開きっぱなしの扉から、
雨の匂いが目を覚ますのがわかった。
黒い雲が音もなく広がっていく。


「今度さ、理玖に紹介するよ。
で、理玖のことも桐島さんに紹介する。
これが俺の幼馴染で親友ってね」

やめてくれ。
本当にやめてくれ。
俺はもうお前のことを親友だなんて、
1ミリも思ってないんだよ。
ずっと、好きで、好きで、触れたくて、
触れられたくて……

「いや、でもやめとこうかな。
理玖カッコいいから、桐島さんが惚れちゃうかも」

「……そんなことないでしょ」

「えー?そうかな。だって超いいやつじゃんお前。
理玖が女だったら俺、絶対好きになってる」

「ははは……」


女だったらか……
残念ながら、俺は今世は男で、
その事実はどうにもできなくて。

誰にも言えずに燻り続けるこの気持ちは、
膨れ上がって、重くなりすぎて、
もう自分では抱えきれない。

(……もう、手放さなきゃいけない……)


ふたりの間に静寂が落ちる。
翔平は浮かれて鼻歌を歌っている。

ついにポツ、ポツ、と屋根を叩く音がした。
次の瞬間、
湿気が一気に立ち込めて空気が重たく沈む。


「うん……俺も、女だったら
翔平のこと大好きになってたと思う」

「ははっ!大好きって。照れんじゃん」

(……男の今も、大好きだよ……)


好きで、好きでたまらない。
幼稚園からずっと一緒だった。
小学校も中学校も、少年サッカーも部活も……
ずっと、ずっと一番近くで翔平を見てきた。
でも……
これからは桐島華にその位置を譲らなければならない。

到底耐えられない。
けれど、俺にはもうどうすることもできない。


「ちゃんと大事にしてやれよ」

「当たり前よ!」


雨は瞬く間に強くなり、トタン屋根を激しく叩いた。


「やばいな。切り上げて帰るか」

濡れたら困るよなと言いながら、
翔平は制服をエナメルバッグに押し込み体操服に着替える。



中学に入ってからたった4ヶ月でグンと伸びた身長。
入学式ではトントンだったのに、
今は俺よりもかなり目線が高い。
声変わりも始まり、今まさに、思春期であり、
成長期なんだとわかるお手本のようだ。

丸みのない、骨張った体に興奮する。
自分と同じものがついているのに、
翔平の全てが愛しい。


(これで、最後にするから……)

俺はユニフォームを脱いだ翔平の姿を
目に焼き付けた。
そして、薄く陰影のついた腹筋にそっと触れる。

「どしたの理玖」

「いや、俺はどれだけ腹筋しても割れないから」

「俺は家でも鍛えてますから!腹筋足りないんじゃない?
理玖くんよ!」


そう言って翔平は俺の腹を(つつ)いてきた。
そして体操服を頭から被り
「桐島さん待ってるから。また明日な」と、
去っていった。



部室の中は、静寂とかすかな柔軟剤の香りに包まれる。
雨はさらに強くなり、
トタン屋根を叩く音が世界を埋めた。

「翔平……」

口にした途端、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
声にならない叫びが全身から溢れ出した。



好き……ずっと、ずっと……

ほんの一瞬だけ触れた肌のぬくもり。

それだけを胸に、君を忘れる旅が始まる——。