闇を抱く白菊—天命の盤—復讐姫は、殺戮将軍の腕の中で咲き誇る。




 しかし、王宮の一室に足を踏み入れた瞬間、崔瑾は、重い衣をもう一枚着せられたかのような、息苦しさを感じた。ここで交わされる言葉の全てが、戦場の現実から乖離(かいり)した、空虚な響きしか持たないことを、知っていたからだ。

 王宮の一室では、重臣たちを前に周礼(しゅうれい)が耳触りの良い言葉を並べ立てている。

「大王様は、この度の、赫燕の猛攻にも、決して臆してはおられぬ。むしろ、この機に、白楊(はくよう)軍を根絶やしにする好機と捉えておられるわ」

 周礼の声は、まるで、中身の空っぽな壺を叩いたかのように、やけに、甲高く、そして空虚に響き渡る。大臣たちは周礼の言葉に頷き、安堵の表情を浮かべている。

 しかし、崔瑾は違う。そのあまりに楽観的で、無責任な言葉に、崔瑾が顔を(ひそ)める。脳裏には、戦場の悲惨な光景が鮮明に焼き付いている。無数の兵士たちが血を流し、故郷を離れて戦い続けているのだ。

 一方で、王宮の者たちは、空虚な言葉遊びに興じている。

「周礼殿」

 喉から氷のような声が落ちる。

「お戯れは、そこまでにしていただきたい。今、この瞬間にも、南西の地では、民と兵が血を流している。その現実を見ようともせず、甘言(かんげん)を弄《ろう》するのは、大王に(はべ)る臣下の仕事ではありますまい」

 周礼はいつもの甘ったるい笑みを崩さずにこちらを見ていて、何を思ったのか、満足げに口の端を吊り上げる。

「おや、これは、崔瑾殿。いささかお疲れのご様子ですな」

「迫る赫燕軍に対して、急ぎ対抗策を練っているのだ。そなたら文官は、戦場を——」

幾日(いくにち)も寝ておらぬご様子」

 崔瑾の言葉を遮るようにねっとりとした声が紡がれる。

「お疲れでしょうなぁ」

大都督(だいととく)として当然のことです」

「さすがですな。ですが、貴殿ご自慢の白楊(はくよう)の姫君は、今頃、屋敷で一人、寂しく貴殿の帰りをお待ちかねでしょう」

 周礼が一歩、崔瑾に近づいたその瞬間。ふわり、と。甘く、深い伽羅(きゃら)の匂い——後宮でも太后の間だけで焚かれる香りが漂った。一瞬、あの太后(たいこう)の面影と重なる。目の前の周礼がさらに蛇のような笑みを深めた。

「……もっとも、そのお寂しい夜もそう長くは続きますまい。戦が終われば、どんな形にしろ、姫君は月貌華(げつぼうか)(うた)われるその美しい体を持て余す暇などないでしょうからな」

 周礼の言葉が、的確に、魂に膿み続けていた傷口そのものを(えぐ)る。