◆
夜明け前。河伯の祠に隣接する楼閣の一室。外はまだ厚い雲に光を遮られ、闇は深かった。崔瑾は濡れた髪もそのままに、玉座の男に深く頭を垂れた。厳かな沈黙の中、王の冷徹な声が降る。
「戦は?」
崔瑾は顔を上げず、床を見つめたまま答える。
「は。白楊国の軍を退けました。赫燕軍は壊滅……大将軍・赫燕を討ち取りました」
勝利の報告。だが、返ってきたものは、賛辞ではなく、苛立ちを含んだ小さな舌打ちだった。
「赫燕はどこだ。我が元へ連れて来いと命じたはずだ」
「すでに埋葬しております」
崔瑾の言葉に、王の顔がみるみるうちに激昂の色に染まった。
「——ふざけるな!」
雷鳴のような怒号が壁を震わせる。王は玉座から立ち上がり、荒い足取りで崔瑾に詰め寄った。
「あやつの首を飾るのだ! 美しき獣を! お前、王命に背いたというのか!」
至近距離で浴びせられる罵声にも、崔瑾は眉一つ動かさない。淡々と、しかし毅然と言葉を紡ぐ。
「赫燕は、無数の矢を受け、全身が蜂の巣のようでした。さらにこの気温と湿気では、王都へ着く頃には蛆が湧き、保ちませぬ。大王の御目を汚すことになりますれば」
——魁偉 龍姿 鳳貌 赫然。
(あの男は最後まで——)
壁を叩く雨音が、鼓動と重なる。懐に入れた紫水晶の冷たさが、己の決意を支えていた。瞳を伏せるようにして、頭を再び深く下げた。
「お前——!」
王が拳を振り上げた、その時。
「——ふふ、ふふふふ」
鈴を転がすような、華やかな笑い声が割って入った。
「は、母上?」
王が気勢を削がれ、振り返る。
「大都督よ、素晴らしい勝利である」
太后はゆっくりと扇を閉じ、静かな眼差しでこちらを見下ろした。
「おやめなさい。玄済国を恐怖に陥れた軍を破った英雄です。敵国の将の首など、国が潤ったことに比べれば些事に過ぎませぬ」
「ですが——」
「王よ」
反論を遮るように、太后の声色が一段と鋭く尖る。
夜明け前。河伯の祠に隣接する楼閣の一室。外はまだ厚い雲に光を遮られ、闇は深かった。崔瑾は濡れた髪もそのままに、玉座の男に深く頭を垂れた。厳かな沈黙の中、王の冷徹な声が降る。
「戦は?」
崔瑾は顔を上げず、床を見つめたまま答える。
「は。白楊国の軍を退けました。赫燕軍は壊滅……大将軍・赫燕を討ち取りました」
勝利の報告。だが、返ってきたものは、賛辞ではなく、苛立ちを含んだ小さな舌打ちだった。
「赫燕はどこだ。我が元へ連れて来いと命じたはずだ」
「すでに埋葬しております」
崔瑾の言葉に、王の顔がみるみるうちに激昂の色に染まった。
「——ふざけるな!」
雷鳴のような怒号が壁を震わせる。王は玉座から立ち上がり、荒い足取りで崔瑾に詰め寄った。
「あやつの首を飾るのだ! 美しき獣を! お前、王命に背いたというのか!」
至近距離で浴びせられる罵声にも、崔瑾は眉一つ動かさない。淡々と、しかし毅然と言葉を紡ぐ。
「赫燕は、無数の矢を受け、全身が蜂の巣のようでした。さらにこの気温と湿気では、王都へ着く頃には蛆が湧き、保ちませぬ。大王の御目を汚すことになりますれば」
——魁偉 龍姿 鳳貌 赫然。
(あの男は最後まで——)
壁を叩く雨音が、鼓動と重なる。懐に入れた紫水晶の冷たさが、己の決意を支えていた。瞳を伏せるようにして、頭を再び深く下げた。
「お前——!」
王が拳を振り上げた、その時。
「——ふふ、ふふふふ」
鈴を転がすような、華やかな笑い声が割って入った。
「は、母上?」
王が気勢を削がれ、振り返る。
「大都督よ、素晴らしい勝利である」
太后はゆっくりと扇を閉じ、静かな眼差しでこちらを見下ろした。
「おやめなさい。玄済国を恐怖に陥れた軍を破った英雄です。敵国の将の首など、国が潤ったことに比べれば些事に過ぎませぬ」
「ですが——」
「王よ」
反論を遮るように、太后の声色が一段と鋭く尖る。

