闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。


「——黙れ」

 喉の奥から絞り出したのは、人の声ではなかった。()てついた湖面が、(きし)みを上げて割れるような声。

 四肢を切り落とされ、皮膚を()がされた姉を想像したくもないのに、脳裏に真っ赤に血塗られていく姉が浮かぶ。血が沸騰する。その熱で、血管が引き裂かれそうだ。

 小刻みに震える剣を前に、赫燕は、さらに一歩踏み込んだ。

「ッ——!」

「いいか」

 切先が赫燕の喉仏に触れて、微かに血が滲み出しているのに、目の前の男は瞬き一つせず、玉蓮を見下ろしている。

「復讐だなんだと口にするなら、牙を()け。食い殺される前に、食い殺せ。お前のその綺麗な爪じゃ、まだ誰も殺せねえぞ」

 その体から発せられる圧が、周囲の空気を歪ませ、呼吸すら困難にさせる。それは、戦場で浴びたであろう血と鉄の匂い。それに混じる、あの伽羅(きゃら)の香り。そして、何よりも、この男自身の肌から発せられる、抗いがたい匂い。

 赫燕の声が、玉蓮の心の臓に直接響く。背筋を駆け上る冷たさとは裏腹に、腹の底では何かが熱く燃え上がる。足は退けと叫ぶのに、胸の奥では別の声が奥底を覗けと囁いている。彼の瞳の奥に宿る、どこか獣じみた光が、玉蓮の奥底に潜む暴力的な衝動を刺激する。

 赫燕は、玉蓮の瞳の奥を確かめたかのように、満足げに口の端を吊り上げると、踵を返した。

「そいつを殺すか殺さないかは、お前が決めろ」

 闇に消えていく背中。言葉は、足元で(うずくま)っている男を指している。玉蓮は、前に出したままだった剣を今度はゆっくりと足元に向ける。その指先が白くなるほど、強く、強く、握りしめながら。

(殺してしまえ——!)

 女を襲うような奴など、殺してしまえばいいと思うのに、指が震え、切先は細かに揺れる。

「くっ……」

 振り下ろされた剣先は、男の首のわずか横、土を深く削っただけだった。玉蓮は逃げるように背を向け、闇の中へと歩き出した。背後で、安堵とも恐怖ともつかぬ男の(うめ)き声が遠のいていった。