先日、瑠胡と再会してから、改めて連絡先を交換した。
今日で会うのは二度目になる。再町や花寺との先約があったが、この日を逃すと次会えるのは2ヶ月先になりそうだった。花寺に事情を話すと、にやっと笑ったあとで了承してくれた。傷心中再町に伝えるのはなんだか憚られて、花寺にだけ伝えたことを奴は理解してくれたらしい。再町には適当に言っとくから、絶対あとで詳しく教えろよ、と電話越しの声がなんだか明るかった。
この前はカフェだったけれど、今回はしっかりとした食事を兼ねてレストランを予約した。瑠胡は「そこまでしてくれなくてもいいのに」と笑っていた。
いつも使っている香水に手を伸ばそうとして、逡巡したのち高校時代に使っていた香水を振る。大学になってからは大人びた香りを好むことが多かったけれど、なんとなく、久々につけようという気になったのだ。
レストランの前にある雑貨屋で待ち合わせることになっている。
約束の時間までまだ少しあったので、ふらりと立ち寄ってみる。店の前で待っていても中で待っていても、同じことだろう。
アロマキャンドルや観葉植物、色とりどりのシャープペンシル、ピアス、ハンカチ、入浴剤。
世の女性のいうかわいいを凝縮したような空間で、俺でも少しわくわくしてくる。瑠胡とここを見て回るのもありだな、と思った。
瑠胡はこういう小さいものを好む。だから、きっとこの空間にも目を輝かせるに違いない。
店内を見回していると、ふいに後ろから「琥尋くん?」と声がかかった。驚いて振り返ると、そこにはワンピースを着た瑠胡が立っていた。
「熱心に見てるけど、興味があるの?」
瑠胡が近づいてくる。ふわりと花の香りがした。
「いや。瑠胡が、好きそうだなと思って」
「わたしが?」
「うん。こういう小物、好きだろうなって思って見てた」
瑠胡の目が少し見開かれる。そのあとで、ゆっくりと細くなった。
「うれしい」
高校時代の彼女の姿が重なる。俺は、彼女がこうして笑う瞬間を、何度も見てきたのだ。
しばらく雑貨を見てから、レストランに入る。席につき、食事を注文する。待ち時間が長く感じられた。
とりとめのない話をしていると、料理が到着する。綺麗な所作で食べる瑠胡を見ながら、記念日はこうしてふたりでレストランに来ていたことを思い出した。
「美味しい?」
「すごく美味しい。琥尋くん、素敵なところを紹介してくれてありがとう」
にこりと笑う彼女に、心が揺り動かされてゆく。
もう、とっくのまえに忘れたと思っていた。忘れざるを得なかった。
けれど、これでわかった。
俺の心の中にはずっと、彼女がいたのだ。
他の誰にも埋められない空白を埋める力を、彼女は、瑠胡は持っている。
食べ終えたあとで、持っていたものを差し出した。
「なんか持ってるなとは思ってた」
袋に視線を落として瑠胡は笑う。多少目立つことは承知で持ってきたのだから、仕方がない。
「ありがとう。見てもいい?」
「うん。いいよ」
瑠胡が袋のなかをのぞきこんで、それから驚いたように俺に視線を移す。俺は逆にどうしたらいいかわからなくなってしまって、左右に視線を動かしたあと、それを情けなく机に落とすしかなかった。
本当に、らしくない。
「これ、わたしに? もらっていいの?」
瑠胡が取り出したのは、花束だった。偶然通りかかった花屋で、見つけた。
気づいたら、足が向かっていた。
うなずくと、瑠胡は目を閉じて花束に顔を近づけた。
「……良い香り。ガーベラだね」
「うん。似合うと思って」
「ふふ、ありがとう。お花、好きだから」
そう言われて、花壇の世話を熱心にしていた高校時代の彼女の後ろ姿を思いだす。彼女の姿を原動力にしていた、あの頃。
「……そっか、そうだったね。思いだした」
「知ってて、花束くれたわけじゃないんだ」
「うん、なんか、渡したいなって思ったから。ごめん、覚えてなくて」
「いや、むしろそのほうが嬉しいよ」
ふふふ、と目を細めて笑う彼女。数年前とはやはり印象が違っている。
「瑠胡に似合うだろうなって思って、そしたら、渡して喜んでくれるといいなと思って、俺めったに花束とか贈るタイプじゃないし、あんまこういうの、慣れてないんだけど」
