「……――続いてのニュースです――ええ、次は――……はい、そうですね。さて、続報です。これは――…悲惨な事件でした……――ここで、特集です。猫に関する隣人トラブルについて、です! 現在世論も注目している――」
俺は見ていたテレビを消した。
本日は、日曜日。これといって興味が惹かれる番組も無い。
折角の休日でもあるのだが、妻が亡くなってからというもの、出かける機会がめっきり減った。保育士の専門学校時代の同級生だったのだが、お互い無事に就職してからすぐに籍を入れて――僅か、一年半年ほどで急逝してしまった。病死だ。
二十代半ばに近づきつつある今も、俺は相変わらず妻の事を思い出してばかりいる。二人でお金を少しずつ貯めて購入した、マンションの一階の右から二番目のこの部屋で、今では一人、こうして休日を過ごしている。
今の俺を妻が見たら、きっと「もっと外に出たら?」と微苦笑する事だろう。
外、そう考えて何気なく、窓を見た。正面が巨大な窓硝子で、左の端には隣家の庭スペースも見える。奥さんの趣味がガーデニングだと、世間話で聞いた事がある。
特に春には綺麗な花が毎年咲き誇っている印象だ。残念ながら、俺は花に興味が無いため、チューリップ以外の花の名称は分かったためしが無いのだが。
本日も奥さんが、ガーデニングの作業中らしい。少しの間眺めていると、不意に目が合った。すると、笑顔で会釈してくれた。俺も頭を下げて返す。
瞬きをすると、妻の顔が脳裏を過ぎった。俺の妻も逝かなければ、今頃あの奥さんのように、庭に花を植えたりしていたのだろうか?
その時、窓の隣の壁に立てかけてあった野球のバットが倒れた。我に返った俺は、嘆息しながら立ち上がり、位置を正す。中・高学時代に野球部だった俺は、今でもたまにバッドに触りたくなる事がある。
実はこのマンションの大家の息子とは幼馴染で、ずっと部活が一緒だった。その縁もあって、右隣の大家宅とは少し親交がある。なおマンションの更に右横に、大家さんの本宅があったりする。
俺の両親が亡くなっていた事も手伝っていたのだろうが、昔からよく面倒を見てもらってきた。妻も天涯孤独だったから、俺達が惹かれあったのは、家族が欲しいという願望もあったからなのかもしれない。
それから再び外を見ると、窓の向こうに見知った顔――ホタルが佇んでいるのが見えた。
ホタルは、通い猫だ。
我が家の最たる愛猫の名前は、ナナハだ。妻が名付けた最初の通い猫で、俺の家に初めてやってきた猫である。ナナハは、そのまま部屋にいつくようになった。ただ、ナナハは現在脱走中である……。夜には戻ってくるから良いのだが……。
ちなみに――このマンションは、ペットの飼育が禁止である。
それでも、餌を与えるくらいは、許されるだろう。この地域には、野良猫が非常に多いから、色々な所でナナハやホタルは食事をしている様子だし、この二匹だけではなく、道を歩いているだけで、何匹もの猫を目にする。
ナナハの方は、もう飼っているに等しいとは分かっている。多少の罪悪感はあるが、俺は妻と共に小さい頃から可愛がってきた、ナナハをどうしても放り出す気にはなれない。
俺は窓硝子を開けて、ホタルを中へと招いた。ホタルという名前をつけたのは、俺のマンションの前にこのオスの猫が訪れたのが、丁度妻の命日の夏の事で、蛍という名前だった妻から取った。
勝手な幻想だが、蛍が帰ってきたかのような感覚になったのだ。
先谷は俺の苗字だが、普段から職場の保育所で、俺は槇野先生と下の名前で呼ばれる事が多い。先谷も槇野も両方苗字風だから、俺の姓が槇野だと勘違いしている保護者もいるほどだ。
なお俺は、俺を槇野ではなく、先谷と呼ぶ人々の多くが嫌いだ。
それにしても……猫は可愛い。どうしてこんなにも愛らしいのか。
俺は、ホタルを抱き上げて、ソファの上に下ろした。
