……えっ?

 指定された時間の、二分後を想定して。
 三藤(みふじ)先輩の家に着くよう歩いていたところ。

 門の外では、先輩の『お母さん』が。
 僕に向かって、控えめながら手を振っていた。


海原(うなはら)君、お久しぶりね。お待ちしておりました」
「ご、ご無沙汰しています……」

 母親に持っていくよう伝えたれた手土産を渡すと。
「あらこれ、先日おっしゃられていたものね」
「えっ?」
「先日お母さまと。お話しさせていただいたときのもの、ですけれど?」

 ……そうか、母親は。

 あのとき『三藤さん』とはいっていたけれど。
 三藤(みふじ)月子(つきこ)その人だとは、ひとことも口にしていなかったのだ。

「……月子には、お使いをお願いしていましてね」
 僕の心を見透かしたように、先輩のお母さんが告げてきて。
「立ち話しもなんでしょうし、どうぞおあがりくださいな」
 なんだか、楽しそうにいわれても……。
 こ、この状況はいったい……?



 ……要件を終えると。
 
 先輩が戻るまで待つよう、勧められたものの。
「突然お邪魔した理由が、作れません」
 そういって、僕は先輩のお母さんからの申し出を断った。

「それもそうね……でも、会えなくて寂しくはありません?」
 え、笑顔で聞かれても。
 いったい、なんと答えればよいのやら……。

「ま、また明日学校でお会いできますので……」
「要するに。お休みの日は、娘に会うのは不要だと?」
「いえ……でも、あの……」
「月子が戻ったら、さぞかし驚くでしょうに」
「さ、サプライズはよくないですので。失礼しますっ!」
 そう答えると僕は慌てて、三藤家をお(いとま)してしまった。


 すっかり葉の落ちた、並木道を歩きながら。
 この先どうしたものかと、考える。

 ……というより、これは三藤家の『案件』で。

 はたして僕が扱えるような、ものなのだろうか?
「『この時期』は落ち着かない」
 先輩がそう思う理由は、よく理解できたものの。
 対応を一任された僕の、時間的猶予はあまりない。

 そもそも、僕が……。
 いや。僕に、任されても。
 いいのだろうか……?



「……あら、どこかからのお戻りですか?」
 ふと聞こえてきた、久しぶりのその声は。
 あぁ……高尾(たかお)先生の、お母さんじゃないですか。

「お、お久しぶりです」
「はい、それでどちらから?」
「えっと、ちょっと戻るところで……」
「ええ。ですから、どちらからですか?」

 さすが先生のお母さんだけあって。
 興味のあることには、まったく容赦ない。
「あちらから、です」
「そうですか、この近くのお宅からですか……」
「えっ……?」

 それ以上の追求を交わすために、ぼ、僕はつい慌てて……。
「お持ちしますねっ!」
 そういって、先生のお母さんが両手でぶら下げていた袋を手に取ったものの。
「ウゲッ!」
 予想だにしない、ずしりとした重さに。
 思わず奇妙な声を、出してしまった……。


「走って逃げるとか、ほかに方法はあったでしょうに……」
「確かに……取るべき手段を間違えました」
 両腕に、ずしりとした重さを感じながら。
 僕は高尾先生の実家、要するに夏休みにみんなの合宿会場となった。
 先輩の家の最寄り駅の反対側にある、あの『神社』へと向かっている。

「ところで、この重たいものは……?」
「あのですね、海原君?」
「は、はい……」
「女性に持ち物の中身を聞くのは、変質者と間違われますよ?」
「そうなんですか?」
「そういうものです」

 い、いやそういう問題ではなくて……。
 どう考えても、いや年齢的にも。
 こんな重たいものを、わざわざ持って歩いているから。
 気になっただけなんですけれど……。


「左のそれは……『塩』ですわ」
「えっ……?」

 日曜午前の住宅街で、超重量級の塩を運ぶ年配女性。
 不審者アラートって、そっちのほうに反応するんじゃないんですか……?

