闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

 その指先が、彼の肌に触れるか触れないかの、その刹那(せつな)。赫燕の目がカッと見開いて、(うつ)ろな瞳が一瞬、玉蓮ではない誰かの幻影を映すように揺れる。

 だが、次の瞬間には、その瞳にいつもの獰猛(どうもう)な光が戻り、玉蓮の腕を掴んでいた。

「何してやがる……!」

「……うなされていた、から」

 その時、天幕を揺るがすほどの雷鳴が轟いた。玉蓮の肩が、びくりと震えると、赫燕の力がふっと緩む。彼は一度、固く瞳を閉じ、そして再びゆっくりと(まぶた)を開いた。その瞳は、悪夢の残滓(ざんし)と、目の前の現実との間で揺れているようだ。

 玉蓮は、空いた手で、彼の額に張り付いた髪をそっと払う。その熱い肌に触れる指先から、微かな(しび)れが走るような感覚が玉蓮の全身を駆け巡る。赫燕は、何も言わずに、ただ玉蓮を見つめている。

 後宮で見てきた、白粉(おしろい)と香の匂いをさせた宦官や、柔らかな絹の衣をまとった文官たちとは、何もかもが違う。

 目の前の男にあるのは、酒と汗と、そして微かな鉄の香り。鍛え上げられた肉体から発せられる圧倒的な熱量。(つやめ)かしい顔立ちに宿る色気と、ならず者のような粗野な気配。そしてその全てを支配する、孤高の品格。

 その危うい均衡の上に立つ存在から、目が離せない。この男に近づけば、身も心も焼き尽くされると本能が警鐘(けいしょう)を鳴らしているのに、体は引き寄せられるかのように、彼の放つ熱に惹きつけられていく。

 玉蓮は、ただ本能のままに、彼の胸に顔をうずめた。その男の胸の熱さが頬にじわりと広がり、それと共にあの伽羅(きゃら)の香りが玉蓮を包む。汗と血の匂いと混じり合った、この男だけの香り。

 そのあまりにも甘い香りに、思考が溶かされていく。意識の中で彼の熱だけが濃く、強く残った。