上の子は快活で友達も多く、下の子は絵が得意です。
――亜矢美。
そうです。あの子はもともと一人遊びが好きなのです。
姉のアズサとは少し年が離れていますから、姉の友達が遊びに来ても馴染めなかったというのがあったかもしれません。
姉を友達に奪われ、自分はひとりで遊ぶことになれてしまったのです。
ですから、あの子が同じくらいの年の子たちと仲良くなれるように、早く幼稚園に入れました。
しかしながらあまりうまくいきませんでした。
人見知り、引っ込み思案、そんな子は普通にいると思います。
あの子もそういう性格で、人付き合いが苦手なのでしょう。絵を描いたり、折り紙をしたり、ひとりで時を過ごすのをつまらないとかんじていないようでした。
あるとき家族の絵を描く課題がありました。
パパとママとお姉ちゃんと自分。そして自分と手をにぎっている小さな女の子。
先生はそれを人形だと思ったようです。人形もペットも大事にしているものはみんな家族。それでいいのだといいます。
娘の絵はよくできていました。
地面こそ書いてなかったですが、足下はみんなそろっていて、横並びになってます。
背の高いパパ、私、上の娘、あの子。
サイズ感もあっていて、まさに家族の絵というかんじでした。
だから、あの子と手をにぎっている小さな女の子が空中に浮いているように見えるので、それを人形だと思ってしまうのも無理はありません。
でも私は一目見て気づきました。
その小さな女の子はさゆりちゃんだと。
はじめて見るさゆりちゃんは、フランス人形のようにかわいいと思いました。おぞましくもこの手で抱きしめてみたいと願うほどに。
どんな子だって望まれて生まれてくるべきですよね。
そうです。私にとっても子供は宝です。子供たちにはこの家で健やかに育ってほしいんですよ。
子供たちにもそれぞれの部屋を作りました。
それまでは狭い部屋でぎゅうぎゅうになって寝ていたので、自分の部屋があることに喜んでしました。
しかし、あの子はひとりで寝たことがなかったので、当初からずっと怖がってました。
夜中に私たち夫婦の部屋にやって来て枕元で泣くのです。
それはひたひたとやって来ました。
娘は怖い夢を見たといいました。やってきたばかりのこの家で遊んでいると、そばで赤ちゃんが泣いているといいます。
「あやしてあげて」
私があの子に子守をするようお願いするのだそうです。
いいえ、人形ではありません。いくら幼いといっても人形と生きている人間の区別はつきます。あの子の夢に出てくるのは赤ん坊なのです。
たしかに、上の子に妹を見ててくれるように頼んだことはあります。5歳年が離れていますから。
でもあの子自身がそれを覚えているはずもないですし、そもそもなんで赤ちゃんがこの家にいるのかもわかりませんでした。
そしてあの子はこう言うのです。赤ちゃんが溶けていなくなってしまうのだと。
あの子はこの家で眠ることはできませんでした。
赤ちゃんはドロドロの肉片になっても、また夢の中で現れる。
それは延々とくり返され、つかまり立ちして歩くようになり、なんらかの言葉を発し、ぐずったり、ごはんを食べたり、つまりは夢の中で成長しているようでした。
「さゆりちゃん」という名前が出てきたとき、私はあの子にもお友達ができたのだと喜びました。
さゆりちゃんをこの家に招待しようねといったら、この家にいるといいます。さゆりちゃんはこの家の子で、あの子の妹で、夢に出てくる赤ちゃんなのでした。
おかしな夢だと思いました。もちろん、あの子に怖い話など聞かせてないですし、絵本もテレビも目に入るものは子供向けの健全なものです。
もともとひとり遊びが好きで根暗だからといっても、恐ろしい発想が生じるのは不思議なことでした。
小学生になっても変わらず、眠れないせいかいつもぼんやりしています。
授業中にうつらうつらしていると担任の先生がおっしゃってました。
相変わらず友達もなく子供らしいはつらつさがない子です。クラスにも馴染めずのけ者にされているのかもしれません。
だから、わかりますよね。あの子は学校へ行くのを嫌がっているんです。