 い、いや。
 なんといっても、あの高尾先生の母親だ。
 少々常識では測れないことがあっても。
 気にしていたら、こちらの寿命がもたない。

「ちなみに右側のそれは、『砂』ですわ」
 あぁ……ますます理由が、わからなくなるけれど。
 なんの伏線にもならない会話なので。
 読者のみなさんも……気にしないでおいてください。

 とにかく、塩と砂を神社に置いて早々に退散しようと。
 僕たちは踏切を渡り、大鳥居へと向かっていく。


「レオ、ゴマちゃん。ただいま戻りました」
 あぁ……。
 神社の狛犬(こまいぬ)の名前って、高尾先生だけが呼んでいるんじゃないんだ……。

 背筋を伸ばして、鳥居の前で一礼しているその姿と。
 狛犬の名前がまったく合致しない。

「まだまだおりますから、ご紹介しましょうか?」

 ……な、夏合宿のデジャブだ。

 あのときは、巫女姿に変身した先生が。
 駅までその格好で、迎えにきて。
 ずらりと並ぶ狛犬の名前を、ひとつひとつ呼びはじめたんだっけ?


 覚えているだろうが念のためにと。
 手前から三郎(さぶろう)、次がガーネット。アイスマンにアスパラベーコンと。
 命名理由さえ意味不明の紹介がはじまったので。
「あの……高尾家にとってはどれもペット、みたいなものですか?」
 思わず僕が、質問すると。

「……はい?」
 それまでの笑顔から、先生のお母さんが真顔に変わって。
「狛犬は、石でできておりますが? 海原君、あなた大丈夫?」

 うぉぉ……。
 逆に僕が、常識を疑われているじゃないか……。


「いずれも響子(きょうこ)への、プレゼントですわよ」
「こ、狛犬がですか?」

「まぁ……ペットみたいなものですわ」
 ついさきほど、思いっきり否定されたはずだけれど。
 これが高尾家伝統の、かみ合わない会話というものだ。

 少々耐性のついてきた僕は、この機会だからと。
「プレゼントって、お誕生日のたびにひとつずつでしたか?」
 ふと気になって、質問してみたのだけれど。

「まぁ!」
「……えっ?」
「あなた。もしかして狛犬の数で、響子の年齢調べようとしておりますの?」
 まだまだ、修行が足りないと悟ってしまった……。

「未だに、トップ・シークレットなのでしょう? 佳織(かおり)ちゃんに刺されますわよ」
 そうだった、藤峰(ふじみね)佳織(かおり)
 先生たちふたりは、同級生だ。
 片方の年齢を知るということは、つまり……。

「血を見ることに、なりますねぇ……」

 ……あの、先生のお母さん。

 どうしてそこだけは。
 スッと、腑に落ちることがいえるんですか?



「サンタクロース様からの、お届け物ですよ」
 まるで玄関先の運送業者さんみたいな、いいかたで。
 この瞬間、全世界に向けて。
 神社にもクリスマスプレゼントの習慣があるという事実が、明かされる。

「プレゼントが、狛犬ですか?」
「いわゆる幼児教育、みたいなものですわ」
「へっ?」
「あなたもいつか。その重要性が、わかる日がきますわよ」

 幼児教育と狛犬の関係性は、まったくわからないけれど。
 あの先生が、どのようにしたら育つのか少し理解したので。

 ……反面教師として、参考にさせてもらおう。


 ただ。ここにひとつの、光明が差した気がして。
「ありがとうございます!」
 僕が思わずそう答えたところ。

「……どうやらわたしの出番は、ここまでのようね」
 突然先生のお母さんは、そうつぶやいてから。
 いきなり『アディオス』というと。

 ……重たい塩と砂の袋を軽々と抱えて、早足で消えていった。



「スペイン語で『サラバ』という意味じゃの」
「えっ?」

 こ、今度は……(はら)さんですか!

 神社の参道にある、小さなお(やしろ)で何百年か暮らしているというその『人』が。
 いきなり僕の目の前に現れると。

「オラ!」
 僕に、そう威嚇してから。
「元気にしとるな?」

 ……目のないその顔で、ニコリとほほえみかけてきた。