オス猫はやはり大きい。メスのナナハの三倍くらいありそうな印象だ。
ホタルの性別がオスだと理解した時は、妻が帰ってきただなんて考えたロマンティストな自分を振り返り、一人で笑ってしまったものである。
その後俺は、キッチンから皿を持ってきて、ナナハ用に購入してあるキャットフードと、棚にあった鰹節、冷蔵庫からは牛乳を取り出して、ホタルに提供した。すぐにソファから飛び降りて、ホタルが真っ先に鰹節へと向かった。
きっと妻が生きていたら、「牛乳はあげちゃだめ!」だとか「キャットフードのみ!」だとか、俺を叱っただろう。俺は妻から聞いて初めて、猫には玉葱とイカを与えてはならないと知った。昔、ナナハが初めて来た日に、俺は生クリームが冷蔵庫に入っていたため、それを与えようとして、非常に怒られた記憶もある。
暫くの間、ホタルが食べるのを見守っていた俺は、その後外へ出たそうにしている事に気づいて、再び窓を開けた。帰っていくオス猫の姿を眺めていると、入れ違うようにナナハが戻ってきた。
やっぱり小さい。ナナハは今年で推定三歳だ。ホタルに比べると貫禄などまるでない。気も弱くて、だけど――優しい仔だ。俺はナナハを抱いてから、窓を施錠し、ソファに座った。俺の膝の上に座ったナナハを静かに撫でていると、ペロペロとザラザラした舌で指先を舐められた。夜はいつも、同じベッドで眠っている。
この日の夜もベッドに向かい、俺は翌朝のために目覚まし時計をセットしようとした。すると、腕時計ではもう夜の十一時半だというのに、時針が九時の手前で止まっていた。
「あれ、壊れちゃったか?」
思わず呟いて手に取った俺は、少しの間弄って電池などを変えてみたが、効果が無いものだから、大きく溜息をついた。仕方がない、暫くはスマホのアラームに頼む事にして、来週末にでも買いに行こう。
「また明日から仕事かぁ……」
自分の思考で週末の終わりを意識して、俺は肩を落とした。保育士という仕事にやりがいが無いわけではないのだが、いつも日曜日の夜は憂鬱になる。想像していたよりも激務だ。俺はナナハを抱きしめて、掛け布団をかぶる。
――左隣の隣室から爆音で音楽が聞こえてきたのは、その時の事だった。
隣人夫婦は、とても人が良さそうなのだが、昔から旦那さんが帰宅すると音楽をかけ始める。何度か苦情を言おうか考えたのだが、今後一生付き合うかもしれない隣人と波風をたてるのも躊躇われて、妻の生前から現在に至るまで、俺は我慢をしている。
まぁ……良いか。
俺は、ナナハの温もりを感じながら、眠る事にした。
俺は見ていたテレビを消した。
本日は、日曜日。これといって興味が惹かれる番組も無い。
折角の休日でもあるのだが、妻が亡くなってからというもの、出かける機会がめっきり減った。保育士の専門学校時代の同級生だったのだが、お互い無事に就職してからすぐに籍を入れて――僅か、一年半年ほどで急逝してしまった。病死だ。
二十代半ばに近づきつつある今も、俺は相変わらず妻の事を思い出してばかりいる。二人でお金を少しずつ貯めて購入した、マンションの一階の右から二番目のこの部屋で、今では一人、こうして休日を過ごしている。
今の俺を妻が見たら、きっと「もっと外に出たら?」と微苦笑する事だろう。
外、そう考えて何気なく、窓を見た。正面が巨大な窓硝子で、左の端には隣家の庭スペースも見える。奥さんの趣味がガーデニングだと、世間話で聞いた事がある。
特に春には綺麗な花が毎年咲き誇っている印象だ。残念ながら、俺は花に興味が無いため、チューリップ以外の花の名称は分かったためしが無いのだが。
本日も奥さんが、ガーデニングの作業中らしい。少しの間眺めていると、不意に目が合った。すると、笑顔で会釈してくれた。俺も頭を下げて返す。
瞬きをすると、妻の顔が脳裏を過ぎった。俺の妻も逝かなければ、今頃あの奥さんのように、庭に花を植えたりしていたのだろうか?
