闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

◇◇◇ 崔瑾(さいきん) ◇◇◇

 崔瑾(さいきん)が屋敷に戻り、一人になった時、両肩の重さがのしかかるように腕が重くなった。それでも、それを振り切るようにして、書斎の壁一面を覆う巨大な軍事地図の前に立つ。赫燕(かくえん)の、その常軌を(いっ)した進軍路を、指でなぞる。

 その動きをどう読み解くか。どう打ち破るか。それだけを考えていたはずだった。だが、彼の脳裏に焼き付いて離れないのは、周礼のあの蛇のような瞳。そして、彼の衣から漂った香の匂い。

 ふと、彼は傍らの碁笥(ごけ)から黒い石をいくつか掴み取った。そして、地図の上に置き始める。


——数年前の赫燕(かくえん)軍との戦。

  無能な張将軍の配置、不可解な兵站《へいたん》の滞り。

  そして赫燕(かくえん)軍への大敗を喫したあの場所。


——そして、周礼(しゅうれい)の一族が横領した武具の横流し。


 一つ、また一つと黒い石が置かれていく。赫燕(かくえん)の進軍路とは全く別に、この玄済(げんさい)国の内側で張り巡らされた、もう一つの戦線。その全ての黒い石が、一つの中へと向かって伸びている。後宮の最も奥深く。決して表には出てこない、あの影へと。

太后(たいこう)

 その名を静かに呟いた瞬間、崔瑾(さいきん)の背筋を氷のような悪寒が駆け上った。自分が、そして兵士たちが戦場で命を賭して守ろうとしているこの国そのものが、すでに内側から最も悍ましい蜘蛛の巣に喰い尽くされているのだと。

 その、あまりにも巨大な蜘蛛の巣の全貌を改めて意識した瞬間、頭で描いていた盤面が音もなく崩れ落ちていく。正義とは。守るべきものとは。

「——駄目だ」

 今ここでその疑問の前に立ち止まれば、思考を止めてしまえば、赫燕(かくえん)に全てを食い尽くされる。崔瑾(さいきん)は振り切るように拳を握り締め、その手のひらに爪を立てた。