闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

 屋敷を脱出した玉蓮の鼓膜を叩いたのは、天地を裂くような轟音と絶叫だった。西の方角、城壁の向こうで上がる火の手が、夜空を赤く焦がし始めている。


(——白楊(はくよう)軍が!)


 都を守るはずの玄済(げんさい)軍の動きは鈍く、統率を欠いているのは明白だった。当然だ。全軍を指揮すべき大都督(だいととく)崔瑾(さいきん)を、この国は自ら殺したのだから。頭を失った竜はただの蛇に成り果て、身悶えしながら死を待つのみ。

 都の大路は地獄絵図と化していた。西から雪崩れ込んでくる敵軍への恐怖で、おびただしい数の民が、決壊した濁流の如く東へ——王宮とは逆の方角へ——逃げ惑っている。

「玉蓮様、お急ぎください! 人混みに紛れれば……!」

 阿扇(あせん)の叫びが背後から届く。だが、追っ手は執拗だった。玉蓮を守り続けていた兵士たちは、多勢に無勢、次々と敵兵の刃に沈んでいく。

 王都が攻め込まれている最中に、玄済(げんさい)の兵が玄済(げんさい)の兵を斬り合う。その愚かで(むご)たらしい光景に、玉蓮は奥歯を噛み締めた。一人、また一人と、屋敷で顔を合わせた者たちが消えていくたび、彼女の肩には見えない鉛が積み重なっていく。

 その時、玉蓮の頭上から、鋭い剣閃(けんせん)が振り下ろされた。

「くっ!」

 鋼がぶつかり合う鈍い音が響き、玉蓮は剣を弾き返した。手首に痺れが走るが、構わず返す刀で敵の喉を()ねる。鮮血が舞い、玉蓮の白い頬を汚した。一瞬のためらいも許されない。ここで足を止めれば、終わりだ。

 だが、敵の数があまりにも多すぎた。行く手を遮られ、玉蓮が包囲されようとした、その時。

——ドスッ。

 背後で、肉を打つ鈍い音が響き、直後、背中に熱い手のひらを押し当てられる。

「えっ——」

 突き飛ばされるように前へ弾かれ、玉蓮の体は包囲を抜けた。よろめきながら振り返った瞳に映ったのは、肩口を深々と斬り裂かれながらも、剣で敵を食い止める阿扇の姿だった。彼は、玉蓮の背に向けられた刃を、その身で受け止めたのだ。

「阿扇!」

「行け……! 崔瑾様の想いを……無駄にするなッ!」

 苦痛に顔を歪めながらも、阿扇は咆哮した。その瞳に宿るのは、かつて玉蓮に向けた冷ややかな警戒ではない。涙が滲む視界の先で、阿扇は血を吐きながら剣を振り続ける。

「あの方の分まで……!」

 阿扇は迫りくる敵兵の群れに、たった一人、猛然と斬り込んでいった。

「——ッ!!」

 叫び声を飲み込み、玉蓮は(きびす)を返した。涙を拭う暇などない。彼らの想いを無駄にしない方法は、ただ一つ。


——ズズズズズ……ドォォォン!!


 走り出す玉蓮の背後で、西の城門の方角から大地が唸るような衝撃が響き渡った。地面を揺るがすその震動は、玉蓮の足元から、そして街全体へと、飢えた生き物のように這い上がる。


(——城門が、破られた!)


 王都の終焉を告げる号令。西の空にはさらなる黒煙が立ち昇り、巨大な炎が、夜空を深い緋色に染め上げていく。