闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。



 たどり着いた赫燕の天幕。それは、他のどの天幕よりもひときわ大きく、禍々(まがまが)しい威圧感を放っている。分厚い獣の皮でできた入り口の幕が、風を(はら)んで、鈍い音を立てて揺れている。

「お頭、失礼します。公主が来ました」

 朱飛(しゅひ)の声が響くも、中からは何も声が返ってこない。彼を見上げると、その静かな瞳で見つめ返され、獣皮の幕が上げられる。無言のまま、視線だけで「入れ」と促された。

 中へと足を踏み入れると、まず鼻腔(びこう)を刺激するのは、なめし革の濃厚な匂いと、それに決して混じり合うことのない、一つの気高い香り。


 ——伽羅(きゃら)


 脳髄が痺れるほどに芳醇な、極上の香りが鼻をかすめた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。血と鉄に満ちたこの巣の中で、ひどく場違いで、かえって寒気を誘う。壁には、戦場で奪いとったであろう国の旗が、何の敬意もなく無造作に吊るされている。

 玉蓮は、無意識に喉をゴクリと鳴らした。

 天幕の中央。薄暗がりの中で、男が一人、巨大な地図を覗き込んでいた。

 紫紺(しこん)の衣を(まと)ったその横顔は、ぞっとするほどに艶めかしい。男の周囲だけ空気が研ぎ澄まされ、張り詰めている。わずかに開かれた唇から漏れる息遣いすら、凍えるように冷たい。

 男は玉蓮の存在に気づいているのか、いないのか。ひたすらに地図上の戦線に意識を集中させている。

 天幕のわずかな油灯(ゆとう)の光が、男の首元で鈍く輝く、二つの紫の石に吸い込まれていく。そして、彼の足元に立てかけられている大剣。その柄頭(つかがしら)の|《わ》の中に嵌め込まれた深い紫の石。それが、まるで龍の瞳のように光る。

 無頼漢と言われるような男にはおよそ不釣り合いなほど、洗練された意匠(いしょう)が施されたそれらは、光を(むさぼ)るように吸い込んで妖しく揺らめき、目の前の男と同様に異質なものとして、この天幕を支配するように存在している。

 一秒が、一刻に感じるほどの、重い沈黙。美しい獣か、あるいは人の皮を被った魔物か。玉蓮はその圧倒的な存在感に金縛りにあったように立ち尽くしていた。やがて、思い出したかのように、男が顔も上げずに低い声で告げる。


「——来たか」


 玉蓮の存在など、取るに足らぬとでも言うように響く、低い声。肺がうまく動かず、喉の奥で息がつかえる。心の臓が、肋骨(あばら)の内側で不規則に暴れ出す。息を吸うことさえ、この男の前では許されないとでも言われているように。

 そしてようやく、男はゆっくりと顔を上げた。

——赫燕(かくえん)

 その名は、玉蓮の唇で音もなく紡がれる。