闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

「夫人は、白楊(はくよう)国の公主でもあり、我ら赫燕(かくえん)軍の大切な家族です。どうか、《《玉蓮》》を大切に慈しんでいただきたい」

 崔瑾(さいきん)の腕の中で振り返った玉蓮と、赫燕(かくえん)の瞳が、静かに交差する。しかし、その視線はすぐに、玉蓮の肩を抱く崔瑾の腕によって遮られてしまった。崔瑾の腕に力が込められ、玉蓮はその痛みに思わず顔を(ひそ)める。

「将軍……玉蓮殿は、私の妻です」

「承知しております」

「ならば、名を呼ぶのは、今日を限りにしていただきたい」

「……これは、お許しを。呼び慣れていたもので」

 見たこともないような穏やかな赫燕(かくえん)の微笑みが、玉蓮の目の前で闇に溶けるように花開いてそのまま溶けていく。

「崔夫人、瞳にはきっと砂が入ったのでしょう。宿に戻られたら、ゆすぐことをお勧めいたします」

 手を合わせて、深く一礼をした赫燕(かくえん)が、玉蓮たちとは反対の方へ消えていき、ただ、冷たい風だけが、彼の残した言葉の余韻を運んでいく。

 玉蓮は、促されるままに、崔瑾の隣で足を動かした。その腕に包まれながらも、あの男の声が、頭の中で何度も木霊する。玉蓮の唇が音もなく動く。名を呼ばれたときの響きが、まだ耳の奥に残り、心の湖面に、今も小さな波紋が広がり続けていた。