「ご報告します!」

そこへ、血相を変えた劉永隊直属の伝令が駆け込んできた。

「赫燕軍が、捕虜を逃したようです」

「捕虜を……?」

「はっ。逃がした捕虜の口から、『白楊の華が、武神の如く敵将を討った』と敵軍へ伝わった模様」

——ぞわり、と。背筋に、冷たい汗が浮かんだ。

あの男——赫燕は、初めからこれが目的だったのだ。玉蓮の武を利用するだけではない。彼女の美貌と公主という血筋、その存在の全てを、敵に投げつけたのか。血の色に染め上げて。

「……赫燕、将軍」

劉永は、奥歯を噛み締めた。

父の弟弟子であった、あの男。幼かった劉永が覚えているのは、死んだ目をした少年が、さらに昏い目をして戦場に向かっていく背中だけ。

その背中が急激に大きくなり、ついには白楊国の第一将となった。父は、彼の才を認めながらも、その闇を深く憂いていた。

その昏い闇が今、玉蓮を飲み込もうとしている。いや、違う。彼女は、自ら試練を選んだ。姉の復讐の道を真っ直ぐ進むために。あの男の闇が、それを可能にすると信じているのだ。

「……っ」

彼女が進めるように、彼女が前を向けるように、どんな道であっても見守り続けると、彼女を待ち続けると、誓ったはず。だが、その誓いが、毒々しいほどの血の匂いに掠れていきそうだった。拳を握りしめれば、爪が手のひらに食い込んでいく。

その時、遠く——赫燕の本陣から、地響きのような(とき)の声と笑い声が響いてきた。玉蓮が、今、あの獣の巣の只中に、一人でいる。

劉永は、燃え盛る篝火(かがりび)の光が映る空を、ただ睨みつけることしかできず、静かに馬を王宮に向けて走らせた。