◇◇◇ 玉蓮 ◇◇◇
玉蓮の寝室は、死んだような静寂に包まれていた。月明かりだけが、部屋の隅々に冷たい影を落としていた。遠くから、傲慢な靴の音が響いてくる。主不在の屋敷を我が物顔で踏み荒らす、勝利に酔いしれた足音。それが少しずつ近づき、扉の前で止まった。
玉蓮は、どこか胸の高鳴りを感じていた。恐怖ではない。獲物が牙の間合いに入るのを、雪原の中で息を殺して待つ獣のような、静かで、そして獰猛な鼓動。
「入りますぞ、玉蓮様」
ねっとりとした声とともに、扉が開く。玉蓮は床に座したまま、ゆっくりと侵入者を見上げた。
周礼は袖で合図し、従者たちを廊下の外へ下がらせた。重い音を立てて、扉が閉ざされる。密室には、二人。
「ようやく、二人きりになれましたな」
男の纏う香油の匂いが、清廉な香りを塗りつぶしていく。彼の目に宿る粘つくような欲望の光が、玉蓮の肌をナメクジのように這いまわる。だが、そんな不快感すら、もはやどうでもよかった。聞こえるのは、己の血が鼓膜の奥で、熱く脈打つ音だけ。
周礼は、玉蓮が悲しみに打ちひしがれていると信じて疑わない様子だ。愉悦に唇を歪め、一歩近づくたびに、部屋の空気が腐臭を帯びていく。
「崔瑾は愚かな男よ。女一人のために己を焼き尽くしおった。私が長年どれほど、あ奴に煮え湯を飲まされてきたか。若造の分際で。民だ国だと喚いては、我らのような真の忠臣の道を阻む。その傲慢さ、ついに潰え去ったわ」
周礼は、陶然とした表情で、崔瑾への積年の恨みを吐き出した。そして、卓上の杯に、勝手に酒をなみなみと注ぐ。
「だが駒は所詮、駒。王も、貴女様も、皆そうですぞ」
周礼は喉の奥で卑屈な笑いを漏らし、酒を揺らす。
「皆、知らぬのです。この盤の本当の恐ろしさを。この盤を動かしておられるあの方の、その深謀遠慮を」
彼の視線がふと、窓の外、王宮の方角へと向けられる。その瞳は、見えざる魔物を崇める狂信者のそれだ。
「教えて差し上げましょう、玉蓮様。貴女様がこれから生涯、私を慰めてくださる礼として、この私だけに許された秘密の物語を」
彼はまず一杯目の酒を呷った。これから始まる饗宴を祝うかのように。
「——太后様は、恐ろしいお方だ。いや、恐ろしいなどという言葉では生ぬるい。我らは盤に置かれる石。あの方こそ、盤を描く者」
その瞳は、恍惚と潤んでいる。
「……なにせあの方はかつて、ご自身の夫の首を玄済国に差し出し、そして実の息子をその手で焼き殺して、今の座を手に入れたのですからな」
玉蓮の寝室は、死んだような静寂に包まれていた。月明かりだけが、部屋の隅々に冷たい影を落としていた。遠くから、傲慢な靴の音が響いてくる。主不在の屋敷を我が物顔で踏み荒らす、勝利に酔いしれた足音。それが少しずつ近づき、扉の前で止まった。
玉蓮は、どこか胸の高鳴りを感じていた。恐怖ではない。獲物が牙の間合いに入るのを、雪原の中で息を殺して待つ獣のような、静かで、そして獰猛な鼓動。
「入りますぞ、玉蓮様」
ねっとりとした声とともに、扉が開く。玉蓮は床に座したまま、ゆっくりと侵入者を見上げた。
周礼は袖で合図し、従者たちを廊下の外へ下がらせた。重い音を立てて、扉が閉ざされる。密室には、二人。
「ようやく、二人きりになれましたな」
男の纏う香油の匂いが、清廉な香りを塗りつぶしていく。彼の目に宿る粘つくような欲望の光が、玉蓮の肌をナメクジのように這いまわる。だが、そんな不快感すら、もはやどうでもよかった。聞こえるのは、己の血が鼓膜の奥で、熱く脈打つ音だけ。
周礼は、玉蓮が悲しみに打ちひしがれていると信じて疑わない様子だ。愉悦に唇を歪め、一歩近づくたびに、部屋の空気が腐臭を帯びていく。
「崔瑾は愚かな男よ。女一人のために己を焼き尽くしおった。私が長年どれほど、あ奴に煮え湯を飲まされてきたか。若造の分際で。民だ国だと喚いては、我らのような真の忠臣の道を阻む。その傲慢さ、ついに潰え去ったわ」
周礼は、陶然とした表情で、崔瑾への積年の恨みを吐き出した。そして、卓上の杯に、勝手に酒をなみなみと注ぐ。
「だが駒は所詮、駒。王も、貴女様も、皆そうですぞ」
周礼は喉の奥で卑屈な笑いを漏らし、酒を揺らす。
「皆、知らぬのです。この盤の本当の恐ろしさを。この盤を動かしておられるあの方の、その深謀遠慮を」
彼の視線がふと、窓の外、王宮の方角へと向けられる。その瞳は、見えざる魔物を崇める狂信者のそれだ。
「教えて差し上げましょう、玉蓮様。貴女様がこれから生涯、私を慰めてくださる礼として、この私だけに許された秘密の物語を」
彼はまず一杯目の酒を呷った。これから始まる饗宴を祝うかのように。
「——太后様は、恐ろしいお方だ。いや、恐ろしいなどという言葉では生ぬるい。我らは盤に置かれる石。あの方こそ、盤を描く者」
その瞳は、恍惚と潤んでいる。
「……なにせあの方はかつて、ご自身の夫の首を玄済国に差し出し、そして実の息子をその手で焼き殺して、今の座を手に入れたのですからな」

