闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。



 その夜。天幕に戻った玉蓮は、襲われた際についた腕や脚の擦り傷に、一人で薬を塗っていた。生々しい痛みが、出来事を鮮明に蘇らせる。思い出せば思い出すほどに、恥ずかしさと悔しさが込み上げ、心なしか傷口がずきりと沁みる。

 その時、入り口から「入るぞ」と低い声が届き、朱飛(しゅひ)が姿を現した。彼は無言で、温かい粥の入った器を彼女の前に置く。立ち上る湯気に、玉蓮は張り詰めていた息を漏らした。

「ありがとうございます……」

「ああ。男たちは、処分した」

 空気を震わせただけのような、淡々とした報告。処分。その二文字の重みに、玉蓮は顔を上げた。

「俺たちはお前を迎える。……だが、お頭に近づきすぎるな」

 朱飛は、玉蓮からふいと視線を逸らし、天幕の影に目をやった。

「……喰われるぞ」

 吐き捨てられた言葉は、あまりに静かで、玉蓮は一瞬聞き返そうかと思ったが、視線の先にある横顔に刻まれた、何かを堪えるような苦渋の色に、思わず息を呑み、唇を横に結んだ。

 黙って、傷薬の続きを塗ろうとする。だが、震える手では、布がうまく巻けない。見かねたように、朱飛が小さくため息をついた。

「貸せ」

「あっ」

 唐突に手が伸びてきて、玉蓮の手から布が抜き取られる。

「こんなこともできないのか」

「……できないわけではありません。少し、苦手なだけで」

 語尾に向かっていくにつれて、声が小さくなる。

 怪我をした時にはいつだって劉義(りゅうぎ)劉永(りゅうえい)、そして温泰(おんたい)が玉蓮に薬を塗って、布を巻いてくれた。もう一人前だと思って、あの場所を飛び出したくせに、今更に全てを守られていた自分に気づくなんて。

『——玉蓮』

 温かい声が頭の中で響く。陽だまりの中にいる三人を思い出してしまえば、瞳に勝手に熱が集まっていくから、慌てて下を向く。

「まあ、公主が戦場に出るなど、正気の沙汰ではないがな」

 朱飛の言葉は、まるで石を投げつけるように無遠慮だ。けれど、その手つきは驚くほど慎重だった。静けさを(たた)えた瞳が傷を捉え、布は緩むことなく肌に沿う。武骨な指先から伝わる体温は、傷の痛みとは異なる、じんわりとした温かさ。

 処置を終えた朱飛が、ふと卓の隅に置かれた布の包みに目をやった。そこから(わず)かに、古びた木製の鳥の尾が覗いている。

「……それは?」

「姉が、遺してくれたものです」

 玉蓮は丁寧に布包みをほどく。現れたのは、片翼にひびが入った木製の守り鳥。

「姉が玄済(げんさい)国に嫁ぐ日に……」

 震える声で付け加える。ひびを撫でると、いまだにささくれた木片が指に刺さる。その痛みが、何度も玉蓮にあの日の凶報を(よみがえ)らせた。

「わたくしは、姉のように器用ではありませんから。直そうとして、かえって壊してしまいそうで……このままにしているのです」

 朱飛は何も言わず、その深い瞳で、傷ついた鳥をじっと見つめていた。

「朱飛?」

「……いや、なんでもない」

 ぽつりと呟くように返事をして、やがて彼は静かに天幕を出ていった。