朱飛が報告を終え、頭を下げて去っていく。

彼の足音は、静寂に包まれた天幕に吸い込まれるように消えていくが、天幕を出る直前、朱飛は一度だけ玉蓮に目を向けた。その瞳の奥には、言葉では(すく)えぬほどの複雑な色が滲んでいて、玉蓮はそれをどう受け止めていいか分からずに、ただ小さく静かに息を吐く。

天幕に残されたのは、全ての感情を噛み殺して俯く玉蓮と、その玉蓮の苦悩を愉しむかのように、ゆっくりと酒杯を傾ける赫燕。

沈黙はまるで生き物のように、その場に満ち、玉蓮の心臓を締め付ける。杯を傾けながら、それまで沈黙を保っていた赫燕が、ついに口を開く。

「昼間の戦、お前は玄済(げんさい)国の斥候と敵将を斬った。その数、十ってところか」

昼間、敵を撫で切りにした感覚が手のひらに蘇る。向けられる殺気と、命を斬っていく感覚。それを思い出せば、指先から温もりが引いていく。

「あの時、お前の剣に迷いはなかった。なぜだ?」

「……任務でしたから。あなたの軍の兵として、当然の」

「それなら、なぜその後の展開に顔を(しか)めた」

「それは——」

「お前は俺のやり方が気に入らねえんだろう。捕虜を(なぶ)り、民を巻き込む。お前のその綺麗な正義とは相容れない。違うか?」

反論しようと開いた口からは声が漏れることなく、ただ唇が微かに動いただけ。

「復讐をしたい。だが、手は汚したくない。俺という怪物(ばけもの)を使いながら、自分だけは気高くありたいか」

「違う! わたくしは、ただ——」

「ただ、何だ」

その声に、追い詰められ、思考が止まる。

「ただ——」

「……復讐、復讐と言いながら、口だけか」

そう言うと、赫燕はゆっくりと立ち上がり、彼女の横を何も言わずに通り過ぎ、天幕の外へと出ていく。その背中を玉蓮は衝動的に追いかけた。