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数日後、赫燕(かくえん)軍は、玄済(げんさい)国との国境に位置する城を落とすべく、進軍を開始した。

軍議の天幕に渦巻く、異様な熱気。息を詰める将兵たちの視線が一点に集中する中、赫燕軍の軍師・子睿(しえい)が広げられた地図を前に、今回の戦術を淀みなく説明する。

染み一つない衣、完璧に結い上げられた髪。まるで、この天幕の中だけが、季節の違う場所であるかのような錯覚を覚える。彼の周りだけ、空気が冷たく澄んでいるのだ。

子睿(しえい)の声は、理路整然と並べられるように、また歌うようにそこに落とされていく。

「——以上が、今回の策です。我ら本隊は、深く追撃されたと見せかけ、この谷間まで後退します」

その、策の内容に玉蓮の目が見開かれる。一歩間違えば、赫燕もろとも包囲殲滅(せんめつ)される危険を孕んでいたからだ。

子睿(しえい)。お頭を……餌に、するのですか」

喉が締まり、声が裏返った。自身の声の響きに、一瞬、玉蓮は思わず目を伏せる。しかし、子睿はにこやかな表情を崩さない。

「そうですよ、玉蓮。あなたは反対ですか?」

ゆったりと柔らかい問いかけに、指先まで一気に冷たくなった。この場にいる誰もが、自軍の大将を囮に使うという策に異を唱えない。疑問の声すらも上がらない。