レッスン! 〜幼なじみを終わらせる、正しい方法〜

「どうした? 翔太。……もしかして、泣いてる?」

 その言葉を聞き、慌てて涙を手の甲で拭った。
 だけどこれは電話越しの会話だから、見た目だけごまかしたところでどうにもならないというのに。

「……ん。今日はなんか、いろいろとあり過ぎて。……さすがにちょっと、疲れちゃった」

 どうせもう彼には誤魔化せないと思ったから、素直に気持ちを吐き出した。
 訪れた、一瞬の沈黙。それから彼は、静かな口調で聞いた。

「……翔太、今どこにいるの?」

 その言葉に驚き、また少し困惑した。
 
「え……?」

「言って。今お前、どこにいるの?」

「……S駅の、改札前」

「分かった。今すぐ向かうから、そこで待ってろ。いいな?」

 いつもの彼なら、こんな言い方は絶対にしない。
 『待ってろ』ではなく、『待ってて』と言うはずだ。

 でもその言葉を聞き、たとえ幼なじみとしてであっても、彼が俺のことをどれだけ心配してくれているのかが伝わってきた。……そんな気がした。

「……分かった」

 通話終了のボタンを押して、うつむいたままひとりで彼の到着を待つ。
 
 早く朔に会って、いつもみたいに馬鹿話をして嫌なことは全部忘れてしまいたい。
 そんな風に考えてしまう時点で俺はきっと、もう後戻りが出来ないところまで来てしまっているのだろうと思った。
 
 それでも俺が彼にこの想いを伝えることは、きっとない。
 だけど幼なじみとして朔の側にいたいと願うことくらいは、どうか許して欲しい。
 ……いつか彼に本気で好きな人が出来て、やがて結ばれるその日まで。

 そう心に決めたら、途端に気持ちが軽くなった。
 
 それからおよそ、30分後。息を切らせながら、朔が駅まで俺を迎えに来てくれた。

「遅ぇよ」

 わざと悪態をついたというのに、朔は真剣な表情で、謝罪の言葉を口にした。

「……ごめん」

 それを見て、思わずプッと吹き出した。

「冗談だよ、本気にすんな。……それと俺のために、迎えに来てくれてありがと」

***

 ふたりで電車に揺られながら、自宅へと向かう。
 その間朔はいつになく饒舌で、そのため彼が俺に気を遣ってくれているのだということが痛いくらいに伝わってきた。

 だからこそ俺もさっきあったことを話すことなく、彼との会話を純粋に楽しんだ。

「なぁ、朔。久しぶりに、お前んち行ってもいい?」

 俺の問いに、彼は少し迷うような素ぶりを見せた。
 だけどやや強引に、約束を取り付けた。

「なぁ、いいだろ? 朔」

 すると朔はちょっと困ったように笑い、それから無言のまま俺の頭をくしゃりと撫でた。

 彼がこんな風に触れるのは、いつものことだ。特別、珍しいことじゃない。
 なのに心臓が、びっくりするくらい勢いよく早鐘を打った。
 あれほど会うのを楽しみにしていた早苗さんに、胸を押しつけられた時なんか比じゃないくらい。

 それをなるべく表面上は出さないようにしながらも、大好きな彼に触れられているのだと思うと、さっきあんな目に遭ったばかりだというのに嬉しくてたまらなかった。

***

「お邪魔しまーす」

 玄関で靴を脱ぎ、揃えながら挨拶をした。
 すると朔は、なぜか少しソワソワした様子で言った。

「えっと……。気を遣わなくていいよ。今日は俺の家族、みんな遅くなるって言ってたから」

「そうなんだ? ふーん」

 あまり興味のないふりをしたけれど、内心はバクバクものだった。
 だってこんなにも好きだと、自覚した直後だぞ?
 ……こんなの、緊張するなという方が無理だと思う。

 久しぶりに訪れた、朔の部屋。相変わらず余計な物がなく、整理整頓された部屋は、やっぱり朔らしいなと感じた。

「適当に座って待ってて。なんか、飲み物入れてくる」

 その言葉に従い、ベッドの上に腰を下ろした。
 すると朔は一瞬だけなんとも言えない微妙な表情をしたのだけれど、無言のまま部屋を出て階段を降りていってしまった。

 ベッドではなく、クッションとかの方が良かったのだろうか?
 だけど話を聞いてもらうなら、隣に座った方がいい気がするし。

 そんなことを考えながらも、やっぱりなんとなく落ち着かない。
 ……めっちゃ、ドキドキする。

 その時再びドアが開き、朔が戻ってきた。
 それから彼はクスクスと笑いながらジュースとコーヒーをテーブルの上に置き、呆れたように聞いた。
 
「何やってんの? キョロキョロして」

「久しぶりの、朔の部屋だなぁと思って。エロ本とか、隠してねぇの?」

「エロ本って。いつの時代の話だよ! 見るならネットで見ます」

 見るんだ、そういうの。……その事実に地味にダメージを受けたけれど、ヘラヘラと笑ってただの冗談として受け流した。

 出されたグラスを手に取り、オレンジジュースをひと口飲む。

 朔は、ブラックのコーヒー。俺には、オレンジジュース。
 それは俺が彼の家を訪れた時の、暗黙のルールみたいなものだ。
 数年ぶりに訪れたというのにそれを彼がいまだに覚えていてくれたのが、少しだけ嬉しかった。

 朔も隣に腰を下ろして、それからまた俺たちは、いつもみたいにどうでもいい会話を交わしていたのだけれど。
 ……しばらくすると朔は、真剣な顔で聞いた。

「それで? なんか俺に聞いて欲しいことがあるから、部屋に来たいって言ったんだよな?」

 間近で見る、彼の顔。それを見て、改めて綺麗だなと感じた。

 どこまで話していいものかと、悩む俺。
 だけど彼は、容赦なく話を促した。

「ちゃんと全部、俺に話せよ。……まさかとは思うけど、あの女に何か酷いことをされたのか?」

 酷いこと……。たしかに、されたと言えばされたかもしれない。
 でもこれはきっと、彼が今想像しているであろうことからはちょっとズレているような気がしないでもない。

 そして大学一のモテ男である朔は、あんな扱いを受けたことなんてきっとないに違いない。
 そのためどう説明するのが正解かわからず、つい真面目に考え込んでしまった。

「翔太……。ごめん、俺がもっとちゃんとお前を止めてたら……」

「へ……?」

 いきなりの謝罪。それに驚き、反射的に彼の顔を見上げた。