、悪いのは海原くんなのだし」
 そ、そんなぁ……。

 ただ、そのおかげというかなんというか。
 このあとは、穏やかな感じで鶴岡さんと話しが。
 できそう、だったのに……。


「……えっ?」
 藤峰(ふじみね)先生と、高尾(たかお)先生。
 な、なんでふたりが、ここにいるんですか……?

「講堂で、打ち合わせしてたらねぇ……」
「なんだか、悲鳴が流れてきたのよ……」
 どう見ても昼寝していただけ、そんな顔のふたりが。
 僕でもわかる嘘を平気でつく。

「失礼ねぇ!」
「パン食べて、考えごとしてたの!」

 ……で、寝たんですね。

 でも、どうして僕たちの声が?
「あっ……」
「そういうことね……」
 三藤先輩と同時に、僕も理解した。
 この、『不思議ちゃん』の仕業か……。

「鶴岡さん、そのボタンは押さないでね」
「機器室の音声が、講堂内に流れてしまうので、押してはダメよ」
「す、すいません! なんか押しやすくてつい!」
 スイッチは、やたらと押すもんじゃないのに……。
 やれやれ、次回からは気をつけないと。


「じゃぁ先生たち。どうぞ『打ち合わせ』にお戻りください」
 僕がせっかく、昼寝に戻れと親切に伝えたのに。

「なんでっ! わたし最近全然出番ないしっ!」
「ふ、藤峰先生……」
「おまけにずっと、ネタ引きずってるでしょ! ひとつくらい聞かせてよっ!」
 ただでさえ面倒な先生が。
 勝手にひとりで、ヒートアップしている。

 物の本によれば、クリスマス前になると『荒れるおとな』がいるらしいけれど。
 そういうタイプなのか、この先生?

「海原君……佳織(かおり)に恋人いないのとか、トップ・シークレットだからね……」
 高尾先生が、耳元でボソリとささやくけれど。
 そんなのもう公然の秘密、いや秘密でさえないでしょうに……。

「き、響子(きょうこ)と一緒にしないでよっ!」
 あぁ、いわんこっちゃない。
「そんな、わたしにだって秘密くらい!」
 暇なふたりが出番を求めて。どうでもいいことをはじめてしまう。


 まったく、ふたりとも。
 学校でパンばかり食べていないで。
 澄ました顔で街角で立っていたら、ひょっとしたら誰かが……。

「……それは間違っているわよ、海原くん」
 三藤先輩が、僕の心の中を読んだらしく。
 力強く僕の意見を否定すると。

「……どんなに美人でも、愛想がなければ三日で飽きるものよ」
「えっ? つ、月子……」
「なにそれ……自己紹介?」
 さりげなく『自爆』している。


「……先生がた、どういうことですか?」
「あ、いえいえ……」
「なんでもないわよ……月子って、物知りなんだね」

 たぶん、三藤先輩は。
 新しく読んだ本にあったセリフを、使ってみたかっただけだろう。
 ただおかげで、先生たちがおとなしくなってくれたので。
 それはそれでよしとしよう。

 さらに加えて……。
「月子ちゃんって。ガチの恋愛小説とか、読むんですか?」
 不思議ちゃんの鶴岡さんが、ナチュラルに質問してくれて。
「……たまにだけれど、どうして?」
 先輩のそんな答えを聞けて。
 先輩が読むのは、古典だけじゃないんだと。
 改めて知ることができて……少し新鮮な気分になった。



「……もういいから海原君、先に進めよっか?」
 高尾先生は、そういうと。
「夏緑ちゃんの、転校の話しよね?」
 担任だもの、当然知っているわよ。

 ……そんな、顔をしたけれど。

「え? 違ったの?」
「し、知りませんけど……」
「そ、そうなんですかっ!」
「うそっ……」
「えっ?」
「な、なんで……」

 あぁ……。
 三藤先輩と、僕だけじゃなくて。
 先生たちが、余分にしゃべるもんだから……。
 文字にすると、ややこし過ぎる。


 ……あの、鶴岡さん。

 すいません。
 どれが自分のセリフだったか、もう一度お願いできますか?


「な、なんで……」
 このとき、律儀にも。
 もう一度声にしてくれた、不思議ちゃんは素直でエライ。

 ただし、その手が同時に。
 講堂の機器室の、『秘密の扉』を開いたことなど。

 この部屋の誰も、このときは。


 まったく知らなかったのだ……。