彼女ができた日のこと



その日は唐突にやってきた。

理玖(りく)!俺、彼女できた!」

練習が終わり、トンボでグラウンド整備をしていると
幼馴染の翔平(しょうへい)が嬉しそうに報告してきた。

「えっ……」

俺は言葉を失った。

空には灰色の雲がゆっくりと垂れ込めていて、
今にも雨が降りそうだ。


「6組の桐島さん。知ってる?」

知ってるも何も、知らない人などいるのだろうか。

中学に入学してすぐ、彼女はすでに有名人だった。

胸が大きくてスタイルが良い。
おまけに顔も可愛いくて——
ピアノがプロ並みに上手いらしい。
入学早々、上級生からも告白されていたという、
あの"桐島 華(きりしま はな)"だ。


「いや、知らない」

俺は咄嗟に嘘をついた。

「ええー、結構可愛いって有名なのにな」

「そうなんだ」




俺はゲイだから。
噂では聞いていても共感はできなかった。
物理的に可愛いのはわかる。
でも、別にときめかないし揺らぎもしない。



「あ、サッカーボール残ってる。
俺、倉庫入れてくるわ。理玖、先に部室戻ってて」

「うん。ありがとう」

先月の総体で負けたサッカー部は、
すでに3年が引退していて、
1.2年の新体制になっている。

3年が引退した後の2年は、
片付けも整備も「1年、頼んだー」の一言で済ませて
そそくさと帰っていく。

部室には俺たち以外の1年がボールを拭いて、
ビブスを片付けていた。

「2年の先輩やばいよな」

「それな。3年いなくなった途端コレだもんな」

「練習すら適当だもんな。
多分勝つ気ないよあの人たち」


ホコリっぽい部室の空気が、
愚痴と混ざってモワモワとしている。
そこに湿気もまとわりついてきて、
俺はしゃべる気力もなくなっていた。


「そういえばさ、翔平のこと聞いた?」

「そうそう。理玖も知ってんだろ?」


まさか自分に振られると思っていなかったので
ドキリとした。
俺は「まあね」と、あたりさわりのない返事をする。

「でもさぁ、桐島さんだろ?
翔平、どうやって落としたんだろ」

「顔だろ?かーお!俺らにはないやつだよ」


バカかと思った。

翔平はいい奴だ。お前らなんかよりずっと。
母子家庭で育って、いつも弟の世話をしていた。
みんなが遊んでいるときに家事をして、
それでも文句ひとつ言わずに、
いつも母親に感謝している。
誰にでも優しくて、困っている人はほっとけない。
俺の家のうさぎが死んだとき、
一番泣いていたのは俺の家族じゃなくて翔平だった。
魅力を挙げるとキリがない。


「お疲れー。グラウンド整備完了。
ボールは終わった?手伝おうか?」

「おう、翔平お疲れ。今終わったから大丈夫」

「そうそう!帰ろうぜ」


俺は見逃さなかった。
適当に拭いていたのか、ところどころ
ボールに泥が残っている。
むしろ、はなっから拭いていないボールさえある。
先輩の悪口を言ったところで、
結局は自分たちだって手を抜いている。
人の嫌なところばかりが目についてイライラする。
でも、そんなことにイライラする自分に
またイライラして無限ループに陥っている。
自分でもどうしたらいいのかわからない。


「俺、やることあるからちょっと残ってくわ。
理玖も一緒に残るから。先帰ってて」

「おう!了解。お疲れー」

「お疲れー」

俺は翔平の言葉を飲み込めず、固まった。
何かやり残したことがあっただろうかと
頭をフル回転させたが、何も思いつかない。

彼女のくだりを聞く羽目になるなら
今すぐここを飛び出したい。
そんなことを考えながら、
泥のついたボールを拭き始めた。


「やっぱりな。
理玖は絶対許せないと思ったんだよな。
そのボールの拭き方。
俺らスポ少時代に監督にめっちゃくちゃ
ボールの手入れ叩きこまれたじゃん?
先輩たちも厳しかったし。
だからそれ、理玖はきっと
やり直すんじゃないかって思ったんだよね。
正解だった」

「そんな……」

「水くさいよなー。俺も手伝うよ。
染みついた習慣ってなかなか抜けないな」

「うん……そうだね」



こういうところだ。
本当に自然に、無意識に俺の心を掻っ攫っていく。

(……彼女できたんだろ?
もうこれ以上好きにさせないでくれよ……)