言葉が絡まる。どう伝えたらいいかわからない。瑠胡は静かに言葉を待っている。
「あのさ」
長ったらしい説明も、言い訳も、今は必要ない。
「俺思ったんだ」
ふ、と息を小さく吐いて、ゆっくりと彼女の目を見つめる。恥じらいも照れくささも一切なく、ただひたすらに、まっすぐ彼女に届くように。
「隣で笑ってるのは瑠胡がいいなって」
動けるようになる。彼女のためならと、今までできなかったことができるようになる。なぜだか、自分でもわからないのに。
「瑠胡が好きです。俺と、もう一度やり直してくれませんか」
痛いほど真剣な瞳がぶつかる。お互いにもう、十分な選択をしてきた。失敗もした。
将来を考えなければいけない時期でもある。
そのなかで、これはたしかに自分で選び抜いた、答えだ。
瑠胡の瞳が揺れている。瑠胡がどんな答えを出しても、その答えに俺は何もいうことはできない。けれど、もし、瑠胡と二度目があるとしたら。
「結婚を、前提に」
俺はもう、彼女を離さない。
その言葉に、瑠胡の視線があがる。
「……また、距離があるよ。それでもいいの?」
「たしかに、俺たちは遠距離のこともあって、一度はうまくいかなかったよ。時期も悪かったし、会えない期間が続いたから気持ちが離れていったのも仕方がないと思う。そりゃ、近くにいられるならそっちのほうがいいよ。俺だって、居られることなら近くに居たいよ」
「……うん」
「だけどさ。もう、やめる。距離言い訳にして、仕方ないって逃げるのやめるよ。どんな障壁も一緒に乗り越えていきたい。そう思えるくらい、俺は、きみが好きです」
ようやく言えた。どこかで、ずっと言えずにいた。どんな壁も超えていけるほどの好きを、すべて彼女に渡したい。何度も違う道をたどって、そのたびに新しい感情と壁に当たって、そうして、ふたたび戻ってきた。恋愛はタイミングと言う。タイミングが悪くて俺たちは別れた。それが俺たちの最後なのだと思っていた。
けれど違った。恋愛がタイミングと言うのなら、こうしてふたたび会えていること自体が奇跡だ。そんな奇跡に背中を押されて、もう一度はじめたっていいだろう。やり直したって、いいのだろう。
「ほんとうに? 疑ってるわけじゃないんだけど……やっぱり、不安で」
うかがうような視線で、彼女が聞く。一度破局しているのだし、結婚を視野に入れた時期の付き合いだ。不安になる気持ちは十分わかる。
お互いにとって大事な時期だからこそ、生半可な気持ちで言っているわけではない。
あたりが一面桃色の空で覆い尽くされたみたいだ。
これは、いつかの記憶。
「俺のこと、信じろとは言わないけど────信じていいよ」
口をついた言葉は、まっすぐに瑠胡に向かってゆく。瑠胡はその言葉を受けて、泣きそうに顔を歪ませた。
「そっかあ……信じていいのかぁ」
「うん。信じていいし、これからを、二人で一緒に考えていきたい。どう、かな」
最後のほうは、震えていてあまり声が出せていなかった。
「別れる時も、わがままだったじゃない。わたし。琥尋くん、この先もまた困ることあるかもよ」
「いいよ。そのたびに会いに行って、何度でも話すから」
そんな好きを、これからはふたりで、大切に育てていきたいと思うのだ。どうなるかはわからない。けれど、きっと今のふたりで過ごす時間はまた新しい素敵なものになるだろう。今までの過程すべてが、俺にとって必要な人生経験だった。
一度花束に視線を落とした瑠胡は、ゆっくりと顔をあげて俺に視線を合わせる。
こくりと、うなずいた瞬間を、俺は見た。
レストランを出てすぐに、彼女が俺を見上げた。
「……お花、ありがとう。すっごく嬉しい」
「そんなに喜んでもらえたならよかった」
夜道を並んで歩く。
まるで探していたピースが当てはまるように、馴染んでいる。5年の時を超越したように、自然に肩を並べていることが、ありえないようで、たしかな現実なのだと時折俺の手に当たる、彼女の右手が教えてくれる。
「……たのしみだね、これから」
瑠胡が笑う。うん、とうなずいてその手を取った。
風が吹いて、桜の香りが鼻先をつく。
やわらかな春の予感がした。
【了】
ガーベラの花言葉『希望』



