◇◇◇ 周礼 ◇◇◇
崔瑾が、怒りに駆られて手勢を率い、王宮を飛び出していく。その愚かなまでに真っ直ぐな背中を見送りながら、周礼は扇で隠した口元を愉悦に歪めていた。
(——かかったな、若造め)
崔瑾が走り去った方向を冷ややかに見つめた後、周礼は足音を殺して階段を駆け上がり、望楼にいる王の前で膝をついた。
「ご覧ください、大王様! なんたること……崔瑾めは、白楊の姫一人のために、兵を動かしましたぞ!」
顔の前で合わせた両手で表情を隠す。合わせられた指先が、小刻みに震えていた。
それは恐怖ではない。長年待ち望んだ瞬間が訪れたことへの、抑えきれない歓喜の痙攣だった。
「大王様、お気づきではございませぬか? 赫燕を討った今、民草が、真の英雄……いや、『次の王』と噂しているのが誰の名か」
「……なに?」
王の眉がピクリと動く。
「あの白楊の姫を娶ったのも、自らの血統にさらなる王族の権威を加えるため。兵を率いて王宮を出たのも、王命に背けるほどの武力を持っているのだと、この玉座を奪えるのだと、示威しているに他なりませぬ!」
椅子の上で気だるげに傾いていた王の体が、強張った。
「……崔瑾が。私の、玉座を?」
王の目が、ぎらりと濁った光を放つ。そこには、優秀すぎる臣下への嫉妬と、自分より民に愛される男への劣等感が、どす黒い炎となって渦巻いていた。
「……そうか、あやつめ。とうとう、牙を剥いたか」
王は手にした酒杯を乱暴に呷った。口元から垂れた酒を拭おうともせず、脂の浮いた唇を獣のように吊り上げる。
「周礼。お前の言う通りだ。あ奴はいつも涼しい顔で私を見下し……あまつさえ、私の白楊の華を、無理矢理に奪いとった」
ガンッ! と酒杯が床に叩きつけられる。
「英雄気取りで、この国を乗っ取るつもりか! おのれ、崔瑾……!」
「はっ、まさしく国賊にございます」
周礼が深く頭を垂れる。その背に、王のどこか上擦ったような声が喜悦を孕んで落ちた。
「よかろう。崔瑾の全ての官位を剥奪《はくだつ》し、逆賊として捕えよ! 抵抗すれば殺しても構わぬ!」
一拍置き、王は笑った。その笑みは、欲望に忠実な獣そのもの。
「——そして、白楊の華は、我が後宮に連れてこい。夫の罪を償わせるためにな。ふふ……あの華を今度こそ、我がものにしてやらねば」
王はゆっくりと立ち上がった。その視線の先には、もはや国家の安寧も忠臣の命も存在せず、自分を慰める女という器しか映っていない。
「大王、英明なご決断です」
周礼は、その背後で満足げに目を伏せた。この国の王は、赤子と同じ。理屈ではない。目の前に甘い蜜と欲しい玩具をぶら下げてやれば、意のままに動く。
崔瑾が、怒りに駆られて手勢を率い、王宮を飛び出していく。その愚かなまでに真っ直ぐな背中を見送りながら、周礼は扇で隠した口元を愉悦に歪めていた。
(——かかったな、若造め)
崔瑾が走り去った方向を冷ややかに見つめた後、周礼は足音を殺して階段を駆け上がり、望楼にいる王の前で膝をついた。
「ご覧ください、大王様! なんたること……崔瑾めは、白楊の姫一人のために、兵を動かしましたぞ!」
顔の前で合わせた両手で表情を隠す。合わせられた指先が、小刻みに震えていた。
それは恐怖ではない。長年待ち望んだ瞬間が訪れたことへの、抑えきれない歓喜の痙攣だった。
「大王様、お気づきではございませぬか? 赫燕を討った今、民草が、真の英雄……いや、『次の王』と噂しているのが誰の名か」
「……なに?」
王の眉がピクリと動く。
「あの白楊の姫を娶ったのも、自らの血統にさらなる王族の権威を加えるため。兵を率いて王宮を出たのも、王命に背けるほどの武力を持っているのだと、この玉座を奪えるのだと、示威しているに他なりませぬ!」
椅子の上で気だるげに傾いていた王の体が、強張った。
「……崔瑾が。私の、玉座を?」
王の目が、ぎらりと濁った光を放つ。そこには、優秀すぎる臣下への嫉妬と、自分より民に愛される男への劣等感が、どす黒い炎となって渦巻いていた。
「……そうか、あやつめ。とうとう、牙を剥いたか」
王は手にした酒杯を乱暴に呷った。口元から垂れた酒を拭おうともせず、脂の浮いた唇を獣のように吊り上げる。
「周礼。お前の言う通りだ。あ奴はいつも涼しい顔で私を見下し……あまつさえ、私の白楊の華を、無理矢理に奪いとった」
ガンッ! と酒杯が床に叩きつけられる。
「英雄気取りで、この国を乗っ取るつもりか! おのれ、崔瑾……!」
「はっ、まさしく国賊にございます」
周礼が深く頭を垂れる。その背に、王のどこか上擦ったような声が喜悦を孕んで落ちた。
「よかろう。崔瑾の全ての官位を剥奪《はくだつ》し、逆賊として捕えよ! 抵抗すれば殺しても構わぬ!」
一拍置き、王は笑った。その笑みは、欲望に忠実な獣そのもの。
「——そして、白楊の華は、我が後宮に連れてこい。夫の罪を償わせるためにな。ふふ……あの華を今度こそ、我がものにしてやらねば」
王はゆっくりと立ち上がった。その視線の先には、もはや国家の安寧も忠臣の命も存在せず、自分を慰める女という器しか映っていない。
「大王、英明なご決断です」
周礼は、その背後で満足げに目を伏せた。この国の王は、赤子と同じ。理屈ではない。目の前に甘い蜜と欲しい玩具をぶら下げてやれば、意のままに動く。

