闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。

◇◇◇ 崔瑾(さいきん) ◇◇◇

 赫燕(かくえん)軍の潰走(ついそう)の様に、玄済(げんさい)軍の兵士たちの一部からは、勝利を確信したような(とき)の声が上がった。

「何だ、あの動きは! 総崩れか!」

 崔瑾(さいきん)の本陣で、馬斗琉(ばとる)が驚愕の声を上げる。彼の声には困惑と同時に、信じられないものを見たという戸惑いがにじんでいた。崔瑾もまた、そのあまりにあっけない結末に、眉をひそめる。

「馬斗琉」

「……崔瑾様、追撃隊を出しますか?」

 赫燕の首を討ち取るために、徹底的に練り、早くから準備をしてきた策。しかし、それでも赫燕という男がこんなにも簡単に崩れるとは到底思えない。これまでの戦であの男が使ってきた、残忍で狡猾な戦術の数々が蘇る。

 あの男は、最前線に姿を現し、敗走を演じて己自身を追わせる。そして、敵が深く追撃してきた先で、地獄の盤面を作り出す。騎馬民族の王の戦い方そのもの。神より授かりしと称される、あの男の軍略。考えれば考えるほどに——導き出される結論は一つ。


(——罠だ)


 理性が、氷のように冷たく告げる。だが、もう一つの声が、炎のように熱く、その理性を焼き尽くそうとする。「——ここで奴を討て」と。彼女の瞳から、あの男の影を、永遠に消し去れ、と。

 あれが敗走だろうと、なんだろうと関係ない。ここまで奥深く侵攻してきた赫燕軍には、逃げ場がない。今こそ、あの男を討つのだ。

「……追撃せよ。白楊に逃げ込む前に捉えろ! 南西側に広く展開するのだ」

 五万の兵を追撃に展開し、各隊からの報告を受け始めていた、まさにその時。王都から、新たな伝令が駆け込んできた。

「崔瑾様! 西外(にしそと)水門へ向かう道に、祈雨(きう)の儀を一目見ようとする民が殺到し、混乱を極めているとのことです。王より、直ちに軽騎一万を鎮圧に向かわせよ、との御命令にございます!」

「何っ……」

 崔瑾は、奥歯を強く噛み締めた。ただでさえ、西苑(せいえん)の警護に二万もの精鋭を割いているというのに、さらに一万。こちらの野戦兵力は当初十二万。先の衝突で二万を落とし、今が十万。追撃に五万、さらに一万を鎮圧に回す——残るは四万。

 だが、それも戦場に散っている軍がほとんど。

「くっ」

 自らの手足が、一本、また一本と、もぎ取られていく。