レッスン! 〜幼なじみを終わらせる、正しい方法〜

「わぁ、ステキなお店だね! そうだ。写真、撮らなきゃ……」

 そう言って彼女は、店員に確認することなく勝手にぱしゃぱしゃとスマホで撮影会を始めてしまった。
 俺が不快にさせられたり、迷惑をかけられるのであれば仕方がないことだと諦めることが出来た。だけど他人にまでその被害が及ぶかもしれないというのであれば、話は別だ。
 これには耐えられなくなり、年上の女性相手だというのに思わず注意をしてしまった。

「ねぇ。……お店の人に、確認してからにしたら? 撮影NGの店も、割とあるみたいだし」

 だけど彼女は不満そうに唇をとがらせて、ボソッと呟くように言った。

「細か……」

 細かくねぇし! こんなの、常識じゃね!?
 その言葉は、グッと飲み込んだ。
 でもさすがにこれは俺の言い分が正しいと気付いたのか、そのまま彼女はバッグの中にスマホをしまってくれた。

 それにしても、いったいどんな暮らしをしてきたらこんなにもわがままに育つことが出来るのか?
 ……いくらなんでも、これはない。

 俺だって別に自分のことを、ちゃんとした人間だなんて思っているわけじゃない。だけど俺の、一番近くにいる人間の。
 ……朔のおかげで、人として大事な部分を踏み外すような行いをしてきてはいないはずだ。

 朔は。朔だったら。朔となら。
 デートの最中だというのに俺の頭の中を埋め尽くしていく、彼と過ごした楽しい時間の記憶。

 そのため表情が緩んだのを、早苗さんは自分に向けられた笑顔だと勘違いしてしまったらしい。
 にこっと笑うと浮かび上がる、愛らしいえくぼ。写真で見た時はとても魅力的に思えたけれど、今は今日という一日が早く終わってほしくて仕方ない。

 だけどそんなことを口にしたら、彼女は逆上してもっと面倒なことになる予感しかない。
 だからこぼれそうになるため息を無理やり抑え込み、ただヘラヘラと笑っておいた。

***

 予約していたランチメニューから、彼女はチーズとトマトのリゾットを。俺はこの間朔が食べていた、ジェノベーゼソースのパスタを選んだ。
 本来であればここは、朔と事前に練習したように、『あーん』して食べさせ合いっこをする予定だったのだ。
 でもそんな気分には、とてもではないがなれそうになかった。

 運ばれてきたサラダとスープ、リゾットを前に、店員さんに許可をとった上ではあるものの彼女が再び撮影会を始めてしまったからだ。
 せっかく熱々の状態で提供してくれたというのに、なんで早苗さんはそんなにも写真撮影なんかに集中しているのだろう?
 目の前の食事と、俺との会話を楽しみたいとは思わないのだろうか?

 でももうそんな言葉を口にする気力もなかったから、黙々とただ食事を口に運び続けた。
 このパスタ、この間食べた時はもっと美味しかったはずなのにな。
 乾いた笑いがこぼれたけれど、早苗さんはまだ写真撮影に夢中だったせいでそれに気付くことはなかった。

 しかもその地獄のような時間が終わり、彼女が放った言葉がこれだ。

「並んでた割に、思ってたほど美味しくなかったね」

 さすがにこれには、ブチ切れそうになった。だって、そうだろう?
 さっさと食べなかったせいでとろとろだったチーズは再び固まり、熱々だったはずのリゾットの米だって完全に冷めてしまっていたのだから。

 しかし今回の件で、学んだこともある。
 ……いくら見た目が好みのタイプの女の子であっても、やっぱり最後は相性が大事なんだと身をもって思い知らされたことだ。
 
 だからもうこの人と、次はないなと思っていたというのに。……彼女の方は、驚くべきことに俺とは真逆のことを考えていたようだ。

 ランチを終えて店を出ると、俺は彼女に別れの挨拶をしようとした。なのに彼女は媚びた視線を俺に向け、とんでもない発言を繰り出したのだ。

「楽しいね、しょーた君。……でもこれから、もっと楽しいことしちゃう?」

 楽しいこと……?

 その意味が分からず、首を傾げた。すると早苗さんはちょっと背伸びをして、俺の耳元で囁いた。

「少し時間が早いけど、ホテル行こっか? お姉さんが、手取り足取り教えてあげる♡」

 数週間前の自分ならこんな安っぽい誘いにも、尻尾を振ってついていってしまったかもしれない。だけど今の自分にはこの人が、自分とは別の種類の何かとてつもなくおぞましい生き物のように思えた。

 ぞわりと、全身の毛が逆立つような感覚。
 だから彼女から体を離し、にっこりとほほ笑んで言ってやったのだ。

「ごめんね、早苗さん。……でも俺、あんた相手じゃ勃たないと思うわ」

 我ながら、なんてサイテーな捨て台詞。だけどこれくらい言わないと、この人はきっと理解してくれない気がした。
 キョトンとした顔のまま、じっと俺を見上げる早苗さんのミルクティーみたいな色をした大きな瞳。
 
「じゃあ俺、もう帰るから。いろいろ勉強になりました、あざーっした!」

 その後も彼女は何か叫んでいるようだったけれど、俺はもう振り返ることなくその場から駆け出した。

 今すぐに、朔の声が聞きたくてたまらなかった。
 だから俺は駅のホームに着くと、すぐさまカバンからスマホを取り出して電話をかけた。

 一回、二回、三回。コール音が響くたび、少しずつ不安な気持ちが大きくなっていく。
 ……こんな話を聞かされて、彼は俺のこと、幻滅しないだろうかって。

 少し前の俺は、朔はもしかして俺のことが好きなんじゃないかなんていう、ふざけたことを考えて勝手に色々と悩んでいた。

 だけど、今の俺は。……彼に幻滅されたり、嫌われたりすることが何よりもこわい。

 そして鈍いとよくみんなから言われるこの俺でも、今回の件でさすがに思い知らされた。
 大事なのは、朔が俺を好きかどうかじゃない。
 ……俺があいつのことを、どう思っているかなのだ。

 ここまで来たら、もう認めるしかないじゃないか。
 俺の抱える思いは、ただの幼なじみに向ける友情なんかじゃない。
 ……恋愛感情として、俺は朔のことが好きなんだ。

 でもその気持ちを認めた瞬間、またこわくなった。
 彼が、電話に出てくれたとして。……俺は彼に今日のことを、どう報告すればいい?

 そのため一旦電話をかけるのをやめようかと思ったタイミングで、スマホから朔の声が聞こえてきた。

「もしもし。翔太?」

 優しく名前を呼ばれたせいで、途端に気持ちが緩んでしまった。
 だから情けないことに、気付くとポロポロと涙が溢れ出していた。