その時、窓の隣の壁に立てかけてあった野球のバットが倒れた。我に返った俺は、嘆息しながら立ち上がり、位置を正す。中・高学時代に野球部だった俺は、今でもたまにバッドに触りたくなる事がある。
実はこのマンションの大家の息子とは幼馴染で、ずっと部活が一緒だった。その縁もあって、右隣の大家宅とは少し親交がある。なおマンションの更に右横に、大家さんの本宅があったりする。
俺の両親が亡くなっていた事も手伝っていたのだろうが、昔からよく面倒を見てもらってきた。妻も天涯孤独だったから、俺達が惹かれあったのは、家族が欲しいという願望もあったからなのかもしれない。
それから再び外を見ると、窓の向こうに見知った顔――ホタルが佇んでいるのが見えた。
ホタルは、通い猫だ。
我が家の最たる愛猫の名前は、ナナハだ。妻が名付けた最初の通い猫で、俺の家に初めてやってきた猫である。ナナハは、そのまま部屋にいつくようになった。ただ、ナナハは現在脱走中である……。夜には戻ってくるから良いのだが……。
ちなみに――このマンションは、ペットの飼育が禁止である。
それでも、餌を与えるくらいは、許されるだろう。この地域には、野良猫が非常に多いから、色々な所でナナハやホタルは食事をしている様子だし、この二匹だけではなく、道を歩いているだけで、何匹もの猫を目にする。
ナナハの方は、もう飼っているに等しいとは分かっている。多少の罪悪感はあるが、俺は妻と共に小さい頃から可愛がってきた、ナナハをどうしても放り出す気にはなれない。
俺は窓硝子を開けて、ホタルを中へと招いた。ホタルという名前をつけたのは、俺のマンションの前にこのオスの猫が訪れたのが、丁度妻の命日の夏の事で、蛍という名前だった妻から取った。
勝手な幻想だが、蛍が帰ってきたかのような感覚になったのだ。
先谷は俺の苗字だが、普段から職場の保育所で、俺は槇野先生と下の名前で呼ばれる事が多い。先谷も槇野も両方苗字風だから、俺の姓が槇野だと勘違いしている保護者もいるほどだ。
なお俺は、俺を槇野ではなく、先谷と呼ぶ人々の多くが嫌いだ。
それにしても……猫は可愛い。どうしてこんなにも愛らしいのか。
俺は、ホタルを抱き上げて、ソファの上に下ろした。
オス猫はやはり大きい。メスのナナハの三倍くらいありそうな印象だ。
ホタルの性別がオスだと理解した時は、妻が帰ってきただなんて考えたロマンティストな自分を振り返り、一人で笑ってしまったものである。
その後俺は、キッチンから皿を持ってきて、ナナハ用に購入してあるキャットフードと、棚にあった鰹節、冷蔵庫からは牛乳を取り出して、ホタルに提供した。すぐにソファから飛び降りて、ホタルが真っ先に鰹節へと向かった。
きっと妻が生きていたら、「牛乳はあげちゃだめ!」だとか「キャットフードのみ!」だとか、俺を叱っただろう。俺は妻から聞いて初めて、猫には玉葱とイカを与えてはならないと知った。昔、ナナハが初めて来た日に、俺は生クリームが冷蔵庫に入っていたため、それを与えようとして、非常に怒られた記憶もある。
暫くの間、ホタルが食べるのを見守っていた俺は、その後外へ出たそうにしている事に気づいて、再び窓を開けた。帰っていくオス猫の姿を眺めていると、入れ違うようにナナハが戻ってきた。
やっぱり小さい。ナナハは今年で推定三歳だ。ホタルに比べると貫禄などまるでない。気も弱くて、だけど――優しい仔だ。俺はナナハを抱いてから、窓を施錠し、ソファに座った。俺の膝の上に座ったナナハを静かに撫でていると、ペロペロとザラザラした舌で指先を舐められた。夜はいつも、同じベッドで眠っている。
この日の夜もベッドに向かい、俺は翌朝のために目覚まし時計をセットしようとした。すると、腕時計ではもう夜の十一時半だというのに、時針が九時の手前で止まっていた。
「あれ、壊れちゃったか?」
思わず呟いて手に取った俺は、少しの間弄って電池などを変えてみたが、効果が無いものだから、大きく溜息をついた。仕方がない、暫くはスマホのアラームに頼む事にして、来週末にでも買いに行こう。
「また明日から仕事かぁ……」
自分の思考で週末の終わりを意識して、俺は肩を落とした。保育士という仕事にやりがいが無いわけではないのだが、いつも日曜日の夜は憂鬱になる。想像していたよりも激務だ。俺はナナハを抱きしめて、掛け布団をかぶる。
――左隣の隣室から爆音で音楽が聞こえてきたのは、その時の事だった。
隣人夫婦は、とても人が良さそうなのだが、昔から旦那さんが帰宅すると音楽をかけ始める。何度か苦情を言おうか考えたのだが、今後一生付き合うかもしれない隣人と波風をたてるのも躊躇われて、妻の生前から現在に至るまで、俺は我慢をしている。
まぁ……良いか。
俺は、ナナハの温もりを感じながら、眠る事にした。