――亜矢美。
そうです。あの子はもともと一人遊びが好きなのです。
姉のアズサとは少し年が離れていますから、姉の友達が遊びに来ても馴染めなかったというのがあったかもしれません。
姉を友達に奪われ、自分はひとりで遊ぶことになれてしまったのです。
ですから、あの子が同じくらいの年の子たちと仲良くなれるように、早く幼稚園に入れました。
しかしながらあまりうまくいきませんでした。
人見知り、引っ込み思案、そんな子は普通にいると思います。
あの子もそういう性格で、人付き合いが苦手なのでしょう。絵を描いたり、折り紙をしたり、ひとりで時を過ごすのをつまらないとかんじていないようでした。
あるとき家族の絵を描く課題がありました。
パパとママとお姉ちゃんと自分。そして自分と手をにぎっている小さな女の子。
先生はそれを人形だと思ったようです。人形もペットも大事にしているものはみんな家族。それでいいのだといいます。
娘の絵はよくできていました。
地面こそ書いてなかったですが、足下はみんなそろっていて、横並びになってます。
背の高いパパ、私、上の娘、あの子。
サイズ感もあっていて、まさに家族の絵というかんじでした。
だから、あの子と手をにぎっている小さな女の子が空中に浮いているように見えるので、それを人形だと思ってしまうのも無理はありません。
でも私は一目見て気づきました。
その小さな女の子はさゆりちゃんだと。
はじめて見るさゆりちゃんは、フランス人形のようにかわいいと思いました。おぞましくもこの手で抱きしめてみたいと願うほどに。
どんな子だって望まれて生まれてくるべきですよね。
そうです。私にとっても子供は宝です。子供たちにはこの家で健やかに育ってほしいんですよ。
子供たちにもそれぞれの部屋を作りました。
それまでは狭い部屋でぎゅうぎゅうになって寝ていたので、自分の部屋があることに喜んでしました。
しかし、あの子はひとりで寝たことがなかったので、当初からずっと怖がってました。
夜中に私たち夫婦の部屋にやって来て枕元で泣くのです。
それはひたひたとやって来ました。
娘は怖い夢を見たといいました。やってきたばかりのこの家で遊んでいると、そばで赤ちゃんが泣いているといいます。
「あやしてあげて」
私があの子に子守をするようお願いするのだそうです。
いいえ、人形ではありません。いくら幼いといっても人形と生きている人間の区別はつきます。あの子の夢に出てくるのは赤ん坊なのです。
たしかに、上の子に妹を見ててくれるように頼んだことはあります。5歳年が離れていますから。
でもあの子自身がそれを覚えているはずもないですし、そもそもなんで赤ちゃんがこの家にいるのかもわかりませんでした。
そしてあの子はこう言うのです。赤ちゃんが溶けていなくなってしまうのだと。
あの子はこの家で眠ることはできませんでした。
赤ちゃんはドロドロの肉片になっても、また夢の中で現れる。
それは延々とくり返され、つかまり立ちして歩くようになり、なんらかの言葉を発し、ぐずったり、ごはんを食べたり、つまりは夢の中で成長しているようでした。
「さゆりちゃん」という名前が出てきたとき、私はあの子にもお友達ができたのだと喜びました。
さゆりちゃんをこの家に招待しようねといったら、この家にいるといいます。さゆりちゃんはこの家の子で、あの子の妹で、夢に出てくる赤ちゃんなのでした。
おかしな夢だと思いました。もちろん、あの子に怖い話など聞かせてないですし、絵本もテレビも目に入るものは子供向けの健全なものです。
もともとひとり遊びが好きで根暗だからといっても、恐ろしい発想が生じるのは不思議なことでした。
小学生になっても変わらず、眠れないせいかいつもぼんやりしています。
授業中にうつらうつらしていると担任の先生がおっしゃってました。
相変わらず友達もなく子供らしいはつらつさがない子です。クラスにも馴染めずのけ者にされているのかもしれません。
だから、わかりますよね。あの子は学校へ行くのを嫌がっているんです。



